児童ポルノについて
2008 / 03 / 24 ( Mon )
3月23日(日)
 社民党の神奈川県連の大会に一日出席をする。
 衆議院選挙がんばらなくっちゃ。
社民党神奈川県連合大会



 児童ポルノの単純所持を処罰をするのは、問題があるのではないかという文章を書いたところ、同感であるという意見を多数もらった。非常にまじめな真剣な意見を多数いただいた。どうもありがとうございます。
 今日は、続きを書きたい。

 質問ももらったのだが、わたしは、実物を写した写真以外のアニメやマンガを規制をすることには、問題ありという立場である。
 もし規制をするのであれば、それは、児童ポルノではなく、ポルノ一般の規制のなかにも位置づけて論ずるべきである。
 
 児童買春・児童ポルノ禁止法が作られたのは、被害にあう、あるいは被害にあった子どもをなくすためである。被害にあう子どもを保護するという立場からである。
 つまり、個人的法益の保護であって、決して抽象的な社会的法益保護の見地からではなかった。

 法律の1条は、「児童買春・児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。」としている。
 まさにそのことをあらわしている。

 そして、対象となるのは児童であり、児童とは、18歳未満を言うと法律上された。
 児童買春を禁止し、処罰をするのは、それは育成途中の子どもを食い物にし、子どもの人格を破壊をするからだと考えられたからだと思う。子どもには、選択の余地がない、あるいは、極めて少ない場合が多いだろうし、買春する大人との力関係は、やはり歴然とある。

 それは、大人同士の関係とは違うと考えられたのである。
 売春防止法は、単純な買売春を禁止をしているけれど、買春をした男性を処罰をしてはいない。
 管理売春をした人間や客待ちをした女性などを処罰をしているけれど、買春は、禁止しているけれど、処罰の対象とはしていない。

 大人だって、本当に選択をしているのだろうかという疑問もあるけれど、法律上は、18歳以上であるか、未満であるかによって、全く異なる扱いをしている。

 児童ポルノも同様の考え方である。
 被写体となった子どもは、そのことによって、心の傷を負っていき、その子どもの人権が侵害されたと考えるのである。
 だからこの場合の児童ポルノは、実際の写真をとられた場合、つまり、実在の子どもがいる場合とされたのである。
 たまたま写真に限定をされたのではなく、このことは、法律の趣旨から規定されたのだと思う。

 前述した法律の1条は、「これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。」としている。
 これらの行為というのは、児童買春・児童ポルノの両方を指し、両方とも有害な影響を受けた子どもを念頭においている。
 法律の構成や趣旨は、繰り返すが、実在の子どもの権利の擁護とされているのである。
 アニメやマンガは、念頭に置いてはいなかったのである。
 あるいは、法律を作成をするにあたって、趣旨から、実在の被写体のある子どもの写真とされたのである。

 もちろんわたしは、こどものポルノのマンガやアニメを見たいとも思わないし、全く好きではない。買うことも持つこともないだろう。

 しかし、仮に、アニメやマンガにまで、規制や処罰を拡大をしたらどうなるだろうか。
 判定をする人間、最終的には、裁判官が、アニメのこの子は、19歳に見える、いや17歳くらいだろうと判断をすることになる。
 はっきり言ってそれは、不可能であり、かつ恣意的になる。
 児童ポルノというときに、18歳未満の子どものポルノと法律は規定をした。
 一般のポルノは、刑法のわいせつ物の頒布、販売などで、処罰をされる。
 児童ポルノは、この刑法の特別規定として、規定をされたのである。
 つまり、18歳以上であるか、18歳未満であるかによって、児童ポルノ法によって、処罰されるかどうかが決まる。
 しかし、アニメやマンガは、どうやって、18歳未満かどうかを決めるのか。
 人によって、判断が全く違ってくるだろう。
 豊満な体をしているが、顔は、子どもっぽいので、15歳、いや、こんな童顔の女性もいるから、18歳を超えているとなるのだろうか。判定などだれもできないし、恣意的になるし、何が、誰が正しいかなんて、全く言えない。
 処罰の範囲が全くわからないのである。
 全く恣意的になってしまうし、処罰そのものの正しさの立証ができない。
 絵の人物が何歳に見えるかという愚かなことをするのだろうか。
 不可能なことをし、かつ、それが、処罰の対象になるということには、無理がある。

 刑事法は、明確性の原理が必要である。
 刑罰を課すのであるから、何が処罰をされ、何が処罰されないのかということが、一般的にも明確でなければならない。

 実在の人物の場合は、年齢は一義的であり、明確である。
 18歳以上か未満かは、はっきりする。

 つまり、アニメやマンガについて児童ポルノ禁止し、処罰をするということは、一見児童ポルノを処罰をするようで、実は、ポルノ全体の処罰とならざるを得ない。境界線がはっきりしないから、必然的にそうなる。
 しかし、ポルノ全体を刑法とは別に処罰をするのであれば、それはそれとして、また徹底的な議論が必要である。

 人は、ひどい子どものポルノを見せられたら、ひどいと思うだろう。
 しかし、処罰をするということについては、とことん議論が必要である。かつてチャタレー夫人の恋人がわいせつとされた。また、境界線は、実は、あいまいである。処罰するものと処罰をされないものが、銃や麻薬のように、はっきりとはしていないのである。

 アニメやマンガで描かれている女の子が、男の子が、18歳以上か、未満かはっきり言えるだろうか。
 もちろんとてつもなく幼い子という描き方もあるだろう。しかし、境界線上でわからないという場合も実は多いだろう。
 児童ポルノの単純所持の処罰と合わせて議論になっているが、自分の持っている雑誌に、マンガが書いてあって、それが、18歳未満に見えるポルノだと言われたら、処罰をされるのである。

 法廷で、いや18歳以上に見えると論争をするのだろうか。
 
 また、わたしは、前述したように、立法の趣旨からも考える必要があると考える。
 このような文章を書くのは、もちろん児童ポルノを守るためではない。
 しかし、捜査権限があまりに拡大をしたり、立法趣旨を超えたり、また明確でないもので、人が処罰をされるようになることは、大変問題があると考えている。
 
 ぜひご意見をお寄せください。 
 
00 : 34 : 39 | 国会で闘う 人権 | page top↑
ポルノ単純所持の処罰は妥当か
2008 / 03 / 10 ( Mon )
3月10日(月)
 今日は、東京大空襲のあった日。
 わたしのまわりには、東京大空襲で本当にひどい目にあったという人が多くいる。
 「ぼくは、おかあちゃんの背中で、おぶわれて、逃げまどったから、イラクを爆撃しているブッシュは許せない。」という人もいる。
 東京大空襲の被害者たちが、国家賠償請求訴訟を提訴している。
 家族をなくしてしまった人たち、自分も被害にあっている人たちが提訴している。
 杉浦ひとみ弁護士や中山弁護士など知り合いの弁護士たちが、担当をしているので、精一杯応援したい。
 きっこのブログのきっこさんとの約束で、わたしは、今日黙祷をした。

 児童ポルノに関しては、児童買春・児童ポルノ禁止法ができている。
 18歳未満の子どもが被写体のポルノについては、一定の行為が禁止をされている。
 法律7条は、児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、3年以下の懲役又は300万円の罰金に処すると規定をしている。
 
 児童ポルノには、もちろん反対である。
 被写体になった子どもは、傷つけられたまま成長することになると思うと心が痛む。子どもを食い物にしてと腹が立つ。

 だから、もちろん今の児童買春・児童ポルノ禁止法案の作成をするときは、弁護士として、堂本暁子さんなどと法案作りにがんばってきた。

 しかし、「単純所持」についてまで処罰していいのだろうか。
 わたしの一番の危惧は、拳銃や麻薬は、一義的にわかるけれども、ポルノは一義的に決まらないことだ。
 最近、最高裁判所は、ロバート・メイプルソープの写真をわいせつ物ではないと判決を出した。
 わたしは、ニューヨークの現代美術館で、彼の写真を見たことがある。
 わいせつ物と言われてやっぱり驚いた。
 美術館で、写真は、展示されたいたし、やっぱりそれはアートだった。
 ピカソの絵だって、わいせつなのはあるよと言いたくなる。
 最高裁は、わいせつではないと判決を出したけれど、争われてきた。
 
 つまり、人の価値観によっても変わってくるのだ。

 拳銃や麻薬は、それがそうであるとすぐわかる。
 「銃でないと思いました。」などという主張は、法廷で許されるわけはない。

 しかし、ポルノかどうかは、人によって違ってくる。

 ドイツで暮らしたという日本人に会ったことがある。自分の子どものお風呂上がりの写真を持っていたら、ドイツ人に、「危ないから、持つのはやめろ。」とアドバイスをされ、びっくりしたと聞かされた。

 所持が処罰をされるとすれば、確かに今持っている児童ポルノを人は捨てるということはあるかもしれない。
 しかし、そのときだって、水着だからいいと思った、ここまで写っていたらだめかなあ、わからないということがあるだろう。

 所持を処罰するということは、多くの人に捜索がされる可能性があるということになるのではないか。
 刑事訴訟法102条1項は、必要があるときは、捜索をすることができると規定をしている。
 
 「単純所持」が処罰をされるということは、単純所持が、犯罪になるということであり、つまり、捜索が可能となるのである。
 
 捜索を受けて、自分の持っている雑誌のなかに、児童ポルノがあったとなったら、それで、有罪となる。 
 捜索は、からぶりということもあるので、捜索をしたけれども何もなかったということだってある。
 
 あるものを「犯罪にする」ということは、そういうことだ。

 繰り返すが、わたしは、児童ポルノには、反対だし、もっと言えば、大嫌いだし、持つことは、決してないだろう。
 しかし、と思うのだ。
 多くの人に関係をしてくると思う。捜索を受けたら、、どうすると思う。

 たとえば、友人から雑誌が送られてきて、そのなかに、児童ポルノがはいっていたらどうなるだろう。単純所持で犯罪となる。
 友人が持ってきた本のなかにあったらどうなるだろうか。
 困らせようとメールを送ってきた人がいたらどうなるのだろうか。これも単純所持になるのだろうか。
 自分の携帯に、児童ポルノを持っていても「単純所持」になるだろう。
 言えることは、処罰の範囲が拡大をすることと処罰の範囲に争いが起きるということである。

 もちろん法案のなかみにもよるけれども。

 今、捜査の可視化と証拠開示がなかなか進まない。
 代用監獄で、同房の人を使って、自白をとったということが、最近、裁判で指弾をされた。

 周防監督の映画「それでもぼくはやってない」は、日本の捜査と裁判の問題点を指摘している。
 ちかんえん罪の話である。
 ここでも被告人が、ちかんについてのビデオを持っていることが、法廷で主張される。
 
 捜査の可視化も証拠開示もされず、代用監獄があるなかで、児童ポルノ単純所持を処罰して大丈夫だろうか。
 
 この単純所持処罰については、いろんな意見があるだろう。
 あなたの意見をお寄せください。
 参考にします。

 


 

 

 

 
 
20 : 25 : 16 | 国会で闘う 人権 | page top↑
予算委員会で質問しました
2008 / 02 / 02 ( Sat )
2月1日(金)
 今日も参議院の予算委員会で質問。
 今日、3人に対して死刑の執行がなされたので、予定を変えて急遽死刑の執行について質問をする。

 選択議定書の批准、つまり、個人通報制度の導入について質問をする。

 また、アメリカの裁判所で、ジュゴンの住む沖縄県辺野古の沖に、海上基地をつくることについて、環境アセスメントが十分されていないとして、アメリカの行政が敗訴判決を受けた。沖縄県の知事も環境アセスメントが不十分だとの意見を発表しているほどである。アメリカの判決をどう受けとめるか。辺野古の沖に海上基地を作ることはやめるべきではないかと質問をする。
 ジュゴンは、日本の宝であり、また、国会にいろんな人がいることが大事なように、生物多様性は、大事であると質問をする。

 また、迎撃ミサイル(PAC3)の訓練を1月に、東京の新宿御苑で行ったことに関連して、新宿御苑を迎撃ミサイルの設置場所にすることは問題ではないか。特に、新宿御苑を公園としたときの昭和22年の閣議決定に反するのてはないかと質問。

 民法改正や六ヶ所村の再処理の本格稼働をすべきではないとの質問、そして、診療報酬や医療事故の調査会は、厚生労働省の内部に作るべきではないなどの質問を準備をしていたけれど、できなくて残念。必ず、別の機会にやります。
 しかし、今日の質問などは、他の人はしない質問なので、みんなに知ってもらう必要があると思い、質問をした。
 ジュゴンの裁判の判決やPAC3があののどかな新宿御苑に設置されるかもしれないことについて、多くの人に知ってもらいたい。
 月曜日もまた、予算委員会で質問をする。
22 : 29 : 35 | 国会で闘う 人権 | page top↑
武器を持たない市民に対して、発砲する軍事政権に対して、援助をすべきではない
2007 / 09 / 30 ( Sun )
 宮崎から、神奈川へ。

 神奈川の部落解放同盟の大会へ。
 その後、社民党神奈川県連合で、選挙の総括のための代表者会議。3時間議論をする。

 午前中の会議でも、午後の会議でも、ミャンマーの弾圧と集団自決を巡る教科書検定のことが議論や話題となる。

 ミャンマーで、拘束されたお坊さんたちは、今拷問をされているのではないだろうか。
 連行された人たちは、どうなっているだろうか。
 行方不明の人たちはどうなっているのか。
 日本は、ミャンマーに対するODAをストップするべきである。
 丸腰で、武器を持たない市民に対して、発砲する軍事政権に対して、援助をすべきではない。
23 : 12 : 22 | 国会で闘う 人権 | page top↑
死刑執行について
2007 / 08 / 23 ( Thu )
 夏休みをとって、涼しいところに行ったら、とてもリフレッシュになって、「がんばるぞ」と元気になった。
 しかし、帰ってきたら、家のなかは、異常に暑く、冷房をつけて寝たら、風邪をひいたのか、喉が痛くて調子が悪くなった。とほほ。早くなおしたい。

 今日、3人の死刑執行があったことで、法務省の事務次官に、抗議に行く。

 27日は、内閣改造。
 長勢法務大臣は、やめる直前ぎりぎりに死刑を執行したことになる。
 結局、この1年弱の間に、10人の死刑執行をしている。

 ところで、中国で、日本人2人が、覚せい剤の事件で、死刑の判決を受けた。日本だったら、覚せい剤だけのケースであれば、法定刑上死刑にはならない。日本人が、海外で死刑判決を受けるというのは、初めてではないだろうか。覚せい剤についての犯罪はもちろん問題だけれども、死刑にすることはないと思う。このことについては、交渉をするか、何が可能か動きたい。
 どうにかならないのかと法務省に聞くと、中国との間に受刑者移送条約は締結されていないので、死刑囚についても引渡しは無理とのこと。外務省に問い合わせたところ、8月21日に大使館より判決についておおいに関心を寄せているとの表明を中国当局に出しているとのこと。
 これから、何ができるか考え、動いていきたい。
22 : 24 : 07 | 国会で闘う 人権 | page top↑
東京プライドパレード
2007 / 08 / 11 ( Sat )
  東京プライドパレードに行く。
 ゲイやレズビアンや家族や支援する人たちやともだち
が、パレード。
 今から、20年前、パンドラカンパニーという映画配給会社の社長である中野理恵さんから、紹介されたドキュメントが、「ハ−ベイ・ミルク」の映画だった。ハ−ベイは、サンフランシスコの市議会議員。ゲイであることをカミングアウトして、様々な活動をしていた。アメリカのどこかから、青年から、ハ−ベイに電話がはいる。「ありがとう。」と。ひとりぼっちで、自分は変ではないかと悩み、自殺をしようとすら思いつめる青年に、ハ−ベイの存在は、励ましを与えていたのである。
 しかし、彼は、ゲイを嫌悪し、脅威に感ずる人から、射殺をされる。
 同性愛であるということで、殺されるなんて!
 
 その後、当事者に会ったり、相談をされたり、映画を見たり、外国のパートナー法を勉強したり、性同一性障害の人たちの話を聞いたり、立法に関わったりしてきた。
 イラン人で、シェイダさんという人が、ゲイであることをカミングアウトをした後、イランへ強制送還されそうになり、その人の救援に、日本のゲイの人たちは、心を砕いていた。結局、日本で、難民認定がされず、彼は、第3国が認めてくれて、そこの国へ移住していった。
 いろんな活動を一緒にしてきた。
 
 様々なデモに行くけれど、この間行った生存と貧困メーデーも楽しかったけれど、今度のデモも楽しかった。
 デモに参加した人と沿道で応援をしてくれた人と合わせて、4500人くらいか。デモをしていると、沿道から、いろんな人が、手を振ってくれる。デモをしていて、こんなに楽しいことはない。
 みんな実に様々な格好をしている。バラエティーに飛んだデモ。平和のデモもコスチュームが、これほどバラエティー豊かではない。海水パンツの人もいるし(なんせ暑いですから)、ウェディングドレスのような格好の人もいる。少々派手でも、うーんと地味に見える。
 多様性や多元主義の豊かさを思う。
 いろんな人と話をする。
 パートナー法を作って欲しいという人から、女性からは、「パートナー法より、個人単位で生きられることをやって欲しい。」と言われた。
 法律を作るより、もっとカミング・アウトできる社会をと言う声を聞いた。
 ゲイの人たちも様々、そして、レズビアンの人たちも様々、思いもこう考える、こうして欲しいということも疑問も様々だ。
 しかし、多元的な、みんな1人ひとりがそのままで、生きやすい社会を作ってくれということでは、全く共通している。
 そして、多くの人たちから、「憲法9条守って下さい。」あるいは、「投票しましたよ。」と言われたことは、本当に嬉しいことだった。
 政治の場面で、何ができる議論しながら、考えてみよう。
23 : 48 : 30 | 国会で闘う 人権 | page top↑
2007 / 03 / 28 ( Wed )
3月28日(水)

刑事訴訟法改悪法案は問題だ
―それでもぼくはやってないー

「それでもぼくはやってない」の映画がヒットしている。痴漢冤罪の事件を法廷場面も含めて極めて丁寧に描いた映画である。「Shall we ダンス?」のあと、周防監督がどんな映画を撮るのかと思っていたら、「それでもぼくはやってない」の映画になったのだという感慨がある。
日本の刑事裁判は99%以上が有罪である。私たちは無罪のケースを有罪としていないかという反省を常に必要ではないか。
ところで、今国会の刑事訴訟法の改正法案が提出されている。この中身は問題である。
もちろん、今では被害者側の権利が弱かったということは確かにある。情報公示とケアはもちろん必要である。
しかし、今回の改悪は法廷のバーの中に意見陳述という形だけではなく、被害者を被告人を糾問する側として位置づけている。
刑事裁判は国家の刑事権を課すかどうかを決めるものである。被告人は有罪か無罪か、そして、もし有罪であるとして量刑はどうするのかを冷静に客観的に決めるものである。検察官は「公益の代表者」とも位置づけられている。
被害者や被害者の家族は被告人の質問をする。また、被害者や遺族は検察官と同様に裁判の最後に論告・求刑を行う。
参議院の予算委員会で質問をした。「検察官と被害者・遺族はそれぞれ論告・求刑を行うのか。」答えはYESである。
「それでは、検察は懲役15年、被害者は死刑」論告・求刑したらどうするのか。」と聞いた。裁判所はどう判断するのか。裁判所はちゃんと判断するという回答だ。だが、全くおかしい。
私はセクシャルハラスメントや強姦・DVの被害者のケースを多く担当してきた。少なくない女性たちは、「加害者を一生刑務所に閉じ込めて欲しい。」という人もいた。
気持ちはよくわかる。しかし、当たり前だが、だからといってみんなを無期懲役にするわけにいかない。2つ論告・求刑が出るというのは全くおかしい。また、裁判が報復の場としてしまわないだろうか。
細かいが、裁判は訴訟物をめぐって、その訴訟物があるかどうかを判断する。傷害致死が争いになっているときに被害者の遺族が、「よくも殺したな。」と被告人を責めると、これは「殺意」が』問題となる。
論点でないことが論点になっていく。これは被告人側の防御ができないということを生み出していく。
また、冤罪を増やさないだろうか。最近、富山県で服役したケースで冤罪であることが明らかになった。被害者は、「この人は犯人だ。」と思い込んで質問したら、冤罪を増やすのではないだろうか。
2年後の裁判員の制度の導入でなおさら法廷が感情によって動かされないか検証する必要がある。
ところで、29日被害者参加制度について考える院内集会があった。この法案を考え直すことを求める弁護士、市民の方々が参加していたが、そこには被害者の皆さんも参加されていた。集会の最後に被害者の方からの発言があり、その苦しみや不満をぶつけられていた。私も被害者の皆さんの苦しみを十分に理解しているつもりである。被害者の皆さんの意見をこれからも丁寧に聞いていきたい。
11 : 12 : 36 | 国会で闘う 人権 | page top↑
ODAをチェックするために ー誰のための、何のためのODAかー
2007 / 02 / 13 ( Tue )
2月13日(火)  

 参議院のODA特別委員会の第1回目に、当時の外務副大臣は、ODAの根拠を聞かれて、日本国憲法の平和主義と国際協調主義だと答えています。なるほど、なるほど。
 
 今日は、OECD開発委員会議長のリチャード・マニング氏と一緒にシンポジウムのパネラーに出る。
 わたしは、食糧増産援助として、農薬が大量にODAとして、アフリカやいろんな国に出され、それをチェックしに、モザンピークなどに出かけたこと、フィリピィンなど日本の出したODAのプロジェクトに反対する運動家たちが殺されていっており、その国の人権侵害をやめさせることができていないことなどを話をした。

 世界では、ODAは、その国の国益のためではなく、人々のために使われるべきとなっているが、日本の国会などでは、国益のためと言われ始めているところがある。

 また、過去のODAの検証も十分されていない。
 参議院のODA特別委員会は、視察をやり、分厚い報告書を出しているが、その報告書は、ODAの深い闇や問題点をえぐったり、検証をしているわけではない。

 ODAを変えよう、そのために国会でもNGOともっと連携してがんばります。 
 
15 : 25 : 42 | 国会で闘う 人権 | page top↑
2006 / 11 / 21 ( Tue )
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共謀罪反対の集まりへ。
大牟田労災病院のことで厚労省交渉。

社民党の政審全体会議で、偽装請負のことについて、当事者の人たちに話を聞く。
実態はすさまじい。どうメスを入れていくのか、現場とともに取り組んでいく。

今日は、珍しく早く帰る。
「希望の構想ー分権・社会保障・財政改革のトータルプラン」(神野直彦・井手英策編、岩波書店刊)を読む。

国会での活動、本当にがんばろう。
悪法を止めるために知恵と力を合わせなくっちゃ。

早く帰ってきたが、本を読んだりしていて、3時頃寝る。
明日は、また早い、寝ようっと。
最近、走ったりしているのだ。元気に走ると子どもの頃に戻って楽しい。
体力をつけよっと。
12 : 08 : 06 | 国会で闘う 人権 | page top↑
2006 / 11 / 15 ( Wed )
11月15日(水)
コスタリカで平和省をつくろうとしているリタさんが社民党を訪問。
平和省を創設する法案が通るという話をする。コスタリカは軍隊のない国。平和の取り組みの実践、暴力をなくそうという動きと直結している活動は示唆的であった。
日本も防衛省にするのではな、平和省を創るべき。
コスタリカに平和省ができれば、ソロモン諸島に次いで2つ目となる。

教育基本法改悪法案を与党が強行採決。
偽装タウンミーティングの話は全くひどい。
お金を払って、政府の言う通りの発言をしてもらい、且つ事前に申し込み者に意見を書かせて選別し、多くを関係者で占めている。その問題に関心のある人や反対の人はそもそも出席がなかなかできない仕組みとなっている。
大体巨額のお金を使っていることもおかしいし、たとえば、2004年11月に開かれた「教育改革タウンミーティング大分」では、400人集めるのに、有給スタッフが107人もいる。しかも県の関係者を集めてやるタウンミーティングとは何ぞや。

タウンミーティングは、国民の意見を聞き、議論をするということに意味があるはずである。
仕組まれていて、虚偽である。
しかも教育基本法改悪法案の審議のなかで、繰り返し、繰り返し、「タウンミーティングで、国民の意見を聞いて」と大臣は答弁をしている。
文部科学省が、「教育基本法は見直すべきだ。」と発言してくれと事前にFAXで頼み、5000円を払っておいて、なんなのだ。
自作自演の虚偽である。

問題は、大きくて、他の郵政民営化や司法改革などのタウンミーティングでもやっていたのではないか。
これから追及をしていく必要がある。

今回の事件は、政府が国民の意見を聞くつもりなど全くなくて、国民は、利用するか騙す対象でしかないことがはっきりしたと思う。
何も知らなくて、タウンミーティングに出席した人はなるほどと思ったかもしれないし、「これが国民の意見である。」と偽装し、メディアに報道させ、国会の審議で精一杯利用し尽くしているのである。

民主主義を偽装している。しかも税金を使って。
政府は知っていて、知らないのは国民である。

こんな偽装民主主義をやる政府の法案審議にそもそも欠陥がある。
タウンミーティングで意見を聞きましたという国会答弁を撤回するのか。

こんな問題が吹き荒れているなかで、審議を打ち切って採決なんて本当におかしい。

教育に国家が介入することをまさに政府がやっているのだ。
教育基本法改悪法案は、教育に政府が介入することが問題なのだが、タウンミーティング問題は、まさにこのことを象徴的に示している。
そして、法案の一番の問題点は、国民のための、子どものための教育から、国家のための教育に大転換しようとしていることだが、国家のための、政府のためのタウンミーティングであり、国民はひたすら騙し、操作の対象でしかなく、国民のためなんかではないこともこれまた象徴的に示している。

全くひどい。

非正規雇用フォーラムで、「日本版エクゼンプション」の勉強会。

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