福島みずほのどきどき日記

袴田さんの釈放に続き、狭山事件の再審開始決定を

3月28日(金)

昨日、袴田巌さんが釈放されました。再審決定も本当によかったです。

お姉さんの秀子さん、弁護団のみなさん、支援者の皆さん、多くの皆さんの長年の努力と頑張りで釈放されました。とりわけ、秀子さんの昨日の笑顔が印象的でした。
静岡地裁は、確定判決で犯行地の着衣とされた5点の衣類について血痕が袴田死刑囚や被害者と一致しないとする弁護団のDNA型鑑定などを新証拠と認め、後日捏造されたとの疑いを生じさせるものと結論づけました。
裁判所が、証拠が捏造された疑いがあると言ったことは極めて重大です。
警察・検察・裁判所の責任は極めて重大です。

あまりに長い時間が費やされました。

今から8年ほど前のことでしょうか、保坂展人衆議院などと一緒に、東京拘置所に会いに行ったことがあります。会いたくないと言うことで本人には会えませんでした。

秀子さんなどが以前は会えていたのに、なかなか会えなくなったということで東京拘置所に出かけたわけです。

拘置所の担当者に、本人の状況などを聞きました。袴田さんは、部屋から外に出ることを拒否し、外に出なくなっていました。

本人は部屋から外に出れば、騙されて処刑されることを恐れているのではないかと言われていました。本人は、無罪を主張したにもかかわらず、死刑の判決を受け、非常に頑張ってきたけれども、なかなか無罪を明らかにすることができず、絶望し、また処刑されることを本当に恐れていたと思われます。

元プロボクサーであった袴田さんの支援のために、ボクシングのリングでイベントが行われたことがあります。多くの名だたるプロボクサーの皆さんも本当に支援をして、応援をしてくれました。
街頭で、袴田さんは無実だのキャンペーンをやったりしてきました。

失われたあまりに長い時間。とにかく再審で無罪が確定することをしっかり応援をしていきます。

また、袴田さんは、ゆっくり休んでもらいたいと思っています。

そして、現在、捜査の可視化や様々な議論がありますが、例外なく捜査の可視化をすることや刑事手続きの見直しをしっかり行うべきです。
そのことを国会の中でしっかりやっていきます。

今日は、狭山事件の東京高裁での裁判官、検察官、弁護人の3者協議があります。
狭山事件の再審開始決定を何としても勝ちとっていきたいと考えています。
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ガンバるけど、ときどきてげてげでいこう!

3月24日(月)

宮崎県には、ゆだきー、のさん、ひんだれたなどの言葉がある。疲れたとかめんどくさいとか言う言葉である。沖縄にはチバレというがんばれという言葉がある。
しかし、宮崎にはどうも頑張れと言う方言がないような気がする。ところで、宮崎にはてげてげという言葉がある。いいかげんと言う意味である。てげてげで行こうとはいい加減でやりましょうと言うことである。
沖縄には、テーゲーと言う言葉があるそうだ。これもいいかげんで行こうと言う意味だと聞いた。テーゲー主義とはいい加減で行こうと言う考え方のことである。てげてげとテーゲーとは本当によく似ている。
いい加減で行こう、良い加減で行こうと言う事である。
このなんともいえずゆるいところが私は本当に好きである。

小学生の時に日南市に住んでいて、父が日曜日のたびに日南海岸にドライブに連れて行ってくれた。1日中海を眺めて、退屈することがなかった。

沖縄の海も宮崎の海も本当に好きである。
海を眺めて暮らせるような日々がおくれたら本当にいいなと思う。

頑張りますが、時々、てげてげで行こう。
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尾辻さんの平和への思いに共感

3月12日(水)

今日は、参議院の本会議で、尾辻さんの議員生活25年の表彰式を行いました。尾辻さんは、ガン対策や自殺対策や様々な点を一緒にやってきました。お父さんが戦死をして、お母さんが彼と妹を育てるために働いてきたが、そのお母さんも亡くなってしまって、高校卒業した尾辻さんは高校生の妹を育てるために就職難の中苦労したという話をされました。
平和の大切さも話をされました。心のこもったとても良い話に感銘を受けました。「虫の音」を大事にする政治を心がけているとおっしゃいました。地べたを這いずりまわり、声なき声をしっかり聞いて、それを政治に生かしていくという姿勢に私もそのように生きていきたいものだと心から思いました。
尾辻さんは、自民党の議員ですが、義理人情を大事にし、大事なテーマをしっかりやっていく姿勢は大変学ぶものがあります。

平和が大事という自民党の人たちは、集団的自衛権の行使を解釈改憲で認めることに反対をしてもらいたいなあと思います。
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清水澄子さんを偲ぶ会で

 3月17日(日)
 社民党の元参議院議員で、I女性会議顧問の清水澄子さんを偲ぶ会に参加して、挨拶を申し上げました。
清水澄子さん偲ぶ会で
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アウン・サン・スーチーさんのお誕生日祝いに参加

 6月17日(日)
 ビルマのアウン・サン・スーチーさんが67歳の誕生日を迎えるにあたり、国内のビルマ人の皆さん、支援団体がパーティーを開催。ノルウェーでノーベル平和賞の受賞スピーチをされましたが、今年のパーティーに参加した皆さんはいつもより笑顔があふれていて、楽しい会でした。
 来日されたら、是非お会いしたいと改めて思いました。
アウン・サン・スーチーさんの誕生日パーティで
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臓器移植の問題の中間報告

7月10日(金)
今日、参議院の本会議で、臓器移植の問題についての中間報告がされる。
昨日、いわゆるA´案が厚生労働委員会で3時に提出され、2時間ほど審議をした後、審議打ち切りとなる。

社民党はA´が提案されたばかりであり、きちんと審議をすべきであるとして、審議打ち切りに反対。
A´案は、A案が「脳死を一律に人の死とする」としているが、その部分を変えると説明をしている。
A案は、「脳死を人の死とすることを前提に」と説明している。
私は、法律の前提として、「脳死を人の死とする」とすることは、この考えが、他の医療現場などに影響を与えるのではないかと心配をしている。「脳死は人の死である」ということが「一人歩き」をしていかないか。

厚生労働省の研究事業としてまとめられた報告書「小児における脳死判定基準に関する研究(平成11年度)」によれば、無呼吸テストを2回受けて、脳死と判定された子どものうち、例えば100日以上生きた子どもが4例以上いるという研究結果が発表されている。学会の論文で、300日以上生きている子どもの例も紹介されている。

7月8日に、厚生労働委員会で東京女子医大と東邦医大の現場に視察に行った。
現場の医師の努力の説明を受け、臓器移植を待っている子ども、治療を受けている子どもにも会った。心臓移植を受けた人からの意見も聞いた。
また、交通事故にあった17歳の女の子で、何週間も意識が戻らない女の子の病床にも行った。

8日の夜、私は、東京都内のはるかちゃんのお宅にお邪魔した。脳死判定は受けていないので、脳死かどうかはわからない。
はるかちゃんは、体重9kg。だっこすると、あたたかく、プクプクしていて、かわいらしい。
全身で「私は生きてるよ」と言っているようにも思える。
両親の愛情を一杯受けて、その愛情はやっぱり伝わっているのではないかと思えてくる。
栄養などを鼻のくだからとり、呼吸器をつけているが、血色良く眠っている。
ご両親が子どもと一緒に生きているというのを強く感じた。

「脳死は人の死だ」とするA案に非常に危機感を感じておられた。
特に子どもは、すばらしい生命力、成長力を持って、はるかちゃんは、歯が生え、髪や爪が伸び、成長をしている。私たちは、まだ、わかっていないこともあるのではないか。
毎日毎日「いのち」のことを考えている。貴重な出会いで考える日々である。
参議院の本会議で、A案、E案、A´案の討論がされる。

来週月曜日、13日に採決の予定。
「脳死は人の死であることを前提とする」というように、人の死について、国会で決めていいのか。
また、A案、 A´案は、本人のドナーカードがなくても遺族の承諾で臓器を摘出できる。遺族、家族は承諾できるのか。仮に、A案、A´案が成立すれば、ドナーカードの有無に関係なく、これからは、遺族の判断で決められる。重い重い判断となる。
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「娘たちへ」出版

6月25日(木)
私の本「娘たちへ」が、発売になります。
お世話になった岩崎書店に呼んで頂き、本を出すことへの思いや、国会の報告などしました。
楽しい時間を過ごし、岩崎社長と女性社員の皆さんと写真撮影したときのものです。もちろん男性の人たち、みんなとも写真撮影をしました。
私のいろいろな思いが詰まった「娘たちへ」。ぜひ読んでみてください。
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労働者派遣法

6月19日(金)
社民党と民主党の労働者派遣法の抜本改正案が大詰めである。
今まで、社民党と国民新党は、労働者派遣法の改正案を発表している。
社民j党のホームページで、法案を発表しているのでぜひ見てくだい。
 社民党HP http://www5.sdp.or.jp/

民主党は、現在、要綱案を発表している。
去年の段階で、民主党は、60日以下の日雇い派遣の禁止という案をまとめていたので、
それに比べれば、随分、接近してきたと思う。
登録型は派遣において、専門職にだけ限定する、製造業への派遣の原則禁止など、大きく前進は見られる。

社民党と民主党は、まず、登録型と常用型の区分けが違う。
社民党は、登録型について、期間の定めのあるものと定義して、明確化をしている。
最大の問題点は、製造業の専門職については、例外的に派遣を認めているとしていることである。
何がそれに盛り込まれるかは、政令に委ねている。
何が製造業の専門職になるだろうか。
うっかりすると、原則と例外が逆転し、せっかく製造業については、派遣を禁止するとしても、例外として大きく認めることにもなりかねない。
製造業の専門職を認めるということ自体、本来から言って問題ではないか。
これを非常に限られたものにできるだろうか。これから攻防戦は続く。

また、この製造業の専門職については、3年間の期間限定ではなく、全く期間の定めのないものとなっている。このことは、現行法に比べても改悪である。
ずっーと働いていても、派遣のままで正社員にはなれないのである。
また、もちろん見直し規定も必要である。

働いてる皆さん、派遣で働いている皆さん、ぜひ、派遣の現状や派遣法改正法案、要綱についてのご意見をお寄せください。
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タクシーで。

6月8日(月)

よくタクシーに乗る。
今日は、九州出身の陽気な運転手さんと意気投合して話をした。
タクシー運転手の、労働実態の話になった。
5日の給与支給明細書と乗務員日報を見せて下さった。

総支給額は、約39万円
総控除額は、約12万円
差引支給額は、約27万円である。

40万円近いのに、実際受け取るのは27万円。子育てが大変だという彼の話はよくわかる。
無線のための費用も、運転手さんは控除されている。
会社が、経費として負担すべき金ではないか。

支給の明細を見ると、本給が、12万円である。
歩合給は、112,919円。
精勤手当は、9,900円。

本給の設定が安すぎるのではないか。
前述した、経費負担の分などはおかしいと考える。


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ノ・ムヒョン大統領の弔問へ

5月25日(月)
 韓国大使館へ弔問へ行く。
 
 夜は、社民党の東京都の自治体議員団の勉強会へ。
 衆議院の東京ブロック予定候補の池田一慶さん派遣や労働の話。
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俵萌子さんを偲ぶ会

3月27日(金)
 夜、俵萌子さんを偲ぶ会に行く。
 1980年代、いろいろ話をさせていただいた。
 また、わたしが、議員になってから、中野区長遷の応援を一緒に車に乗ってやったりしていた。
 
 ガンの問題を考える集まりで、去年の夏、お話をした。

 去年の秋、わたしの議員生活10周年をお祝いをする会を樋口恵子さんが、開いて下すって、少人数で、楽しい会食会を行った。そのときには、実は、俵萌子さんは、来れないという状況だった。
 
 明るい、おおらかな俵さんは、写真のなかでもほほえんでいた。
 変な言い方だが、明るい偲ぶ会で、俵萌子さんのお人柄をあらわしていた。
 
 出版記念会もかねていて、早速いただいた本を読み始める。

 わたしも母が一人暮らしになってしまったので、あれこれ考える。
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父親の死亡

12月20日(土)
 18日の木曜日、父が亡くなった。
 これは、わたしの姉からのメールと電話で知った。午後13時13分に亡くなったよとすぐ連絡がはいり、そのことを知ったのは、参議院の厚生労働委員会の最中だった。悲しい。
 前日の夜から、容態が悪くなっていることは、逐一連絡がはいっていた。
 朝、6時頃の電話では、少し持ち直したかなあという感じだったが。
 もう時間の問題となっていた。
 
 一刻も早く帰りたいと思ったが、2つの質問を控えていて、それをほっぽって、帰るわけにはいかなかった。質問の時に、泣いたりしないようにと思いながら、質問をした。
 しかもこのときの質疑は、雇用4法案もある。終わったらぴゅーと帰ろう。

 今、故郷の宮崎にいて、今日が、お通夜、明日がお葬式である。

 母親や姉、そして、姉の夫や子どもたち、いとこと父親のことを話している。
 
 父親は、とてもいい父親だった。
 子どもとよく遊んでくれた。
 小さい頃は、父親が、子ども全集の配本になる本を毎月か2週間にいっぺん持って帰ってきてくれることが楽しみだった。少年少女世界文学全集だったが、毎月、はいと渡される本をいつも心待ちにしていて、いつもすぐ読んでいた。
 それから、すぐ世界文学全集になった。
 
 小学校は、わたしは、延岡市と日南市に住んだ。
 日南に住んでいたときは、毎週のように、父親と日南海岸をドライブし、海で遊んでいた。
 子どものときは、実にゆったりと時間が流れ、海辺で、海を見つめたり、波打ちぎわで、砂山を作って遊んだり、ゆったり少し歩いたり、ゆっくりしていて、特に、何もしなくても豊かで、満ち足りていた。
 リンドバークの「海からの贈りもの」という素晴らしい本は、愛読書だ。少し前に、落合恵子さんが、翻訳をされたが、大学時代に読んで、貝に耳をあてると、ごぉーと音がするような、そして、ゆったりとした時間の流れをを思い出させてくれる。
 そして、わたしは、特に、父親とドライブをしていた子どものときの幸せな子どもの時間を思い出す。

 父親は、特攻隊の生き残りである。
 がっ
 四国の高知県で、訓練を受け続け、特訓を受け続けた。
 もう出発する日も決まり、出ていくだけになっていたが、滑走路が爆破されて、使えなくなり、飛行機は飛び立てなくなったのである。そうしているうちに、終戦になってしまった。
 特攻隊での訓練の話を聞いたことがある。
 
 わたしは、押井監督の「スカイ・クロラ」の映画を特別の思いで見る。
 戦争が終わらなければ、父は間違いなく死んでいたし、当たり前だが、わたしも生まれなかったのである。

 父にとって、8月15日は、特別な日である。
 父親が、12時の警報というか、みんなで黙祷をささげるときに、そんなテレビを見ながら、泣いているのを見たことがある。

 同窓会が開かれたときに、当時、上官だった人に対して、「なぜあなたは、自殺をしなかったのか。部下たちには、死ねと言い、みんな死んでしまったのに。」と迫ったという話も聞いたことがある。
 どこまでもおそろしくまっすぐな父親の性格を良く表している。
 上官に対しては、思うところがあったようである。

 わたしにとっては、古風だったけれど、まじめに働き、家庭を大事にした父親。
 銀行員で、ひたすらまじめで、一本気な人だった。
 わたしは、みんなで、朝ごはんを食べて、家族みんなで、夕ご飯を食べて、日曜日は、家族そろって、日曜日の大河ドラマを見るなんて、本当に平凡な家庭生活を送った。

 わたしたちのために、働いてくれたおとうさん、本当にありがとう!
  

  
  

 
 
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