3月9日(月)
三毛猫ホームズなどの作品は読んでいた。
新聞に連載をされている演劇の話などは、興味深く読んでいた。
わたしのまわりには、赤川次郎さんはいいと言う人も結構いる。
「週間金曜日」に、編集長の北村さんと赤川次郎さんの対談が載っていた。
「教室の正義」(角川文庫)と「悪夢の果て」(光文社刊)。
びっくりした。
こんなふうに書けるのだ。
洒脱で、読みやすい文章はそのまま。
しかし、時代のある面をこんなに切り取って書けるなんて。
「悪夢の果て」のなかに収録をされている「凶悪犯」なんて、一体誰が凶悪犯なのかということを鋭く問うている。今、起きている派遣切りや秋葉原の事件などを思い出してしまった。
「雨」についても、つい最近の小泉政権下でのみんながバーといっちゃう雰囲気などを思い起こす。
こんなふうに、時代のある種の問題点を、切り取って様々な形で書けるなんてと感嘆をした。
ぜひ読んでみてください。
3月1日(日)
「世界がもし100人の村だったら」(完結編)(池田香代子+マガジンハウス編)
一作ごとに面白いけれど、この完結編は、自然エネルギーや貧困などを特に、考えさせられる。
後ろのページに載っている世界を変える人々などに感動をする。
「アイスランドの人は99%の電気を水力と地熱でまかなっています。
2030年までに石油や石炭や天然ガスを使うのをやめます。
ドイツの人は14%の電気を太陽や水や風などからつくっています。
2015年には、それを20%にします。
2020年には原子力発電をやめます。」
「日本の人が太陽や風などからつくっている電気は0、7%です。2014年には、それを1、63%にします。」
こんなわかりやすい言葉が続く。
世界がつながっていること、世界の人々がつながっていることをいなやかに実感して、しなやかな元気が出る本。
最近、「飛躍するドイツの再生可能エネルギーー地球温暖化防止と持続可能社会構築をめざして」(和田武著、世界思想社刊)も読む。
これからは、間違いなく自然エネルギーの時代むである。
2月25日(水)
つみきのいえも先日見た。
心が癒される。
つみきのいえもおくりびとも似ている。
それは、ごく普通に生きる人の人生やいのち、生活、つまり、英語で言えばライフに対しての敬意だ。
つみきのいえの主人公は、ひとりの老人である。
高齢者と言わなくてはならないかもしれないけれど、「老人と海」ではないけれど、老人と言ったほうが、このアニメに合っていると思う。
ひとりの老人。
ひとりで暮らしをしている。
彼の今までの豊かな人生、妻や子どもたちとの愛情あふれる歴史が、彼の思いのなかで、描かれていく。
彼は、地球温暖化のため、つみきのように、家を積み上げてそのてっぺんで生きているのだが、潜水服を着て、以前の家、家におりていく。
そのたびに、だんだん時代がさかのぼっていく。
見ている人は、彼と一緒にゆっくりタイムマシンに乗っていくような感じがする。
ゆっくり一緒に回想をしていく。
おくりびともつみきのいえも普通に生きる人たちへの人生への敬意とゆっくりとした愛情にあふれている。
なんか世界が、暴走する資本主義から、人々が癒される社会へとゆっくり転換をしていく雰囲気のなかで、選ばれたような気もする。
また、人々は、癒しを求めているという気もする。殺伐としたのは、もう嫌なのだ。
わたしは、この2作とも大好きである。
ちなみに「おくりびと」は、社民党の山形の人が、お坊さん役で出ている。彼は、本当にお坊さんなので、本職で出ている。
山形に行ったとき、エキストラで結構みんな出ているよという話を聞いた。
「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画部門賞を受賞
2月23日(月)
映画「おくりびと」がアカデミー賞をとった。
短編アニメ「つみきのいえ」は、見ていないので、何とも言えないが、「おくりびと」は、感激をして見たので、受賞に嬉しくなっている。
映像も良かったし、人の死と生、そして、送る人たちの気持ちが出ていて、人と人の絆について、考えた。
そして、この映画を見て、少し経って、わたし自身が父を送ることになって、なおさら感慨深くなった。
映画のように、湯灌の儀というのをやった。
お湯をかけ、体を拭いた。
残された家族としては、体を拭くだけで、少しでも何かしてあげれたと言う気持ちになった。
父の顔色が少しは良くなって、本当に良かった。
死は、平等である。
当たり前だが、あの世へは何も持っていけない。
そして、どんな人にも死は訪れる。
井伏鱒二さんは、「さよならだけが人生だ」と言ったけれど。
心を込めて送ることは、よりよく生を生きることという気になる。
12月1日(月)
もう12月。
選挙にむけてもがんばっていかなくっちゃ。
荒このみさんが、ご自身が、翻訳し、編者をされている「アメリカの黒人演説集」(岩波文庫)を送ってくださった。電話で、お礼を言い、話をする。キング、マルコムX、モリソン、そして、オバマの演説など、21が収録されている。面白い。オバマの演説の素晴らしさについても話をする。
ステレオタイプではなく、独創性に富み、そして、ネガティブではなく、未来に向かって開いていこうとする演説なのである。
対話を重視し、いろんなものを統合していこうとする資質は、前の演説においても込められている。
面白いし、わたし自身勉強になる。
阿部彩さんの「子どもの貧困ー日本の不公平を考えるー」(岩波新書)を読む。
「地球とわたしをゆるめる暮らし」(枝廣淳子著、大和書房刊)は、ゆったりなり、ヒントがいっぱい。
「ルポ労働と戦争ーこの国のいまと未来ー」(岩波新書)もこういう視点を持ってとりくまなくっちゃと勉強になる。
11月8日(土)
最近、見た映画で、面白かったもの。
「トウキョウソナタ」「アイズ」「ウォー・ダンスー響け僕らの鼓動ー」「私は貝になりたい」など。
「トウキョウソナタ」は、リストラにあってしまったおとうさんが、ハローワークに通いつつ、家族には一切言えないというところから始まり、夫と妻、2人の息子のそれぞれが描けていて、今の日本のある種の家族をある意味、切なく、どっかとぼけて、どっかコミカルに、どっか残酷に描いていて、面白い。いろんな意味で、身につまされると思う人はいるのて゜はないか。
夫と妻が、それぞれ別のシーンで、「人生を(どこからか)やり直したい」とつぶやくのが切ないし、見事。
香川照之のどっか放心したようなとぼけた感じと小泉今日子の不思議な味と殺伐とした時代とままならない人生を送る大人と自分勝手な大人をうまく描いている。
ひき逃げのシーンなんて、今のひどい時代をまさにあらわしている。
9月23日(火)
おくりびと
監督 滝田洋二郎 出演 本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、吉行和子、笹野高史
チェロの奏者だったにもかかわらず、交響楽団が解散をしてしまって、故郷の山形庄内地方に帰る。酒田という設定か。
ここで、偶然、納棺師をしている山崎努のアシスタントをする羽目になる。妻には、言えず秘密にしていたが、ばれてしまい、妻の反対にあう。
納棺師の仕事、そして、見送る家族の表情や思い、人の人生、家族ということが、淡々と切々とそして、不思議なリアル感で描かれる。
死が終わりでなく、旅立ちに思えてくる。
力作。
お棺をのぞき込み、「おかあさん」と泣く、中学生か高校生の女の子、子どもを見送る親、自分と母親を捨てて、駆け落ちをした父親がその後一人亡くなって、その父親の顔をのぞき込む息子。
人生がシンプルに思えてくる。
さよならだけが人生だとも思えてくる。
いろんな人のお葬式に行く。最近でも久保田真苗さん、加藤万吉さん、中島通子さん、若桑みどりさんなど。友人の親御さんが、亡くなっていくこともあれば、社民党の党員が亡くなって駆けつけることもある。先輩が亡くなれば、これまた駆けつける。
いろんな人のお顔にさようならを言ってきた。ありがとうと言ってきた。
そして、そのとき、納棺師という職業があるとは、意識をあまりしなかった。
パンフレットに、「納棺師ーそれは悲しいはずのお別れを、やさしい愛情で満たしてくれるひと。」とある。
静かに、人生のこと、生きるということを考える。
シンプルというのは、人は、お棺のなかに、何も持ってはいれないからだ。
もっくんが健闘。
それにしても山崎努さんの怪物ぶりはすごい。
黒沢明監督の「天国と地獄」に確か出ていたっけ。
それから月日が流れ、すごい存在感の俳優になっている。
「クライマーズ・ハイ」の新聞社のワンマン社長ぶりはすごかった。怪物。
いい映画。
映画を見た後もずっーと考えている。
日本映画のすごいいいところ。
9月1日(月)
昨日と一昨日は、沖縄。
2区の照屋寛徳さんと3区の新川秀清さんの応援。
タクシー業界の人たちと漁業従事者の人、農協の人たちから、実情のついて話を聞き、要請を受けた。
タクシーにしても東京とは、全然違うということもよくわかったし、また、漁業にしても制限水域が、沖縄で、全国の70%を占めるということも知って本当に驚いた。
全国の基地のうち、沖縄に75%以上集中をしている。
そのことは、もちろん知っていることだけれど、米軍や自衛隊が訓練をするために、海面も漁民や一般の人がはいれないように、制限水域が設けられていて、その大部分が沖縄に集中しているのである。
押井監督の「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」を昨日見る。
「凡人として生きるということ」「他力本願」を読む。
失敗も挫折も人生のチャレンジのうちという話に励まされる。