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福島みずほのどきどき日記

赤川次郎さんの本

3月9日(月)
 三毛猫ホームズなどの作品は読んでいた。
 新聞に連載をされている演劇の話などは、興味深く読んでいた。
 わたしのまわりには、赤川次郎さんはいいと言う人も結構いる。
 
 「週間金曜日」に、編集長の北村さんと赤川次郎さんの対談が載っていた。 
 「教室の正義」(角川文庫)と「悪夢の果て」(光文社刊)。
 びっくりした。
 こんなふうに書けるのだ。
 洒脱で、読みやすい文章はそのまま。
 しかし、時代のある面をこんなに切り取って書けるなんて。
 「悪夢の果て」のなかに収録をされている「凶悪犯」なんて、一体誰が凶悪犯なのかということを鋭く問うている。今、起きている派遣切りや秋葉原の事件などを思い出してしまった。
 「雨」についても、つい最近の小泉政権下でのみんながバーといっちゃう雰囲気などを思い起こす。
 
 こんなふうに、時代のある種の問題点を、切り取って様々な形で書けるなんてと感嘆をした。

 ぜひ読んでみてください。
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世界がもし100人の村だったら(完結編)

3月1日(日)
「世界がもし100人の村だったら」(完結編)(池田香代子+マガジンハウス編)
 一作ごとに面白いけれど、この完結編は、自然エネルギーや貧困などを特に、考えさせられる。
 後ろのページに載っている世界を変える人々などに感動をする。
 
 「アイスランドの人は99%の電気を水力と地熱でまかなっています。
  2030年までに石油や石炭や天然ガスを使うのをやめます。

  ドイツの人は14%の電気を太陽や水や風などからつくっています。
  2015年には、それを20%にします。
  2020年には原子力発電をやめます。」

 「日本の人が太陽や風などからつくっている電気は0、7%です。2014年には、それを1、63%にします。」

 こんなわかりやすい言葉が続く。
 世界がつながっていること、世界の人々がつながっていることをいなやかに実感して、しなやかな元気が出る本。

 最近、「飛躍するドイツの再生可能エネルギーー地球温暖化防止と持続可能社会構築をめざして」(和田武著、世界思想社刊)も読む。
 これからは、間違いなく自然エネルギーの時代むである。

池田加代子さんと議員会館で集会
  
 
 
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つみきのいえとおくりびと

2月25日(水)
 つみきのいえも先日見た。
 心が癒される。
 
 つみきのいえもおくりびとも似ている。 
 それは、ごく普通に生きる人の人生やいのち、生活、つまり、英語で言えばライフに対しての敬意だ。
 つみきのいえの主人公は、ひとりの老人である。
 高齢者と言わなくてはならないかもしれないけれど、「老人と海」ではないけれど、老人と言ったほうが、このアニメに合っていると思う。
 ひとりの老人。 
 ひとりで暮らしをしている。
 彼の今までの豊かな人生、妻や子どもたちとの愛情あふれる歴史が、彼の思いのなかで、描かれていく。 
 彼は、地球温暖化のため、つみきのように、家を積み上げてそのてっぺんで生きているのだが、潜水服を着て、以前の家、家におりていく。

 そのたびに、だんだん時代がさかのぼっていく。
 見ている人は、彼と一緒にゆっくりタイムマシンに乗っていくような感じがする。

 ゆっくり一緒に回想をしていく。

 おくりびともつみきのいえも普通に生きる人たちへの人生への敬意とゆっくりとした愛情にあふれている。

 なんか世界が、暴走する資本主義から、人々が癒される社会へとゆっくり転換をしていく雰囲気のなかで、選ばれたような気もする。

 また、人々は、癒しを求めているという気もする。殺伐としたのは、もう嫌なのだ。

 わたしは、この2作とも大好きである。

 ちなみに「おくりびと」は、社民党の山形の人が、お坊さん役で出ている。彼は、本当にお坊さんなので、本職で出ている。
 山形に行ったとき、エキストラで結構みんな出ているよという話を聞いた。
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「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画部門賞を受賞

2月23日(月)
 映画「おくりびと」がアカデミー賞をとった。
 短編アニメ「つみきのいえ」は、見ていないので、何とも言えないが、「おくりびと」は、感激をして見たので、受賞に嬉しくなっている。
 映像も良かったし、人の死と生、そして、送る人たちの気持ちが出ていて、人と人の絆について、考えた。
 そして、この映画を見て、少し経って、わたし自身が父を送ることになって、なおさら感慨深くなった。
 映画のように、湯灌の儀というのをやった。
 お湯をかけ、体を拭いた。
 残された家族としては、体を拭くだけで、少しでも何かしてあげれたと言う気持ちになった。
 父の顔色が少しは良くなって、本当に良かった。
 
 死は、平等である。
 当たり前だが、あの世へは何も持っていけない。
 
 そして、どんな人にも死は訪れる。
 井伏鱒二さんは、「さよならだけが人生だ」と言ったけれど。

 心を込めて送ることは、よりよく生を生きることという気になる。
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チェ 39歳別れの手紙

2月16日(月)
「チェ 39歳別れの手紙」
監督 スティーヴン・ソダーバーグ、プロデューサー ローラ・ビックフォード、ベニチオ・デル・トロ 脚本 ピーター・バックマン
主演 ベニチオ・デル・トロ、カルロス・バルデム、フランカ・ボテンテ、ロドリゴ・サントス、ルー・ダイヤモンド・フィリップス、マット・ディモン

チェの映画は、2部作からなっている。
 第1部の「チェ 28歳の革命」には、感激をした。
 その後、妻のアレイタ゜が書いた「わが夫、チェ・ゲバラー愛と革命の追憶」(アレイダ・マルチ著、後藤政子訳)を読む機会があった。
 この本を翻訳をされた後藤政子さんにいただいたものである。
 
 映画を見た後、この本を読んで、いろいろ考えた。
 
 妻は、闘士であったが、自分と小さな子ども4人を置いて、革命のために行ってしまった夫に対して、苦しんでいたのではないだろうか。
 わたしだったら、一緒に子育てをして欲しいと切望をするだろう。
 妻にとっては、塗炭の苦しみだっただろう。
 どんなに愛していると言われたところで、自分と子ども以上に大事なものがあるのだから。

 そんなことをぶつぶつ考えているときに、第2作のこの映画を見た。

 ときどきこの映画のことを思い、考える。
 
 チェは、コンゴに行き、ボリビアに行く。
 ボリビアで、革命を起こそうとゲリラ活動をする。
  
 成功をしたキューバ革命のときとは、全く様相が違っている。
 ボリビア共産党は、チェの入国を承諾をしながら、協力をしないことを決定し、通告をする。この背後には、ソビエトがあるのか。チェは、ソビエトに対して、批判的になっていたことも影響をしているのか。
 チェたちは、孤立した闘いを強いられる。
 ここには、キューバのときのようなカストロはいないのである。
 チェに対して、軍事政権は、「外国人がボリビアを侵攻をしようとしている。ゲリラは、殺戮を繰り返し、女性を強姦をする。」とひどいキャンペーンをしていく。

 それは、嘘なのだが、農民は、ゲリラに対してうさんくさいという眼をむける。
 
 アメリカは、ベトナムでゲリラ掃討作戦に従事をしていた米兵などを、ボリビアに送り込む。

 見ていて辛くなる部分もある。
 誠実にとにかく前進をしていくしかないと動いていくチェたち。

 しかし、共感するところが多く、いろんなことを考える。

 キューバでの地位や妻や子どもたち、名声や権力を捨ててまでも、なぜこんなに困難な道に進んでいくのか。しかも、悲しいことに、農民の生活をなんとかしたいと愛情から、スタートしているにもかかわらず、当の農民たちの多くは、そのことを理解をしないし、共感をせず、むしろ軍事政権に対して、スパイの役割を果たす。
 愛情と思いとそして厳しい現実。 
 リサーチ不足や戦略の失敗ということは、確かに指摘ができるだろう。
 しかし、途中で放り出したりしない。
 勝たないかもしれないけれど、困難な状況のなか、そのなかで、精一杯誠実に生きようとする。

 最後に、とらえられ、手足を縛られ、髪が長くぼさぼさで、うずくまるチェは、キリストのようだ。
 ついていっているターニャは、わたしには、どこかマグダラのマリアもに思える。

今、南アメリカは、いわゆる左翼政権となっている。
 チリのアジェンデ政権が、軍部によって、弾圧をされ、多くの人が殺され、亡命をする人が出た。
 社会主義インターナショナルの事務局長のアヨラさんは、チリで弁護士をしていて、このときに、スウェーデンに亡命をした。
 今のチリの女性大統領も拷問を受け、父親を殺され、亡命をし、チリに帰ってきたのである。
 
 今、南米は、政治が大きく変わり、軍事政権が打倒をされ、ボリビアも変わった。

 そんななかで、南米のために、ライフ、つまり、人生と命を捧げたチェ・ゲバラのことを改めてみんな感謝も込めて思い出しているのではないか。

 チェは、殺されてしまったけれど、変な言い方だが、キリストの考えていたことや彼の思想が、多くの人に影響を与えたように、多くの人に影響を与えている。
 キリストは、女性にももてたと言われている。わたしは、それは、女性対して優しかったからだと思うが、チェも女性にもてたのではないか。
 
 映画の影響か、キリストとイメージがだぶる。

 とらわれたとき、監視をしているボリビアの若い兵士に、チェは、聞かれる。 
 「神を信ずるか」と。
 それに対して答える。「人を信ずる。」と。

 安穏とした人生ではもちろんなかった。しかし、実に多くの人に理想に生き、愛に生きたということで、大きな影響を与え続けている。

 毎日新聞に、キューバに、チェケ゜バラが名付けた稲次郎・浅沼紡績工場が今もあるという記事が載っていた。
 チェがつけたのである。殺された社会党の浅沼さんを記念をして、つけたそうである。

 わたしが、アフリカのモザンピークに行ったときに、自主運営をしている大きな農場に行ったら、チェ・ゲバラ農園と名付けられていた。
 世界中が、どこかで、つながっている。

 誠実な生き方について、心打たれる。
 個人の栄達や名誉や権力や地位は、求めなかったのである。
 
 
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マンマ・ミーア

2月16日(月)
「マンマ・ミーア」
監督 フィルダ・ロイド 脚本 キャサリン・ジョンソン 制作 ジュディ・クレーマー、ゲイリー・コ゜ーツマン
主演 メリル・ストリープ アマンダ・セイフライド ピアーズ・ブロンソン コリン・ファース ステラン・スカルスランド ジュリー・ウォルターズ クリスティーン・バランスキー、ドミニク・クーパー

 きゃはははは、と元気になる映画。ときどき笑ってしまった。ABBAの曲に元気になる。あれ、この曲は、かつて口ずさんでいたけれど、こういう意味だったのという再発見。心に沁みる。
 踊ったり、歌ったりしたくなる。
 生きてりゃいいさと元気になるし少々のことは、なんだって良くなり、くよくよしなくなる。
 人生は、悪くないし、輝いているという思いにさせられる。
 わたしも改めて元気になった。

 「マンマ・ミーア」は、イタリア語で、「なんてこった」「おやまあ」という意味だそうな。
 そして、もちろん「わたしのおかあさん」というのをかけている。

 主人公のドナ(メリル・ストリープ)は、大忙し。
 いわゆる女手ひとりで、娘を育ててきた。
 ギリシャの小さな島の古いこれまたレトロなホテルを必死で経営し、娘を育ててきたのである。
 その娘ソフィ(アマンダ・セイフライド)は、二十歳になり、今度結婚をするのである。
 ソフィは、母親をひとりにはできないと彼氏とそのホテルを継ごうと考えている。

 結婚式。
 実は、ソフィは、父親を知らない。
 ドナは、結婚をせずに、ソフィを生んだのである。
 母親に、父親のことを聞いても「一夏で終わってしまったのよ。」という感じで、教えてくれない。
 わたしの父親は誰?とソフィは思ってきた。

 そこで、ソフィは、母親が妊娠をした当時の日記を見つける。
 母親は、当時、3人の男性とつきあっていたのだ。
 といってもたとえば、恋愛をして好きな人がいたけれど、その人には、婚約者がいて、去っていって、傷心のうちに別の人に惹かれるといった具合。007のボンド役、前ボンドのピアーズ・ブロンソンなどが中年男性を好演。

 ソフィは、その3人の男性に母親ドナの名前で、結婚式の招待状を出す。
 すると、これまた3人が、とるものもとりあえず、駆けつけてくれるのですね。

 そこから、始まるどたばた。
 ソフィの2人の女ともだちとのトリオ。
 そして、なんといっても圧巻なのは、ドナの2人の女ともだちのトリオ。
 うーん、男性陣もトリオなんだよね。

 中年3人トリオの女のパワーがすごい。
 女ともだちの娘の結婚式に駆けつけたのである。
 ひとりは、3回結婚して、4人目を探していいて、もう一人は、料理研究家で、ひとりもの。
 まぎれもなく3人は、中年なんだけれど、中年っていいじゃないと感じさせる。
 ドナのことを心配をしたりしている。

 父親にあったら、すぐインスピレーションによってわかるわとソフィは思っていたが、実は、わからない。

 混乱をする娘、そして、もっと狼狽し、3人を追い返そうとするドナ。
 
 わたしが、この映画で、感激をしたのは、ドナなどを道徳的に批判をしたり、倫理的な批判をしないことである。

 自由奔放だったのねとは、なっているけれど、決して、娘も娘のともだちもあっぱれという感じではあっても、道徳的に批判をしたり、眉をひそめたり、こそこそ話をしたりしないのである。

 バージンロードをパパと一緒に歩きたいというソフィの願いは、果たしてかなえられるか。

 3人の男たちは、当時、自分のことはわかっても他の人のことは、知らない。
 3人の男性がいたと知っても、そのことで、悩んだり、詮索をしたり、ましてやドナを問いつめたりなんて起きないのである。
 日本のドラマだと、こんなにあっけらからんとはならないのでは。
 3人の男は、他に同じ時期に男がいたということにショックを受けるのではないか。
 また、父親が3人のうち誰かわからないと聞いたら、女性も含めて、「あら、ふしだらな。」「何を考えているのかしら。子どもがかわいそう。」となるのではないか。

 ソフィにドナが言う。
 「妊娠をしたことがわかったら、母親に帰ってこなくていい。」と言われたのよと。
 ドナは、親に勘当をされていたのだ。

 この映画は、母親の再出発と娘の再出発を描いている。

 わたしも名前を変えたくないなどの思いから結婚届を出さずに、子どもを生み、娘がいる。
 だから、とりわけ感情移入し、楽しく見た。

 母と娘という視点から、映画を見ることができるし、中年の醍醐味、人生の再出発、だめだったことも含めて、若いときの失敗や反省や悔いもも含めて全部自分の人生という気にもさせてくれる。
 奔放だった母親としっかり者の娘というのもおかしいな。 
 自分のいたらなさも含めて、全部自分の人生と。

 この映画は、劇場版も含めて、女たちの制作者で作られている。
 お互いの人生に心を寄せるシスターフード、女たちの友情に元気になる。

 わたしもとてつもなく元気になった。

 この映画に貫かれているのは、いろんな愛である。
 男女間の、母親と娘の、父親と娘の、男どおしの女どおしのおぬし、やるなあという友情、いろんな様々な愛が描かれている。
 そして、お互いの人生を大切にするということも。

 中年っていなあと思わせてもくれる。
  
 メリルの歌、特に、結婚式の直前に、サムに向けて、ドナが愛の破局について、「何もかも勝者が奪っていくのよ。もうやめましょう。悲しくなるから。」と歌う「ザ・ウィナー」の切々さとど迫力には、心を打たれた。

 ソフィのキュートさも素晴らしい。

 女であることが、楽しいなと思わせてくれる映画。
 人生っていいなと感じさせてくれる映画。
 他人を許すことの大切さ、一生懸命生きる素晴らしさ、特に、若いときなど、若気の至りやいたらないことがいっぱいで、失敗も反省すべき点もあるけれど、後悔はしないということ。
 普通の女たちが、歌って、踊る。

 見終わった後、すべての人にやさしくなれる。
 


  
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チェ 28歳の革命

1月18日(日)
「チェ 28歳の革命」の映画の感想。
主演 ベニチオ・デル・トロ、デミアン・ビチル
監督 スティーヴン・ソダーバーク
 
 スティーヴン・ソダーバークは、1963年生まれ。わたしが初めて見た映画は、「セックスと嘘とビデオテープ」、孤独みたいなものが、描かれていて、面白かった。
 その後の「エリン・ブロコビッチ」などを見る。
 天才だと思っているが、今回の映画は、後半を描いたこれから公開される映画も楽しみになる映画。
 
 キューバ革命の困難とみんなで力を合わせてバチスタ軍事政権を倒したてきまでが描かれている。街では、ゼネストが起き、地方では、蜂起が起きている。
 様々な勢力が、力を合わせて、革命を成功をさせるまでが、丁寧に描かれている。

 当時、キューバは、ごく一部の者が、富を独占し、農民は苦しみ、識字率は低く、軍事政権による虐殺や弾圧が続いていた。
 カストロとチェ・ゲバラなどのゲリラ戦争が描かれている。
 銃撃戦が続く何年もの間が描かれる。
 チェは、医者で、みんなの看病などもする。喘息の病気を持ち、休んでいるときは、本を読んだりする物静かな面も持っている。
 仲間が、負傷をすると、みんなで担架に乗せ、必死で運び、必死で看病をする。
 どうやって、ゲリラ戦に勝利をしたかが、描かれている。

 銃撃戦で、仲間や敵である同国人が多く亡くなっていくのは、見ていて辛い。
 当時、軍事政権を倒すためには、このような方法しかなかったかもしれないが。

 村の女性を強姦をしたゲリラの仲間は、規律を乱したとして、銃殺をされる。
 
 人間チェ・ゲバラの暖かさが伝わってくる。
 行く先の村人たちが、医者でもあるチェのところにやってくる。「どこが悪いのか?」と聞くチェ。それに対して高齢の女性は、「わたしは、一度も医者を見たことがないので、医者を見に来た。」と言う。
チェは、「わたしは、あなたの医者だ。」と答える。嬉しそうにするその女性。

 若い仲間に対して、勉強をしろというチェ。 
 
 相手方が降伏をした後、車で移動をする。みんなでジープのような車に乗ってハバナに移動をしているときに、米軍が残した真っ赤な派手な車に乗って、得意満面浮かれて移動するわかいゲリラの人たちを叱責をするチェ。
 チェにしたら、これからが革命だ、浮かれるなということなのだろう。

 チェは、キューバ革命後、産業相になる。
 1964年、国連総会で、キューバ代表として、歴史に残るスピーチをする。
 
 この映画では、出てこないが、1965年2月24日、チェは、第回アジア・アフリカ会議で、のちに伝説となる演説を行う。ソ連陣営を利己的で、暗黙のうちに現行の世界経済の法則に便乗をしていると批判をしている(「チェ・ゲバラ」ジャン・コルミエ著、太田昌国監修、創元社刊より)。

 チェは、カストロに別れの手紙を書き、ボリビアに出かける。
 
 わたしの日常からしたら、正直ゲリラ革命は、遠くに思える。
 しかし、人間チェや熱い思いは、伝わってくる。

 インタビューのなかで、チェが言う言葉が印象的だ。

 「真の革命家は、偉大なる愛によって導かれる。人間への愛。正義への愛。真実への愛。愛のない真の革命家を想像することは不可能だ。」

 この愛という言葉が一番印象に残っている。
 チェは、キューバの政権で、要職についていたにもかかわらず、拘泥せず、キューバからいなくなって、ボリビアのなかで、がんばろうとする。
 その潔さや愛が人々の心を打つのだろう。
 わたしも偉大なる愛によって導かれるということをかみしめて生きていきたい。
 
 先日、チェのお嬢さんが、キューバから、来日して、講演をされ、話を聞くことができた。
 モザンピークに行ったときに、みんなで自主的に運営をしている農場を訪れた。
 その農場の名前は、チェ・ゲバラ農園というものであった。モザンピークは、かつて社会主義国であった。人々が、チェの名前をアフリカでつけていることを、この映画を見ながら、改めて思い出した。
 世界の多くの人が愛しているのだ。

 
 


   
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素晴らしい本を読んでいる

12月1日(月)
 もう12月。
 選挙にむけてもがんばっていかなくっちゃ。

 荒このみさんが、ご自身が、翻訳し、編者をされている「アメリカの黒人演説集」(岩波文庫)を送ってくださった。電話で、お礼を言い、話をする。キング、マルコムX、モリソン、そして、オバマの演説など、21が収録されている。面白い。オバマの演説の素晴らしさについても話をする。 
 ステレオタイプではなく、独創性に富み、そして、ネガティブではなく、未来に向かって開いていこうとする演説なのである。
 対話を重視し、いろんなものを統合していこうとする資質は、前の演説においても込められている。
 面白いし、わたし自身勉強になる。

 阿部彩さんの「子どもの貧困ー日本の不公平を考えるー」(岩波新書)を読む。
 
 「地球とわたしをゆるめる暮らし」(枝廣淳子著、大和書房刊)は、ゆったりなり、ヒントがいっぱい。

 「ルポ労働と戦争ーこの国のいまと未来ー」(岩波新書)もこういう視点を持ってとりくまなくっちゃと勉強になる。

 
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太鼓たたいて笛ふいて

11月30日(日)
 井上ひさしさん原作の「太鼓たたいて笛ふいて」の演劇を見ました。
 
 作 井上ひさし、演出 栗山民也 
 主演 大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代、神野三鈴、阿南健治、山崎一

 えっ、林芙美子さんて、こんな人だったの!という驚き。
 10代の頃、「放浪記」を読んだ。子どもの頃、林美智子さん主演で、NHK朝の連続ドラマ小説をやっていたっけ。

 この演劇は、「ものを書く責任」を描いている。
 そして、人々のすべての人の「時代と歴史に対する責任」を描いている。

 登場をするのは、6人。
 この6人が、時代に翻弄をされながら、必死で生きていく。
 舞台は、1935年から始まる。林芙美子は、売れっ子作家である。
 大竹しのぶさんが、はすっぱで、必死で、まっすぐで、真っ正直で、突き進んでいくバイタリティーあふれ、ちょっとどこか下品な林芙美子をみごとに演じている。

 売れっ子の林芙美子は、従軍作家として、従軍し、文章を書き、ラジオに出る。
 国内の人々は、戦地のことを知らないから、知りたがり、また、鼓舞される。
 時代の物語にすっぽり林芙美子がはまっていく。

 第2幕目は、様相が変わってくる。1945年の冬。疎開をしている信州の志賀高原で、林芙美子は、村の集まりで、「ここまできたら綺麗に負けるほかない。」と言い、物議をかもすことになる。権力ににらまれる。
 
 何度も従軍をしているうちに、戦争の実相に心を打たれ、真実がわかるのである。
 それを隠したり、うまく取り繕わない、とりつくろえないのが、林芙美子である。

 「太鼓たたいて笛ふいて」人々を戦争へ、戦争へと煽動し、鼓舞をしたからこそ、胸をかきむしるような思いで、特に、戦後は、戦争に傷ついた人々をこれでもか、これでもかとひたすら書いていく。「書かなきゃ」と書いていく。
 中途半端なインテリだったら、ごまかすだろうし、頬かむりするだろうし、知らんぷりして、発言を変えるだろう。また、変わった「新しい時代の歌」を歌うだろう。しかし、林芙美子は、不器用なくらい、「暗い」と言われながら、戦争で傷ついた人々のことを書いていくのである。
 
 木場勝己さん演ずる三木孝は、調子のいいマスメディアをうまく表現をしている。
 何と言っても彼は、はじめは、レコード会社のプロデューサーだったのが、日本放送協会にはいり、情報局(内閣情報部が改組してできた機関)にはいり、戦後は、また日本放送協会に戻る。
 林芙美子に、「戦争は儲かる。」とささやき、彼女を鼓舞し、彼女と一緒に「太鼓たたいて笛をふく」のだが、あらま戦後はそんなこと全く関係ないように、「新時代」向きの番組を作ってさわやかに生きていくのである。
 「おかしいなあ。」「これでいいのかなあ。」と思いながら、メディアも含めて、ひとつの時代に突き進んでいく様子がよく描かれている。

 国会のなかだって、たとえば、こっそり、「福島さん、社民党はがんばって、憲法9条を守らないとだめだよ。」という自民党の議員がいたり、小泉構造改革が吹き荒れているときであっても、参議院のなかでは、そのことにかげでブーブー言う自民党の議員はいたのである。しかし、それが、はっきり公的な議論になり、自民党の政策を変えることにはならなかった。
 
 国会にいると、「もっとまじめにやれ!」と怒鳴りたくなることがしょっちゅうである。
 賛成をしていないのであれば、はっきり意見を言うべきである。

 今の時代でも、国会の内外を問わず、「何となく時代の流れ」「時代の物語」にどどっと流されていると思うことがしょっちゅうである。2大政党制の流れについてしかり、憲法をめぐる議論についてしかり。
 小泉構造改革が吹き荒れたとき、わたしは、「改革の方向が違う」「このような労働法制の規制緩和や2200億円の社会保障費のカットは、格差を拡大し、貧困を生む」と主張をした。結果は、その通りになった。
 では、太鼓たたいて笛吹いて儲けた人たちは、責任をとったか?  

 太鼓たたいて笛ふいてということは、ジャーナリストや物書きの人々についてだけ言われているのではない。
 これは、やっぱり一人ひとりに対しても言われているのだと思う。

 そして、今の問題なのである。

 わたしが、井上戯曲に感動をするのは、難しい話を難しく語らず、大きな話をいかにも大きく語らず、時には、ユーモアをまじえ、立体的に構築し、しかも救いがあるからである。げらげら笑っているうちに、「ちょっと待てよ。」と考えることになる。

 林芙美子さんは、根っから、人々から生まれ、だからこそ、人々のために、書き続けたのだろう。
 登場人物6人の人生が、それぞれ語りかけてくる。
 時代に乗せられ、人々を巻き込む責任、時代に乗りたい弱さと欲、知りながら頬かむりをすること、調子の良さ、戦争などに翻弄される苦しみや悲しみなどいろんなことがつまっている。

 林芙美子さんの母親役の梅沢昌代さん(うまい!)と阿南健治さん、山崎一さんの3人で、ど迫力で歌う「行商人の歌」が圧巻。朴勝哲さんのピアノに合わせて、みんなで歌い、踊る楽しい劇でもある。 
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「トウキョウソナタ」

11月27日(木)
「トウキョウソナタ」という映画を見た。その感想です。

主演 : 香川照之、小泉今日子

 とんでもないおとうさんである。どこにでもいそうなおとうさん。身につまされる
ものもあり、笑ってしまうところもある。また、今の時代の悲しさや問題点をうまく
映像にしている。今の日本は、いろんな問題がありながら、映画にはなかなかならな
い。映画にするには、難しいのかなあと思っていた。だから、この映画は、嬉しかっ
たし、面白かった。

 おとうさんとおかあさん、そして、大学生の息子と小学生の息子の4人家族。2階
建てのマイホームに住んでいる。

 おとうさんは、会社の総務課長。しかし、企業が、中国に進出するに際し、総務課
長として、リストラにあう。

 突然の失職。

 しかし、家族には、リストラされたことをどうしても言えない。毎日、会社に行く
ふりをして出かける。ハローワークに行って、面接を受けると、「今までと同じ条件
のものは、絶対にありません。」と言われる。面接を受け、「何ができますか?」と
言われ、総務課長だった彼は、「人をまとめること」などと言った漠然としたことし
か言えない。
 
 ワンマンなおとうさん。  

 小学校の息子は、実は、ピアノが習いたい。

 しかし、おとうさんは、「ピアノなんて」と大反対。聞く耳をもたない。

 こっそりピアノを習い始める息子。

 才能はあるのだ。 

 習っていることがバレてしまう。

 母親は、「習わしたらいいじゃない。」と父親に言うが、頑固な父親は、納得しな
い。

 「いったん駄目と言ったことをくつがえしたら、親の権威がなくなる。」と愚か
な、形式にこだわる。

 「なぜウソをついていたのだ。」と息子に対して、烈火のごとく怒る。

 「ウソをつくことが許せない!」と怒り、息子を殴ったりする。

 ここで、映画を見ている人は、「おとうさん、あなただって、何ヶ月も家族にウソ
をついているじゃん!」と突っ込みたくなる。

 まあ、父親の権威というのを振りまわすおとうさんなのである。
 

 大学生の息子は、大学を中退し、米軍に日本人として、志願をしていく。イラクに
日本人として、米軍に参戦をしていく息子。

 心配をする母親。

 出かける前に、バス停まで、送っていく母親。

 息子と話をする。

 息子は、母親に言う。「離婚をしたら。」

 一瞬の間があって、母親は言う。「おかあさん役も悪いことばっかりではないの
よ。」と少し笑って、いたずらっぽく言う。

 うーん。

 夫婦の関係も、おとうさんの問題もみ~んな家族に、子どもたちにわかられちゃっ
ているのだ。

 父親は、大きなスーパーで、清掃の仕事につく。このことを家族には、内緒にして
いる。

 このスーパーのトイレの個室で、掃除をしている最中に、封筒にはいった札びらが
落っこちているのを発見。

 こっそり、トイレの個室から、外を伺う香川照之。

 このときの、一見無表情の顔が面白い。

 「誰か外にいないかな。」と。

 香川照之は、ダステン・ホフマンみたい。

 うまい。

 これから、また、話がころがっていく。

 母親の悩みも深い。

 ほっとかされているわけだから。

 どこにでもあるような、どこにもない物語。でもやっぱりどこにでもあるような家
族の物語。

 小学校の教室での子どもたちの態度とがきっぽい担任の態度もこれまた今風だ。

 今の日本には、様々な問題があり、どれもこれも大変なことが多い。

 それをあれでもか、これでもかと描く必要はないけれど、映画は、やさしい母親、
やさしいおばあちゃんを描くというものばかりではないだろうという気がしていた。

 家族の本当のことなんて、外には見えないのだ。

 電車に乗り、背広をきているサラリーマンだって、内面がどうなのかということ
は、外からは、伺いしれないものがあるかもしれないのだ。

 リストラや自殺やホームレスやハローワーク。

 面接に行った若い面接官から、軽くあしらわれる中年のサラリーマン。
 
サラリーマンの現在や悲哀、家族との関係を描く映画として、面白かった。
 
 家族の描き方としては、母親の悲しみと怖さを描いていた今年の映画は、「歩いて
も 歩いても」だった。

 そして、この「トウキョウソナタ」は、今、現在の家族の問題を描いた意欲作だ。

 そしにしてもおとうさん役の香川さんは、最高で、笑ってしまった。


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「ウォー・ダンスー響け僕らの鼓動」

「ウォー・ダンスー響け僕らの鼓動」

 舞台は、アフリカの東部にあるウガンダ共和国。
 1970年代に強権を振るっていた悪名高い独裁者のアミン大統領。
 1979年の失脚後、社会に変化が生じたが、他方、北部を中心に反政府軍による
ゲリラ活動が続いている。
  
 この映画は、ドキュメンタリーであり、その北部の難民キャンプにいる子どもたち
の再生の物語である。
 
 子どもたちは、ひとり一人それぞれ傷ついている。
 わたしは、 少年兵の話を読んだりしてきたけれど、ああ、こういうことだったの
かと改めて思った。
 
 政府軍と反政府軍は、戦っている。  
 反政府軍は、自分たちの勢力拡大のために、子どもたちを誘拐し、少年兵に仕立て
ていく。
 子どもたちが、小学校に避難し、立てこもっているところに、ゲリラ軍がやってく
る。
 誘拐をされる子どもたち。
 子どもがいなくなって、家族が悲しもうがどうか関係ない。
 子どもたちは、兵士になり、人を殺すことも戦うこともやらされる。
 
 仲間であった村人をなぶり殺すことを強要をされ、心に傷を負う子どもたち。集団
殺戮の場面に立ち合ったり、手を汚したり。親をそんななかで、亡くした子どもがい
る。

 そこで、救出などをされ、難民キャンプにやってきたのだ。
 
  ウガンダ全国で、小学校の音楽と踊りと民族ダンスのコンクールがある。そのコ
ンクールに、その難民キャンプの小学校の子どもたちが、参加することになった。
 楽器もろくろくないけれど、猛練習をする子どもたち。
 特訓をするためにやってきた先生に期待をされ、輝いていく子どもたち。
   
 子どもたち一人ひとりがそれぞれ重い口を開き、それぞれの辛い体験を少しずつ
語っていく。
 音楽とダンスが、少しずつ子どもたちの癒しになっていく。
 手作りの木琴で、素晴らしい音を出す子ども。
 
 みんなでトラックに乗って、初めて首都に行く。武装対立があるので、警備されな
がらの強行軍である。
 ビルなどを見て、びっくりする子どもたち。
 前年度の優勝校の子どもたちの練習を見ると、服は新しいし、かっこいいし、少し
気後れする子どもたち。
 政府軍と反政府軍が武装対立をする北部からやってきた小学校の存在に、他の子ど
もたちはびっくりする。「北部の裏切り者」なんて言葉が飛んだりする。
 難民キャンプから、やって来れるなんてみんな思ってもいなかったのだ。

 子どもたちは、難民キャンプの子どもではなく、一人ひとりの子どもとなる。

 コンクールの結果やいかに。

 歌と踊りと民族ダンスが素晴らしい。
 子どもたちの辛いけれど、回復の物語だ。
 みんなで、また、トラックに乗って、難民キャンプ帰って行く。

 音楽をする前と後で子どもたちが変わる。
 コンクールに行く前と後で子どもたちが変わる。

 わたしは、南アフリカ共和国に行ったときのことを思い出した。音楽と歌が楽し
かった。小学校を訪問したら、子どもたちがどんどん歌ってくれた。自発的に、全く
自由に。
  
 子どもたちを誘拐し、家族が悲しむことも全く考えず、単に兵力増強しか考えない
大人たち。
 背負いきれないほどのものを背負って、傷を負って生きる子どもたち。加害者でも
あり、被害者でもある子どもたちは、その両方に苦しんでいる。また、親や兄弟は、
殺されているか、消息不明であり、恐ろしく孤独でもある。
 
 子どもたちが、みんなで力を合わせて、練習をする場面が素晴らしい。コンクール
の緊張も。誇らしげな顔も。

 希望と再生の物語である。 
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最近、見た映画

11月8日(土)
 最近、見た映画で、面白かったもの。
 「トウキョウソナタ」「アイズ」「ウォー・ダンスー響け僕らの鼓動ー」「私は貝になりたい」など。
 
 「トウキョウソナタ」は、リストラにあってしまったおとうさんが、ハローワークに通いつつ、家族には一切言えないというところから始まり、夫と妻、2人の息子のそれぞれが描けていて、今の日本のある種の家族をある意味、切なく、どっかとぼけて、どっかコミカルに、どっか残酷に描いていて、面白い。いろんな意味で、身につまされると思う人はいるのて゜はないか。
 夫と妻が、それぞれ別のシーンで、「人生を(どこからか)やり直したい」とつぶやくのが切ないし、見事。
 香川照之のどっか放心したようなとぼけた感じと小泉今日子の不思議な味と殺伐とした時代とままならない人生を送る大人と自分勝手な大人をうまく描いている。

 ひき逃げのシーンなんて、今のひどい時代をまさにあらわしている。










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おくりびと

9月23日(火)
おくりびと
監督 滝田洋二郎 出演 本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、吉行和子、笹野高史
 
 チェロの奏者だったにもかかわらず、交響楽団が解散をしてしまって、故郷の山形庄内地方に帰る。酒田という設定か。
 ここで、偶然、納棺師をしている山崎努のアシスタントをする羽目になる。妻には、言えず秘密にしていたが、ばれてしまい、妻の反対にあう。
 納棺師の仕事、そして、見送る家族の表情や思い、人の人生、家族ということが、淡々と切々とそして、不思議なリアル感で描かれる。
 死が終わりでなく、旅立ちに思えてくる。
 力作。
 お棺をのぞき込み、「おかあさん」と泣く、中学生か高校生の女の子、子どもを見送る親、自分と母親を捨てて、駆け落ちをした父親がその後一人亡くなって、その父親の顔をのぞき込む息子。
 人生がシンプルに思えてくる。
 さよならだけが人生だとも思えてくる。

 いろんな人のお葬式に行く。最近でも久保田真苗さん、加藤万吉さん、中島通子さん、若桑みどりさんなど。友人の親御さんが、亡くなっていくこともあれば、社民党の党員が亡くなって駆けつけることもある。先輩が亡くなれば、これまた駆けつける。

 いろんな人のお顔にさようならを言ってきた。ありがとうと言ってきた。
 そして、そのとき、納棺師という職業があるとは、意識をあまりしなかった。
 パンフレットに、「納棺師ーそれは悲しいはずのお別れを、やさしい愛情で満たしてくれるひと。」とある。
 静かに、人生のこと、生きるということを考える。
 シンプルというのは、人は、お棺のなかに、何も持ってはいれないからだ。

 もっくんが健闘。
 それにしても山崎努さんの怪物ぶりはすごい。
 黒沢明監督の「天国と地獄」に確か出ていたっけ。
 それから月日が流れ、すごい存在感の俳優になっている。
 「クライマーズ・ハイ」の新聞社のワンマン社長ぶりはすごかった。怪物。
 いい映画。
 映画を見た後もずっーと考えている。
 日本映画のすごいいいところ。
   
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押井守監督の作品にはまっています

9月1日(月)
 昨日と一昨日は、沖縄。
 2区の照屋寛徳さんと3区の新川秀清さんの応援。
 タクシー業界の人たちと漁業従事者の人、農協の人たちから、実情のついて話を聞き、要請を受けた。
 タクシーにしても東京とは、全然違うということもよくわかったし、また、漁業にしても制限水域が、沖縄で、全国の70%を占めるということも知って本当に驚いた。
 全国の基地のうち、沖縄に75%以上集中をしている。
 そのことは、もちろん知っていることだけれど、米軍や自衛隊が訓練をするために、海面も漁民や一般の人がはいれないように、制限水域が設けられていて、その大部分が沖縄に集中しているのである。

 押井監督の「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」を昨日見る。
 「凡人として生きるということ」「他力本願」を読む。
 失敗も挫折も人生のチャレンジのうちという話に励まされる。
 
 
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スカイ・クロラと崖の上のポニョ

8月27日(水)
 最近、DVDで、チェンバー、わたしは告発をするなどの映画を見ている。
 ある映画の審査員をしていることもあり、実は、映画を見ることが大好きである。 
 これは、議員になる前から、やっているので、引き続きやっている。
 圧倒的に、日本映画を見るようになった。

 「スカイ・クロラ」と「崖の上のポニョ」のことを考えている。
 キネマ旬報8月号は、この両者の特集、別冊宝島は、スカイ・クロラと押井監督の特集である。
 
 わたしが、宮崎駿監督の作品が好きなのは、のびのびしたむ気持ちや前向きな気持ちになれるからである。
 彼の作品は、やはり、人が生きることを肯定し、励ましてくれる。
 アニメージュに、連載をされた風の谷のナウシカは、すごく深いけれど、映画もそうだだが、絶望的な状況で、身を乗り出していくナウシカにやはりとてつもなく励まされる。
 
 「もののけ姫」のコピーは、「生きろ」だったし、「千と千尋の神隠し」だって、わたしも、橋を渡ってこっちに来たんだし、働かないと豚になるから、こっちに来た以上、がんばらなっちゃと思ったものだ。

「耳をすませば」のテーマソングは、ユーミンだった。
 女の子への肯定感、のびのびした気持ちになるというのは、楽しい。
 「足長おじさん」ではないけれど、ある種の女の子の成長物語。
 
 「アルプスの少女ハイジ」「未来少年コナン」も子どもたちの躍動感、自由さ、輝きに満ちている。
  
 ポニョを見て、「アルプスの少女ハイジ」を思い出した。
 ポニョが、駆けていくシーンは、まさに、ハイジが、「ペーター」と言って駆けだして行くのに似ている。
 無邪気に、そうしたいから、そうするという肯定感。

 今の社会や、不信や不安や遠慮や恐怖があるから、ばっーと駆けていくことを、何かを信頼したり、何も考えずに愛したりすることが、一見難しくなっている。
 居場所がない感じ。
 そんな時代だからこそ、子どもたちを励ましたくて、こんな映画を作ったのではないか。

 わたしは、単純な人なので、映画を見て元気になった。
 波の上をとびっきりの笑顔で、走るポニョのように、わたしも駆けていこうと思ったものだ。

 そして、「スカイ・クロラ」である。
 この映画のことをずっーと考えている。
 生きている実感が持てないことや、深刻なことも毎日ものすごいスピードで過ぎていって、いちいち打ちのめされては生きていけないことや、ある種の閉塞感は、とてつもなくわかる。
 
 戦争も、どこかで、誰かがやっているのだけれど、それをどうとめたらいいのか。
 戦争の実感さえ薄くなっていく。
 日本は、今、現に、イラク戦争に加担しているのだけれど、そんな意識は、まだまだ薄いかもしれない。
 この映画のように、人々は、公共事業としての戦争をささえながら、キルドレが死ぬと、「かわいそう」などと言う。
 讀賣新聞に、この映画のなかで、使われている新聞が実物大で載っていて、面白かった。
 戦争請負人的な存在、国家のあり方、大学3年生の2割が、「戦争会社」で働きたいと言っていることなどが採り上げられていて、おどろおどろしい感じが良く出ている。
 広告も、戦争のことや戦争会社のこと。
 今の社会を戯画化している。
 
 絶望のなかでの希望。

 しかし、そのことが、描かれている。
 そして、超一級の恋愛映画だ。

 優一は、水素に対して、糾弾も究明もしない。
 ひたすら優しい。
  
 別冊宝島に、押井監督のインタビューが載っていた。
 人の人生にかかわり、思い、背負い、生きていく。
 
 「僕が言っているのは、死ぬのが人生だということなんです。
 誰かとかかわることが生きるということなんです。」

 生きていく実感をとてつもなくもちにくい今の社会。
 生きることも死ぬこともものすごい実感ありとも言えるけれど、ものすごくないとも言える。
 ある種の時間をもらい、その時間を生きていく。
 生きている間、かかわりを持てることは、無限にあり、また、ごく限られてもいる。
 
 2人の監督も作品も、180度違うけれど、「生きろ。大丈夫だ。」と言ってくれている気がする。
 
 
 
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