
2月8日(木)
「赤い鯨と白い蛇」
せんぼんよしこ監督、製作総指揮 奥山和由 脚本 冨川元文
千葉県の館山を舞台に繰り広げられる4世代にわたる決意と思いを描いた映画と言うべきか。
孫娘(宮地真緒)は、祖母(香川京子)をおじのうちに送っていこうとするなかで、祖母が、第2次世界大戦中に疎開して住んでいた古い大きな家に立ち寄る。
その家は、来月取り壊されようとしていた。
その家の現在の住人である女性(浅田美代子)は、小学生の娘(坂野真理)と2人暮らし。数年前に家を出ていった夫のことが忘れられないようなふっ切って区切りをつけたいような微妙な精神状態である。「どうか泊まっていって下さい。」と気前良く、立ち寄った祖母と孫娘のコンビに言う。
そこへかつてその家に住んでいたことのあるもう一人の女性(樹木希林)がやってくる。インチキ健康食品を売りつけて、売った人間たちの苦情から逃れようとしている。彼女の演技が、映画「かもめ食堂」のもたいまさこの登場のように、急におかしさとユーモアとコミカルさをかもし出し、画面が生き生きしてくる。
そろった女性たち5人。
問わず語りに語られるそれぞれの思い。
なんか「かもめ食堂」と「紙屋悦子の青春」の2つの映画を思い出した。
香川京子は、ほんの少し痴呆が始まりそうになっている。そして、思い出そうとしていることがある。
そして、その家にいることで思い出す。
海軍の特攻隊の人が恋人にいて、その人は、脱走兵そのまま逃がしたために射殺をされるのである。
もう敗戦色濃い終戦日の数日前のことである。
そして、香川京子は、彼の日記などを巨大な洞窟のなかの地中に埋めたことを思い出す。
彼女は、「自分が彼のことを記憶していなければ」と思っている。
自分が記憶している限り、彼は、彼の思いは生きていると。その人は、また、若い彼女に、「正直に生きて」と言ったのである。
ここには、戦争とその記憶というテーマが語られている。
確かに、悲惨な戦争の記憶をどうわたしたちは、記憶し、伝えていくかという時代にわたしたちはさしかかっている。
女たちの思いやりと逆に遠慮のなさとが交差する会話。古い家のなかで、みんなは、不思議と自分の人生と向き合うことになる。「正直に生きる」ということは一体どういうことなのか、それぞれの女が問われることになる。
「わたしが覚えているのだ。」という香川京子の決意。この思いをきちんと持って戦後の60年以上を生きてきたのだ。こんな思いを抱えて、戦後を生きてきた人たちは、無数にいて、無数の記憶があるのだ。
ところで、わたしは、館山にいったときに、丁寧に作られた洞窟のなかに入ったことがある。
館山は、海軍航空隊の特攻隊の訓練をするところであり、また、海の湾岸の形から、米軍の上陸がまずあると考えられたところである。
洞窟は、巨大であり、天井は高く、また、竜などの掘りものが丁寧に天井にされていて、指揮をする場所として作られたものである。
現在はいっても、60年前に引き戻されるようだった。
この洞窟を掘った人などの思いを暗い洞窟のなかで考えた。
こんな素敵な反戦映画もあるよと言いたい。
戦争を経験した人の数だけ、思いと経験と記憶と辛さがある。
「赤い鯨と白い蛇」
せんぼんよしこ監督、製作総指揮 奥山和由 脚本 冨川元文
千葉県の館山を舞台に繰り広げられる4世代にわたる決意と思いを描いた映画と言うべきか。
孫娘(宮地真緒)は、祖母(香川京子)をおじのうちに送っていこうとするなかで、祖母が、第2次世界大戦中に疎開して住んでいた古い大きな家に立ち寄る。
その家は、来月取り壊されようとしていた。
その家の現在の住人である女性(浅田美代子)は、小学生の娘(坂野真理)と2人暮らし。数年前に家を出ていった夫のことが忘れられないようなふっ切って区切りをつけたいような微妙な精神状態である。「どうか泊まっていって下さい。」と気前良く、立ち寄った祖母と孫娘のコンビに言う。
そこへかつてその家に住んでいたことのあるもう一人の女性(樹木希林)がやってくる。インチキ健康食品を売りつけて、売った人間たちの苦情から逃れようとしている。彼女の演技が、映画「かもめ食堂」のもたいまさこの登場のように、急におかしさとユーモアとコミカルさをかもし出し、画面が生き生きしてくる。
そろった女性たち5人。
問わず語りに語られるそれぞれの思い。
なんか「かもめ食堂」と「紙屋悦子の青春」の2つの映画を思い出した。
香川京子は、ほんの少し痴呆が始まりそうになっている。そして、思い出そうとしていることがある。
そして、その家にいることで思い出す。
海軍の特攻隊の人が恋人にいて、その人は、脱走兵そのまま逃がしたために射殺をされるのである。
もう敗戦色濃い終戦日の数日前のことである。
そして、香川京子は、彼の日記などを巨大な洞窟のなかの地中に埋めたことを思い出す。
彼女は、「自分が彼のことを記憶していなければ」と思っている。
自分が記憶している限り、彼は、彼の思いは生きていると。その人は、また、若い彼女に、「正直に生きて」と言ったのである。
ここには、戦争とその記憶というテーマが語られている。
確かに、悲惨な戦争の記憶をどうわたしたちは、記憶し、伝えていくかという時代にわたしたちはさしかかっている。
女たちの思いやりと逆に遠慮のなさとが交差する会話。古い家のなかで、みんなは、不思議と自分の人生と向き合うことになる。「正直に生きる」ということは一体どういうことなのか、それぞれの女が問われることになる。
「わたしが覚えているのだ。」という香川京子の決意。この思いをきちんと持って戦後の60年以上を生きてきたのだ。こんな思いを抱えて、戦後を生きてきた人たちは、無数にいて、無数の記憶があるのだ。
ところで、わたしは、館山にいったときに、丁寧に作られた洞窟のなかに入ったことがある。
館山は、海軍航空隊の特攻隊の訓練をするところであり、また、海の湾岸の形から、米軍の上陸がまずあると考えられたところである。
洞窟は、巨大であり、天井は高く、また、竜などの掘りものが丁寧に天井にされていて、指揮をする場所として作られたものである。
現在はいっても、60年前に引き戻されるようだった。
この洞窟を掘った人などの思いを暗い洞窟のなかで考えた。
こんな素敵な反戦映画もあるよと言いたい。
戦争を経験した人の数だけ、思いと経験と記憶と辛さがある。
スポンサーサイト

