
2月26日(月)
フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督
アカデミー賞外国語映画賞をとる。
1984年、ベルリンの壁が崩壊する前の東ドイツの話。
場面は、取り調べから始まる。
友人を西ドイツに逃したという罪名で捕まった市民が48時間一睡もさせられず、取り調べを受ける。
泣きだす取り調べを受ける人間。
取り調べの極意を教室で伝達するウ”ィスラー。彼は、人々が恐れる国家保安省(シュタージ)の局員である。
睡眠をとらせないことがポイントなのだと冷徹に言う
彼は、党に忠誠を誓い、出世主義の友人とは、全く違っている。
彼は、劇作家のドライマンと恋人である舞台女優のクリスタが反体制的であるかどうか監視せよと命じられる
ドライマンは、体制内の作家と言われているが、彼の家への徹底的な監視体制がかけられる。
家のなかに多くの盗聴器をしかけ、しかも屋根裏部屋に盗聴部屋を作り、交替で陣どって、電話も部屋のなかの会話もヘッドフォンをつけて、しっかり盗聴をしていく。すべての音を聞き、逐次報告書を作っていく。ウ”ィースラーは、部下と交替で、音を聞き、監視していく。
聞こえてくるのは、ドライマンの友人で、国家から活動することを禁じられている演出家イェルスカに対する心配や自由や愛について、人への思いと社会に対する思いの会話である。
ドライマンとクリスタは、心を通わせて生きている。
友人たちとの会話、自由を求める心、根底にある愛と信頼関係、そんな会話を聞きながら、ウ”ィ―スラーの心は、変化していく。
イェルスカが自殺をする。ドライマンは、彼から贈られていた「善き人のためのソナタ」の楽譜をプレゼントされていた。心を込めて、「善き人
ためのソナタ」をピアノをひくドライマン。
「この曲を聞いたものは、悪い人になりえない。」と言う言葉をクリスタとかわしながら。
音楽に心を揺さぶられるウ”ィ―スーラ―。
ドライマンは、イェルスカの自殺に心を動かされ、東ドイツで、自殺者が多いという発表されていないデータや事実を西ドイツの雑誌に匿名で発表をしようとする。
このことがばれたら、銃殺刑ものである。
慎重にことを運ぶドライマンたち。
まさか盗聴されているとは思わないので、ドライマンのアパートでみんな話す。
ウ”ィ―スラーは、みんな知り尽くしている。
彼は、どうするか。
違法な薬を飲まないと自分に自信が持てない女優のクリスタ。彼女の弱い部分も含めて愛しているドライマン。
かつてクリスタは、ドライマンに対して、「あなたは、体制と寝ている。」と批判をしたことがある。
シャープな表現者として、また生き生きとしているクリスタ。それに対して、ドライマンは、ゆっくりとしかし着実に、社会と自由と自分のことを考え、ゆっくりとしかも着実に行動を起こす。
クリスタとドライマンの間の愛情と信頼と不信と国家権力によって脅されて変わっていくクリスタ。
人の不思議さや気持ち、不安や恐れ、絶望と希望を精緻に豊かに描いている。
わたしは、この映画を見るのが、途中とても辛かった。国会のまわりは、特に監視カメラがずらりと並び、盗聴法も成立し、社会全体も監視社会が作られつつある。
そんななかで、生きているので、監視社会の問題や権力と自由という問題はとてつもなく切実だ。
法律相談などをしていると、「わたしは盗聴されている。」という相談を受けることがあった。被害妄想であることもあると思うけれど、人々がそういう不安感を持ってしまう社会でもあるということだ。みんなが不安に思う社会であることは間違いない。そして、運動家や活動家、政治家、ジャーナリスト、芸術家、文化人は、特に、ターゲットになっているかもしれない。この映画のように。
人と人が触れあうことで、人は変わるのだ。そのことを信じてやっていきたい。
うーん。いろんなところで、「善き人のためのソナタ」を流そうかななんて思いました。
フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督
アカデミー賞外国語映画賞をとる。
1984年、ベルリンの壁が崩壊する前の東ドイツの話。
場面は、取り調べから始まる。
友人を西ドイツに逃したという罪名で捕まった市民が48時間一睡もさせられず、取り調べを受ける。
泣きだす取り調べを受ける人間。
取り調べの極意を教室で伝達するウ”ィスラー。彼は、人々が恐れる国家保安省(シュタージ)の局員である。
睡眠をとらせないことがポイントなのだと冷徹に言う
彼は、党に忠誠を誓い、出世主義の友人とは、全く違っている。
彼は、劇作家のドライマンと恋人である舞台女優のクリスタが反体制的であるかどうか監視せよと命じられる
ドライマンは、体制内の作家と言われているが、彼の家への徹底的な監視体制がかけられる。
家のなかに多くの盗聴器をしかけ、しかも屋根裏部屋に盗聴部屋を作り、交替で陣どって、電話も部屋のなかの会話もヘッドフォンをつけて、しっかり盗聴をしていく。すべての音を聞き、逐次報告書を作っていく。ウ”ィースラーは、部下と交替で、音を聞き、監視していく。
聞こえてくるのは、ドライマンの友人で、国家から活動することを禁じられている演出家イェルスカに対する心配や自由や愛について、人への思いと社会に対する思いの会話である。
ドライマンとクリスタは、心を通わせて生きている。
友人たちとの会話、自由を求める心、根底にある愛と信頼関係、そんな会話を聞きながら、ウ”ィ―スラーの心は、変化していく。
イェルスカが自殺をする。ドライマンは、彼から贈られていた「善き人のためのソナタ」の楽譜をプレゼントされていた。心を込めて、「善き人
ためのソナタ」をピアノをひくドライマン。
「この曲を聞いたものは、悪い人になりえない。」と言う言葉をクリスタとかわしながら。
音楽に心を揺さぶられるウ”ィ―スーラ―。
ドライマンは、イェルスカの自殺に心を動かされ、東ドイツで、自殺者が多いという発表されていないデータや事実を西ドイツの雑誌に匿名で発表をしようとする。
このことがばれたら、銃殺刑ものである。
慎重にことを運ぶドライマンたち。
まさか盗聴されているとは思わないので、ドライマンのアパートでみんな話す。
ウ”ィ―スラーは、みんな知り尽くしている。
彼は、どうするか。
違法な薬を飲まないと自分に自信が持てない女優のクリスタ。彼女の弱い部分も含めて愛しているドライマン。
かつてクリスタは、ドライマンに対して、「あなたは、体制と寝ている。」と批判をしたことがある。
シャープな表現者として、また生き生きとしているクリスタ。それに対して、ドライマンは、ゆっくりとしかし着実に、社会と自由と自分のことを考え、ゆっくりとしかも着実に行動を起こす。
クリスタとドライマンの間の愛情と信頼と不信と国家権力によって脅されて変わっていくクリスタ。
人の不思議さや気持ち、不安や恐れ、絶望と希望を精緻に豊かに描いている。
わたしは、この映画を見るのが、途中とても辛かった。国会のまわりは、特に監視カメラがずらりと並び、盗聴法も成立し、社会全体も監視社会が作られつつある。
そんななかで、生きているので、監視社会の問題や権力と自由という問題はとてつもなく切実だ。
法律相談などをしていると、「わたしは盗聴されている。」という相談を受けることがあった。被害妄想であることもあると思うけれど、人々がそういう不安感を持ってしまう社会でもあるということだ。みんなが不安に思う社会であることは間違いない。そして、運動家や活動家、政治家、ジャーナリスト、芸術家、文化人は、特に、ターゲットになっているかもしれない。この映画のように。
人と人が触れあうことで、人は変わるのだ。そのことを信じてやっていきたい。
うーん。いろんなところで、「善き人のためのソナタ」を流そうかななんて思いました。
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