小田嶋隆さんと対談をしました
2008 / 03 / 24 ( Mon )
3月24日(月)
 先週の金曜日21日にコラムニストの小田嶋隆さんと月刊社民党の対談で、対談をした。
 今から20年ほど前になるだろうか、「TVブロス」などに小田嶋さんは、コラムを書いていらして当時から、どんな人なんだろうとファンであった。その後、いろんなところで、コラムを拝見し、「噂の真相」などでもコラムを読んでいたし、最近は、「読売ウィークりー」でコラムを読むことができる。
 わたしは、20年くらい前は、シカゴ・トリビューンのボブ・グリーンなどのコラムが大好きで、今でもいろんなコラムを楽しみに読んでいる。

 「テレビ標本箱」(中公新書ラクレ)や「人はなぜ学歴にこだわるのか」(知恵の森文庫)、「9条どうでしょう」(共著、毎日新聞社)などの本も面白かった。
コラムニストの小田嶋隆さんと対談


 文章を長年読んできた人と対談ができるなんてラッキー。
 前回は、96歳のお医者さんである日野原重明さんと対談をした。
 好きな人と話せて、本当にラッキーである。

 今夜もいろんな本を読もうっと。

 今、読んでいるのは、「幸福の法則一日一言」(宇野千代著、海竜社刊)である。
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潜水服は蝶の夢を見る
2008 / 03 / 24 ( Mon )
3月24日(月)
潜水服は蝶の夢を見る
監督 ジュリアン・シュナベール、原作 ジャン=ドミニク・ボービー
主演 マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ、マリ=ジョゼ・クローズ、アンヌ・コンシエ、マックス・フォン・シドー

 本当に見たかった映画。
 40代のジャン=ドミニク・ボビー(以下ボビーとする)は突然倒れてしまう。
 それまで、ELLE誌の編集長として、人生を謳歌していたのに、突然倒れてしまう。
 映画は、冒頭、徹頭徹尾ボビーの視点から描かれる。ボビーの目をのぞき込む人々。
 どうもここは病院らしい。自分はしゃべっているのに、どうも聞こえないようだ。
 体が動かない。
 3週間の昏睡状態から目がさめたのだ。医者は言う。ロックト・イン・シンドロームと。
 全く動けず、無言であるが、意識は鮮明であり、眼球運動は保たれている状態になる。
 動くのは左目だけである。
 一番の原因は、脳梗塞と言われている。

 彼には、支えてくれる人たちがいる。言語療法士アンリエットは、ボビーが左目はまばたきできることから、はいはまばたき一回、いいえはまばたき2回ということを考える。
 そして、頻度の多いアルファベットを読み上げ、その単語にくるとボビーはまばたきをする。声を出すことができず、また、指をさしたりできないために、この方法で、コミュニケーションをとっていく。
 「死にたい」というボビー。
 
 しかし、ボビーは、まわりの献身的な協力で少しずつ変わっていく。
 事実婚だったと思われる妻は、3人の子どもを連れてやってくる。
 海辺で子どもたちとたたずみ、子どもたちは遊ぶ。
 高齢になっていて、外出がままならない父は、病室に設置された電話に電話をくれる。ボビーは、耳は聞こえるので、まわりの人の介助があれば、電話をかけてくれた人と会話ができるのだ。

 ガールフレンドから電話がくる。
 つまり事実婚だった妻とは別れていて、ガールフレンドがいたのだ。

 子どもたちの母親である彼女は、ボビーとガールフレンドとの間の通訳をすることになる。
 数分間、席をはずしてというガールフレンド。つまり、思いのたけをボビーに話すことができる。
 席をはずすかつてのパートナー。

 「会いに行ったけれど、怖くなって駅から帰ったの」というガールフレンド。涙声になっている。
 かつてのパートナーが戻ってくる。
 ボビーは、やさしい顔でまばたきをする。
 「毎日待っているよ。」伝えてがちゃんと電話を切るかつてのパートナー。

 うーん。日本でこんな感じにできるだろうか。
 離婚した夫に身寄りがないために、ガンになった元夫の看病を元夫が亡くなるまでしたという話を聞いたことがある。「すごいね。」と言ったら、「だって、彼は面倒見てあげれる人がいないんだもの。」というのが答えだった。かつて夫婦で、やっぱり気心はしれているし、恋愛はなくなっていても愛情はあるという感じだろうか。

 こういうとき、ガールフレンドは、遠慮するような気もするが、面倒をみている元妻に対して、はっきりシンプルに、「数分間席をはずしてちょうだい。」と言うのにも驚いた。元妻は、席をはずす。
 そして、ボビーは、「毎日待っているよ。」と優しい顔で言うのである。
 彼は、毎日待っているのだ。
 それを元妻が通訳するのだから。
 日本のシュチュエーションだと、なんかドロドロになりそうだけれど、3人がそれぞれはっきり自分の思っていることを言うのである。

 潜水服を着ているように、体は動けなくても心は蝶のように自由であるというメッセージが静かに強く伝わってくる。
 かわいそうな病人ではない。
 頭は実に明晰なので、テレビのサッカーの試合を消してしまう病院の職員に対して、心のなかで、悪態をつく。
 
 二十万回ものまばたきを繰り返して、本を作ろうとする素晴らしさ。

 世界中をとびまわってもちっとも自由ではない人もいるだろうし、体は動かなくても魂はとてつもなく自由ということもある。むしろいろんなことをそぎ落として、魂は、豊かに、静かに、自由になっていくのかもしれない。

 免疫学者で、リハビリを形式的に打ち切り厚生労働省の政策に怒り運動をしていらっしゃる多田富雄さんのご自宅に伺ったことがある。
 脳梗塞にかかられたのだが、話せるのと、キーボードを打ち、音声が出て、会話をすることができた。楽しい、有意義な、触発される会話と出会いだった。
 多田さんは、たくさん本も出しておられる。

 また、ネルソン・マンデラのことも思った。先日、「マンデラの名もなき看守」の映画の監督と、雑誌ブルータスの取材で対談をした。
 ネルソン・マンデラは、27年間獄中にあったのである。
 刑務所から、一歩も出ることができず、刑務所から出れるかどうかもわからないなかで、マンデラは、希望も人間性も全く失わなかったのである。マンデラは、黒人政府の初代大統領になり、南アフリカをまとめていく。部族間の抗争や復讐をさせないで、まとめていくのである。

 アウンサンスーチーさんもそうだが、拘束されて、身体的な自由は全くなくても、魂は自由であるということを強く思う。

 考えてみれば、人は皮膚を体にまとい、魂は体のなかにある。
 人は、一生、体という牢獄に閉じこめられているとも言える。
 潜水服に閉じこめられているのである。

 しかし、どんな人も、すべての人の心、魂は自由であり、それを拘束したりできないのである。

 潜水服に閉じこめられたわたしたちは、孤独である。
 しかし、魂は自由であり、潜水服を着たまま、人と交流し、この映画のなかのように、多くの人のサポートや愛を受けて生きていく。サポートや愛をかわしながら、生きていく。

 人間の自由ということを根源的に描いた映画である。
 そして、愛と希望も描いている。

 一見不自由に見えても、心は誰からも何ものからも制約されず、まことに自由に羽ばたくのである。
 これこそ人間存在そのものだと思う。

 根本的なことが、はっきりしていたら、あとは何も恐くない。

 人は、病気だろうが、高齢だろうが、いろいろ不自由な人生だろうが、記憶と想像力があり、また、魂の自由は、無限大である。

 魂の自由をとにかく大事にしろよと言っている映画のように思える。

 海辺の風景が、心にしみる。
 また、お見舞いにきたり、看病する人たちの人柄やプロ意識に感動をする。
 
 自由、愛、希望を描いている映画である。
 
 
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児童ポルノについて
2008 / 03 / 24 ( Mon )
3月23日(日)
 社民党の神奈川県連の大会に一日出席をする。
 衆議院選挙がんばらなくっちゃ。
社民党神奈川県連合大会



 児童ポルノの単純所持を処罰をするのは、問題があるのではないかという文章を書いたところ、同感であるという意見を多数もらった。非常にまじめな真剣な意見を多数いただいた。どうもありがとうございます。
 今日は、続きを書きたい。

 質問ももらったのだが、わたしは、実物を写した写真以外のアニメやマンガを規制をすることには、問題ありという立場である。
 もし規制をするのであれば、それは、児童ポルノではなく、ポルノ一般の規制のなかにも位置づけて論ずるべきである。
 
 児童買春・児童ポルノ禁止法が作られたのは、被害にあう、あるいは被害にあった子どもをなくすためである。被害にあう子どもを保護するという立場からである。
 つまり、個人的法益の保護であって、決して抽象的な社会的法益保護の見地からではなかった。

 法律の1条は、「児童買春・児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。」としている。
 まさにそのことをあらわしている。

 そして、対象となるのは児童であり、児童とは、18歳未満を言うと法律上された。
 児童買春を禁止し、処罰をするのは、それは育成途中の子どもを食い物にし、子どもの人格を破壊をするからだと考えられたからだと思う。子どもには、選択の余地がない、あるいは、極めて少ない場合が多いだろうし、買春する大人との力関係は、やはり歴然とある。

 それは、大人同士の関係とは違うと考えられたのである。
 売春防止法は、単純な買売春を禁止をしているけれど、買春をした男性を処罰をしてはいない。
 管理売春をした人間や客待ちをした女性などを処罰をしているけれど、買春は、禁止しているけれど、処罰の対象とはしていない。

 大人だって、本当に選択をしているのだろうかという疑問もあるけれど、法律上は、18歳以上であるか、未満であるかによって、全く異なる扱いをしている。

 児童ポルノも同様の考え方である。
 被写体となった子どもは、そのことによって、心の傷を負っていき、その子どもの人権が侵害されたと考えるのである。
 だからこの場合の児童ポルノは、実際の写真をとられた場合、つまり、実在の子どもがいる場合とされたのである。
 たまたま写真に限定をされたのではなく、このことは、法律の趣旨から規定されたのだと思う。

 前述した法律の1条は、「これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。」としている。
 これらの行為というのは、児童買春・児童ポルノの両方を指し、両方とも有害な影響を受けた子どもを念頭においている。
 法律の構成や趣旨は、繰り返すが、実在の子どもの権利の擁護とされているのである。
 アニメやマンガは、念頭に置いてはいなかったのである。
 あるいは、法律を作成をするにあたって、趣旨から、実在の被写体のある子どもの写真とされたのである。

 もちろんわたしは、こどものポルノのマンガやアニメを見たいとも思わないし、全く好きではない。買うことも持つこともないだろう。

 しかし、仮に、アニメやマンガにまで、規制や処罰を拡大をしたらどうなるだろうか。
 判定をする人間、最終的には、裁判官が、アニメのこの子は、19歳に見える、いや17歳くらいだろうと判断をすることになる。
 はっきり言ってそれは、不可能であり、かつ恣意的になる。
 児童ポルノというときに、18歳未満の子どものポルノと法律は規定をした。
 一般のポルノは、刑法のわいせつ物の頒布、販売などで、処罰をされる。
 児童ポルノは、この刑法の特別規定として、規定をされたのである。
 つまり、18歳以上であるか、18歳未満であるかによって、児童ポルノ法によって、処罰されるかどうかが決まる。
 しかし、アニメやマンガは、どうやって、18歳未満かどうかを決めるのか。
 人によって、判断が全く違ってくるだろう。
 豊満な体をしているが、顔は、子どもっぽいので、15歳、いや、こんな童顔の女性もいるから、18歳を超えているとなるのだろうか。判定などだれもできないし、恣意的になるし、何が、誰が正しいかなんて、全く言えない。
 処罰の範囲が全くわからないのである。
 全く恣意的になってしまうし、処罰そのものの正しさの立証ができない。
 絵の人物が何歳に見えるかという愚かなことをするのだろうか。
 不可能なことをし、かつ、それが、処罰の対象になるということには、無理がある。

 刑事法は、明確性の原理が必要である。
 刑罰を課すのであるから、何が処罰をされ、何が処罰されないのかということが、一般的にも明確でなければならない。

 実在の人物の場合は、年齢は一義的であり、明確である。
 18歳以上か未満かは、はっきりする。

 つまり、アニメやマンガについて児童ポルノ禁止し、処罰をするということは、一見児童ポルノを処罰をするようで、実は、ポルノ全体の処罰とならざるを得ない。境界線がはっきりしないから、必然的にそうなる。
 しかし、ポルノ全体を刑法とは別に処罰をするのであれば、それはそれとして、また徹底的な議論が必要である。

 人は、ひどい子どものポルノを見せられたら、ひどいと思うだろう。
 しかし、処罰をするということについては、とことん議論が必要である。かつてチャタレー夫人の恋人がわいせつとされた。また、境界線は、実は、あいまいである。処罰するものと処罰をされないものが、銃や麻薬のように、はっきりとはしていないのである。

 アニメやマンガで描かれている女の子が、男の子が、18歳以上か、未満かはっきり言えるだろうか。
 もちろんとてつもなく幼い子という描き方もあるだろう。しかし、境界線上でわからないという場合も実は多いだろう。
 児童ポルノの単純所持の処罰と合わせて議論になっているが、自分の持っている雑誌に、マンガが書いてあって、それが、18歳未満に見えるポルノだと言われたら、処罰をされるのである。

 法廷で、いや18歳以上に見えると論争をするのだろうか。
 
 また、わたしは、前述したように、立法の趣旨からも考える必要があると考える。
 このような文章を書くのは、もちろん児童ポルノを守るためではない。
 しかし、捜査権限があまりに拡大をしたり、立法趣旨を超えたり、また明確でないもので、人が処罰をされるようになることは、大変問題があると考えている。
 
 ぜひご意見をお寄せください。 
 
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