
12月6日の参議院憲法審査会で、次のように発言しました。
希望の会、社民党の福島みずほです。会派を代表して発言をします。
今、政治に必要なことは、憲法を変えることではなく、憲法が規定していることを生かすことです。
十代後半、二十代、三十代の死因の第一位は自殺です。憲法十三条が規定する個人の尊重、幸福追求権は、みんなに保障されているでしょうか。個人が尊重される社会を政治はつくっているでしょうか。
憲法十四条は、法の下の平等を規定をしています。しかし、女性差別、子供に対する差別、高齢者に対する差別、部落差別、障害者に対する差別、外国人に対する差別、性的マイノリティーに対する差別、アイヌに対する差別、様々な差別は存在をしています。差別を根絶していく政治こそ必要です。
憲法二十五条は生存権を保障していますが、現在、労働法制の規制緩和、社会保障の切捨てなどで、貧困の固定化、中間層の崩壊、没落が始まっています。地方の疲弊も深刻です。二十五条は実現をしていません。二十五条の実現こそ求められています。
憲法前文は、平和的生存権を規定をしています。しかし、沖縄の人々に平和的生存権は保障されているでしょうか。原発と基地は、過疎地に押し付けられているという点で、差別の構造であると言われることがあります。そのとおりですが、原発の稼働については、現在では原発立地自治体の同意がなければ稼働をしていません。しかし、基地については、自治体の同意の存在は無視をされています。
翁長沖縄県知事は、先日、改めて河野外務大臣に対して辺野古の新基地建設を断念するよう求めました。なぜこの声は踏みにじられるのでしょうか。地方自治は少なくとも沖縄に対しては全く保障されていません。
私たち国会議員は、憲法九十九条により憲法尊重擁護義務が課せられています。憲法の実現と擁護こそ必要です。憲法は最高法規であり、国務大臣や国会議員の憲法尊重擁護義務がわざわざ憲法に規定をされているのです。
ところが、安倍内閣は、二〇一五年に違憲の戦争法、安保関連法を強行採決をしました。歴代の自民党政権は、集団的自衛権の行使は違憲であり、憲法を変えなければできないと明言をしてきました。憲法学者、法律家のほとんどが集団的自衛権の行使は憲法違反だという立場です。私も法律家ですが、集団的自衛権の行使は明白に違憲としか考えられません。
安倍政権は、一九七二年の政府見解をねじ曲げて、解釈を変えて、集団的自衛権の行使を容認する戦争法、安保関連法を強行採決をしたのです。一九七二年当時の内閣法制局長官を始め、誰も集団的自衛権の行使を合憲と言う人は存在をしていません。時の政府がかつての政府見解をすらねじ曲げて、解釈で自分たちの都合の良いように変えてしまうことは、立憲主義、法の支配の明白な否定です。憲法を踏みにじる政治のこのような暴挙を許してはなりません。
憲法は権力者を縛るものです。表現の自由を制限したい、自分への批判者を投獄したいと思っても、それはできないのです。集団的自衛権の行使をしたい、世界でアメリカとともに戦争をしたいと思っても、それはできないのです。安倍総理は、憲法は権力者を縛るものであるということを理解していません。あるいは、そのことを踏みにじっています。今まさに憲法の危機が訪れています。憲法が何なのか、憲法規範を守らなければならないということを理解しない内閣によって憲法改悪が企てられようとしています。
安倍総理は、自民党は憲法九条を変え、三項に自衛隊を明記すると言っています。この自衛隊の明記は、憲法違反の戦争法、安保関連法の合憲化です。
私は、十一月三十日、参議院の予算委員会で安倍総理に質問をしました。九条三項に自衛隊を明記するということは、この自衛隊の中に集団的自衛権の行使も含まれるのですねと質問をしました。総理の答弁は、もう既に一項、二項のある中において、集団的自衛権の行使について一部容認、三要件を満たせば一部容認をするということについて解釈を変更したわけでありますが、それはそのままということでございますというものでした。
つまり、既に解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認をしているので、憲法九条三項に自衛隊を明記するということは集団的自衛権の行使を含むということです。戦争をしない国から世界で戦争をする国へ百八十度変えてしまうということです。九条に自衛隊を明記することは、災害救助や国土防衛のための自衛隊ではありません。集団的自衛権の行使をする自衛隊の明記です。憲法九条一項、二項の破壊です。
そして、安倍政権が、まず解釈で憲法を踏みにじり、その後、明文改憲をし、戦争法、安保関連法を合憲化しようとしていることも強く批判をしなければなりません。憲法を踏みにじる総理の下で憲法を変えることは、憲法全体が憲法でなくなることです。立憲主義の否定、憲法の否定です。国会の否定です。緊急事態宣言は、内閣限りで基本的人権を制限、剥奪するものです。
教育の無償化は今こそやるべきで、憲法改正の必要はありません。日本が批准している国際人権規約A規約は高等教育の無償化を規定しています。条約を批准している日本は履行する責任があります。教育の環境整備に努力をするなど、後退した憲法改正は百害あって一利なしです。
参議院の選挙区の合区解消のための憲法改正などあり得ません。選挙制度はどうあるべきかは参議院の選挙制度改革で議論をし続けており、公職選挙法の問題です。国会議員の既得権益のために憲法を変えるということだけのために憲法を変えることになれば、むしろ参議院の権威は地に落ちるでしょう。こんな邪道を許してはなりません。
また、参議院の選挙区は都道府県単位とすると憲法を変えれば、国会議員は全国民の代表と憲法で規定されているにもかかわらず、参議院の選挙区は県民の代表となります。これは参議院の地位を著しく低めるものです。
憲法を変えるのではなく、憲法を生かす政治をやるべきだと申し上げ、希望の会、社民党の意見表明といたします。
希望の会、社民党の福島みずほです。会派を代表して発言をします。
今、政治に必要なことは、憲法を変えることではなく、憲法が規定していることを生かすことです。
十代後半、二十代、三十代の死因の第一位は自殺です。憲法十三条が規定する個人の尊重、幸福追求権は、みんなに保障されているでしょうか。個人が尊重される社会を政治はつくっているでしょうか。
憲法十四条は、法の下の平等を規定をしています。しかし、女性差別、子供に対する差別、高齢者に対する差別、部落差別、障害者に対する差別、外国人に対する差別、性的マイノリティーに対する差別、アイヌに対する差別、様々な差別は存在をしています。差別を根絶していく政治こそ必要です。
憲法二十五条は生存権を保障していますが、現在、労働法制の規制緩和、社会保障の切捨てなどで、貧困の固定化、中間層の崩壊、没落が始まっています。地方の疲弊も深刻です。二十五条は実現をしていません。二十五条の実現こそ求められています。
憲法前文は、平和的生存権を規定をしています。しかし、沖縄の人々に平和的生存権は保障されているでしょうか。原発と基地は、過疎地に押し付けられているという点で、差別の構造であると言われることがあります。そのとおりですが、原発の稼働については、現在では原発立地自治体の同意がなければ稼働をしていません。しかし、基地については、自治体の同意の存在は無視をされています。
翁長沖縄県知事は、先日、改めて河野外務大臣に対して辺野古の新基地建設を断念するよう求めました。なぜこの声は踏みにじられるのでしょうか。地方自治は少なくとも沖縄に対しては全く保障されていません。
私たち国会議員は、憲法九十九条により憲法尊重擁護義務が課せられています。憲法の実現と擁護こそ必要です。憲法は最高法規であり、国務大臣や国会議員の憲法尊重擁護義務がわざわざ憲法に規定をされているのです。
ところが、安倍内閣は、二〇一五年に違憲の戦争法、安保関連法を強行採決をしました。歴代の自民党政権は、集団的自衛権の行使は違憲であり、憲法を変えなければできないと明言をしてきました。憲法学者、法律家のほとんどが集団的自衛権の行使は憲法違反だという立場です。私も法律家ですが、集団的自衛権の行使は明白に違憲としか考えられません。
安倍政権は、一九七二年の政府見解をねじ曲げて、解釈を変えて、集団的自衛権の行使を容認する戦争法、安保関連法を強行採決をしたのです。一九七二年当時の内閣法制局長官を始め、誰も集団的自衛権の行使を合憲と言う人は存在をしていません。時の政府がかつての政府見解をすらねじ曲げて、解釈で自分たちの都合の良いように変えてしまうことは、立憲主義、法の支配の明白な否定です。憲法を踏みにじる政治のこのような暴挙を許してはなりません。
憲法は権力者を縛るものです。表現の自由を制限したい、自分への批判者を投獄したいと思っても、それはできないのです。集団的自衛権の行使をしたい、世界でアメリカとともに戦争をしたいと思っても、それはできないのです。安倍総理は、憲法は権力者を縛るものであるということを理解していません。あるいは、そのことを踏みにじっています。今まさに憲法の危機が訪れています。憲法が何なのか、憲法規範を守らなければならないということを理解しない内閣によって憲法改悪が企てられようとしています。
安倍総理は、自民党は憲法九条を変え、三項に自衛隊を明記すると言っています。この自衛隊の明記は、憲法違反の戦争法、安保関連法の合憲化です。
私は、十一月三十日、参議院の予算委員会で安倍総理に質問をしました。九条三項に自衛隊を明記するということは、この自衛隊の中に集団的自衛権の行使も含まれるのですねと質問をしました。総理の答弁は、もう既に一項、二項のある中において、集団的自衛権の行使について一部容認、三要件を満たせば一部容認をするということについて解釈を変更したわけでありますが、それはそのままということでございますというものでした。
つまり、既に解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認をしているので、憲法九条三項に自衛隊を明記するということは集団的自衛権の行使を含むということです。戦争をしない国から世界で戦争をする国へ百八十度変えてしまうということです。九条に自衛隊を明記することは、災害救助や国土防衛のための自衛隊ではありません。集団的自衛権の行使をする自衛隊の明記です。憲法九条一項、二項の破壊です。
そして、安倍政権が、まず解釈で憲法を踏みにじり、その後、明文改憲をし、戦争法、安保関連法を合憲化しようとしていることも強く批判をしなければなりません。憲法を踏みにじる総理の下で憲法を変えることは、憲法全体が憲法でなくなることです。立憲主義の否定、憲法の否定です。国会の否定です。緊急事態宣言は、内閣限りで基本的人権を制限、剥奪するものです。
教育の無償化は今こそやるべきで、憲法改正の必要はありません。日本が批准している国際人権規約A規約は高等教育の無償化を規定しています。条約を批准している日本は履行する責任があります。教育の環境整備に努力をするなど、後退した憲法改正は百害あって一利なしです。
参議院の選挙区の合区解消のための憲法改正などあり得ません。選挙制度はどうあるべきかは参議院の選挙制度改革で議論をし続けており、公職選挙法の問題です。国会議員の既得権益のために憲法を変えるということだけのために憲法を変えることになれば、むしろ参議院の権威は地に落ちるでしょう。こんな邪道を許してはなりません。
また、参議院の選挙区は都道府県単位とすると憲法を変えれば、国会議員は全国民の代表と憲法で規定されているにもかかわらず、参議院の選挙区は県民の代表となります。これは参議院の地位を著しく低めるものです。
憲法を変えるのではなく、憲法を生かす政治をやるべきだと申し上げ、希望の会、社民党の意見表明といたします。

