福島みずほのどきどき日記

貧困問題と死刑を考える

12月14日(日)
 今日は、日比谷野音で開かれた後期高齢者医療制度の廃止を求める集会に出た後、貧困を通して死刑を考える集会に行く。 
 フィリピンは、死刑を廃止をしており(もちろんポリティカルキリング、政治的殺害の問題などはあるけれと゜も)、その死刑廃止の取り組みと刑務所の改善の問題などについて、フィリピンから来日したトレーシーさんの話を聞く。アムネスティーなどの主催。
 その後、ビデオジャーナリストの坂上香さん、NPO法人POSSeの今野晴貴さんなどのパネルディスカッション。

 今、すざまじい勢いで派遣切りが行われている。
 労働市場からの排除である。
 2004年以降、特に、大企業の製造現場に、派遣労働者が増え、今回の不況を理由に、今度は、一斉に派遣切りが行われている。
 国会で見てきたものは、働く人を排除し、非正規雇用を増やし、高齢者・障害者・母子家庭・生活保護世帯・介護が必要な人たちをどんどん切り捨てていく政策である。
 そんな政治が行われていることが、今、人々の目にはっきりとうつるようになったけれど、こんな政策は、おかしいと声をあげ、論争をし、阻止しようとし、強行採決に反対をしてきた。
 
 どんどん人を切り捨てる排除型社会が作られていっている。
 正社員の人たちもそれが長時間労働であっても、排除されないために、耐えて仕事をしている。
 この社会の構成員は、すべての人であるはずだし、あるべきなのに、テーブルの上から、どんどん人が落とされていっている。テーブルの上の人たちもいつ自分が、仕事を失うかわからないので、必死で仕事をさせられいる。

 その排除型社会の極致が、死刑である。
 犯罪は、犯してはならないことである。
 しかし、排除をしていき、行き場のない人、この社会に絶望をし、自分は、承認をされていないと感ずる人たちが、犯罪を犯し、死刑に処せられているのではないか。
 アメリカでも、そして、今日、報告のあったフィリピンでも、死刑になるのは、圧倒的に貧困層である。
 刑務所を見学をすると、高齢者社会になっていることを感ずる。手すりがついていて、そして、受刑者も高齢者が多い。身元引受人がいないと出獄できないが、身元引受人などいない人も多い。
 刑務所以外に、この社会に行き場がないのではと感じたりすることがある。

 「排除型社会」を書いたジャック・ヤングの近著「後期近代の眩暈」(青土社刊)を読んでいる。
 この社会の問題を指摘する本は、多いが、この本は、処方箋も書いているところに特色がある。
 
 わたしが、一番印象に残ったのは、次のような部分である。
 
 「大衆メディアの一部やポピュリスト政治家がせっせっとやるアジテーションによって他者集団に公衆の反感を向けるということは、決して避けられないわけではない。つまるところ公衆の不満の蔓延、抑圧、不確実性が必ず不寛容を招くとは限らないのだ。解決策のひとつは政治的なものである。それはひび割れの政治を断ち切る進歩的政党の存在、すなわちそれは後期近代の2項対立の向こう側にあるかのように貧困層を隔てられた集団とみなすのてはなく、実存的な苦境と物質的利害を社会の大多数の人びとと多く共有するとみなす政治である。」

 派遣切りにあい、仕事と仕事を失ってしまうと途方に暮れる労働者の人たちは、わたしたちと切り離された存在ではなく、多くの人たちと実は、多くのことを、多くの問題を共有している。

 ジャック・ヤングの「避けられないわけではない。」という提言には、励まされる。

 「オバマ演説集」(朝日出版社刊)を読んだ。
 わたしは、オバマさんの一番素晴らしい点は、2項対立を超えていることにあると思う。
 
 ひび割れの政治を断ち切っていきたい。 

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