福島みずほのどきどき日記

父親の死亡

12月20日(土)
 18日の木曜日、父が亡くなった。
 これは、わたしの姉からのメールと電話で知った。午後13時13分に亡くなったよとすぐ連絡がはいり、そのことを知ったのは、参議院の厚生労働委員会の最中だった。悲しい。
 前日の夜から、容態が悪くなっていることは、逐一連絡がはいっていた。
 朝、6時頃の電話では、少し持ち直したかなあという感じだったが。
 もう時間の問題となっていた。
 
 一刻も早く帰りたいと思ったが、2つの質問を控えていて、それをほっぽって、帰るわけにはいかなかった。質問の時に、泣いたりしないようにと思いながら、質問をした。
 しかもこのときの質疑は、雇用4法案もある。終わったらぴゅーと帰ろう。

 今、故郷の宮崎にいて、今日が、お通夜、明日がお葬式である。

 母親や姉、そして、姉の夫や子どもたち、いとこと父親のことを話している。
 
 父親は、とてもいい父親だった。
 子どもとよく遊んでくれた。
 小さい頃は、父親が、子ども全集の配本になる本を毎月か2週間にいっぺん持って帰ってきてくれることが楽しみだった。少年少女世界文学全集だったが、毎月、はいと渡される本をいつも心待ちにしていて、いつもすぐ読んでいた。
 それから、すぐ世界文学全集になった。
 
 小学校は、わたしは、延岡市と日南市に住んだ。
 日南に住んでいたときは、毎週のように、父親と日南海岸をドライブし、海で遊んでいた。
 子どものときは、実にゆったりと時間が流れ、海辺で、海を見つめたり、波打ちぎわで、砂山を作って遊んだり、ゆったり少し歩いたり、ゆっくりしていて、特に、何もしなくても豊かで、満ち足りていた。
 リンドバークの「海からの贈りもの」という素晴らしい本は、愛読書だ。少し前に、落合恵子さんが、翻訳をされたが、大学時代に読んで、貝に耳をあてると、ごぉーと音がするような、そして、ゆったりとした時間の流れをを思い出させてくれる。
 そして、わたしは、特に、父親とドライブをしていた子どものときの幸せな子どもの時間を思い出す。

 父親は、特攻隊の生き残りである。
 がっ
 四国の高知県で、訓練を受け続け、特訓を受け続けた。
 もう出発する日も決まり、出ていくだけになっていたが、滑走路が爆破されて、使えなくなり、飛行機は飛び立てなくなったのである。そうしているうちに、終戦になってしまった。
 特攻隊での訓練の話を聞いたことがある。
 
 わたしは、押井監督の「スカイ・クロラ」の映画を特別の思いで見る。
 戦争が終わらなければ、父は間違いなく死んでいたし、当たり前だが、わたしも生まれなかったのである。

 父にとって、8月15日は、特別な日である。
 父親が、12時の警報というか、みんなで黙祷をささげるときに、そんなテレビを見ながら、泣いているのを見たことがある。

 同窓会が開かれたときに、当時、上官だった人に対して、「なぜあなたは、自殺をしなかったのか。部下たちには、死ねと言い、みんな死んでしまったのに。」と迫ったという話も聞いたことがある。
 どこまでもおそろしくまっすぐな父親の性格を良く表している。
 上官に対しては、思うところがあったようである。

 わたしにとっては、古風だったけれど、まじめに働き、家庭を大事にした父親。
 銀行員で、ひたすらまじめで、一本気な人だった。
 わたしは、みんなで、朝ごはんを食べて、家族みんなで、夕ご飯を食べて、日曜日は、家族そろって、日曜日の大河ドラマを見るなんて、本当に平凡な家庭生活を送った。

 わたしたちのために、働いてくれたおとうさん、本当にありがとう!
  

  
  

 
 

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