福島みずほのどきどき日記

派遣村へ行きました

1月2日(金)
 日比谷公園で開いている派遣村にどんどん人が来て、きのうは、250人、今日は、300人以上の人たちが集まってきた。
 キャパシティーをはるかに超えてしまったということで、社民党本部の社文会館を貸してもらえないかということが、全国ユニオンの鴨さんやいろんな人から連絡。
 わかったということで、とにかく現地にかけつける。
 保坂さんなどが、大村厚生労働大臣に連絡、主催者の湯浅さんや全国ユニオンの鴨さんなども動き、厚生労働省の講堂を貸してもらえることになった。
 日比谷公園でそのことの説明があり、みんなで少しずつ日比谷公園から、厚生労働省に移動。

1月2日


 講堂は、800平方メートル。
 かなり広いし、床は絨毯がひいてある。もちろんふかふかの絨毯ではないけれど、板ではないし、靴をはいたまま動ける。
 おふとんをひき、260人ほどが寝ている。
 日比谷公園で、テントなどに残った人もいる。

 大村さんと厚生労働省の官房長と話をする。
 政府が出している派遣法改正案では全くだめなので、変えてくださいよ、社民党案に近づいてくださいよと話をする。

 日比谷公園は、地面からしんしんと冷たくなっていた。
 わたしもぶるぶるふるえ、熱いお茶をもらい、また、ホカロンを親切にくれた人がいて、何とかやってこれたけれど。
 打ち合わせをしたり、話をしたり、見守ったりしているうちに、12時に。
 みんなおつかれさま。
 おやすみなさい。
 考えたら、ゆうごはんを食べていなかった。
 おにぎりでももらえば良かったと冗談で思う。
 ここでは、暖かい。

 派遣切りにあって、神奈川で、自殺をはかろうとした人がいて、その人を助けた人が、警察に連れていったそうである。
 そしたら、派遣村を紹介をされて、派遣村にきたそうである。
 うーん。
 
 でも、死ななくていい、生きられる、ひとりじゃない、手を差し伸べたり、何とかしようとしている人たちがいるということは、心のなんとか支えになってくれないか。

 わたしは、地震の後の被災地に何度もはいった。
 体育館におふとんをひいて、避難をしている人たちにたくさんあった。
 派遣切りは、自然災害ではなく、政治災害だと主張をしてきた。
 まさに、政治が生んだことである。
 
 体育館のような講堂にお布団をひいて、みんな横になっている。
 体育館では、家族で避難をしているけれど、ここはみんな単身に思える。
 しかし、ぱっとみると似た光景である。
 
 避難民に思える。
 自然災害は、自然の力で避けられないところもあるけれど、これは、まさしく政治災害の避難民で、ひどいし、避けられたのである。

 そもそも労働法制を規制緩和をしてきたこと、とりわけ2003年の派遣法で、製造業も派遣が可能としたこと、今回の派遣切りを許したこと、許していること、6月からはじまり、10月の時点でも、わたしは、国会で、派遣切りの実態調査をすべきであると質問をした。
 こんなに大量に派遣切りが起きることは、わかっていたし、既に起きていた。
 これを政府は、あまりに、放置をしてきたと思う。

 これからやるべきことがいっぱいある。
 派遣切りは、年末年始の話ではなく、これから、3月末までもっともっと起きることである。
 とめなくっちゃ。
 死に物狂いで、必死で、取り組んでいく。

 明日も派遣村に行く。









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