福島みずほのどきどき日記

武田郁三郎さんを悼む

1月9日(金)
 昨年末、父が亡くなった。
 家族思いの父で、わたしはかわいがってもらっていたので、今、ゆっくりと父のことを考えている。
 昨年、本木さん主演の「おくりびと」の映画を見た。
 素晴らしい映画で、去年見た映画では、「スカイクロラ」「歩いても 歩いても」「トウキョウソナタ」「クライマーズ・ハイ」ナドガ本当に良かった。
 そのなかでも「おくりびと」は、生きることと死ぬこと、送る人の気持ち、家族などをあらわしていて、心にしみた。
 まさか去年、父を送ることになろうとは。
 
 そんななかで、同じ12月、わたしの「川崎の父親」である武田郁三郎さんが突然亡くなってしまった。12月25日に急逝をされた。わたしは、武田先生は、バイタリティーがあって、精力的な活動をされているので、まるで不死身のように思っていたので、本当にショックである。
 まだ、76歳。
 社民党の貴重な貴重な神奈川県の県会議員。
 精力的な活動をし、みんなの面倒見が良く、すべてのエネルギーを政治に振り向けてきた。
 地域活動をしっかりやって、わたしは、いろんなところで、いろんな人に、「川崎で武田先生にお世話になっています。」と言われてきたものである。
 毎年、川崎駅前でやる新春のつどいは、2つのフロアーにいろんな人が集まって大変活気があるものである。
 武田先生にお会いをすると、「今日、どこどこをまわってきて、まだお昼ごはんを食べていないんだよ。」とおっしゃって、「これから、何ヶ所まわるんだよ。」なんておっしゃっていたっけ。

 良く街頭演説でご一緒したが、平和への思いのあふれる人だった。
 障害のある人たちとゆっくり抱えている問題について話しあうということを一緒にやっていただいたことがある。

わたしが特に感心をしているのは、40年間以上にわたって、月曜の声という街頭演説を続けてこられたということである。
 雨の日も風の日も雪の日も嵐の日も、そして、お正月だろうが、おおみそかであろうが、どんな日も月曜日であれば、朝、川崎駅に立って、街頭演説をし続けてきたのである。
 何と40年以上。
 その決意とがんばりは、本当にすごい。
 武田先生が亡くなられたと聞いてすぐご自宅に駆けつけた。
 パートナーであるご夫人と話をした。息子さんとも話をする。
 外国に行っていても、この月曜の声に合わせて帰ってこられたそうである。
 
 40年以上続けられたことはすごい。
 
 この月曜の声をご一緒し、去年、節目のときにも一緒に川崎駅でマイクを握った。
 そのお礼においしい焼肉をごちそうになった。武田先生は、嬉しそうで、「食べて、食べて、もっと食べて」という感じだった。
 わたしの父は、82歳。武田先生は、76歳。

 わたしは、2人のおとうさんを12月に見送ることになった。
 武田先生は、ずっーと社民党で、がんばり続けてくださった。
 党首として、火葬場まで行って、骨を拾おうと思い、家族のみなさんとご一緒した。
 武田さん、大変お世話になりました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。

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