臨界事故の隠蔽を許すな メルマガ3月19日号より
2007 / 03 / 19 ( Mon )
■臨界事故の隠蔽を許すな 命の軽視はあまりにもひどい!■

 3月17日(土)に、社民党調査団として、私と近藤正道参議院議員、社民党石川県連合で、石川県の志賀原子力発電所に行き、北陸電力の副社長、現所長などに話を聞いた。
制御室に入りデータや機器がどうなっているかを見て、当時鳴った警報を鳴らしてもらった。
引継ぎ日誌やその日の炉内中性子束モニタの記録や放射線モニタ関係チャート、警報などがなったことを示すタイパの記録(原本はすぐ廃棄され、コピーだけ残っていた)、炉心配置図と当該制御棒周りの燃料燃焼度などのデータをもらい、その後記者会見をした。

 日本で初めての臨界事故は、東海村のJCOの事故と言われていた(当時事故現場にわたしも入った)。

しかし3ヶ月前に、臨界事故が起こっていたのだ。

チェルノブイリやスリーマイル島事故のような大惨事にもなりかねなかった事故であるにもかかわらず、この8年間全く封印されていたのである。

 1992年6月18日の午前2時過ぎに事故が起きたとき、制御室には、当直の人が4名いた。
そして現場には補修の人が1名ないし2名、そして日立製作所の人が4ないし7名いた。事故があったすぐ後、所長(当時は北陸電力の支店長)、次長(原子炉主任技術者)、発電課長、当直長などが集まっている。

 炉内中性子束モニタの記録は、最高値を示し、針が振り切れている。
これを見ると臨界を疑わせる。 しかし、これに「点検」と言う文字が書きこまれている。
そして驚くべきは、「引継日誌」である。 今は2交替であるが、当時は3交替であった。
朝8時半に引き継ぐのだが、この引継日誌には、異常は何も起こらなかったことになっている。
運転状況は、「原子炉停止中」とだけ書かれている。
後の記載は、なしとだけ書かれている。
点検中ということで、停止中と説明している。

 全くの偽造である。

そして、この日誌には、次長、課長、当直長の印鑑が押してある。
みんなぐるなのである。
全くの「完全犯罪」である。

短期間のうちにデータを消去し、日誌をこう書くことにし、口裏をあわせて、完璧に秘密を守ったのである。
原子炉内の状況を示すモニターには、制御室に異常を示す警報が12回鳴ったと書かれており、当時のせっぱつまった状況が伝わってくる。
完全に隠蔽をしたので、もちろん県にも市にも連絡などしていない。
 この事故が明らかになっていたら、JCOの事故は防げたのではないか。 本日の予算委員会の私の質問に対し、経産大臣も同じように認めた。
 また、当時2号機の着工を控えていたため、隠蔽をすることにしたと北陸電力の幹部が話していることも今や明らかになった。 今回話をした人がいなければ、永久に封印されていたのである。 組織ぐるみの隠蔽である。

 次の問題点は、国の検査制度の全くの無力さである。
国の検査官は、それぞれ4人いる。
毎日10時に原子力発電所所に来て、チェックをする。 口頭で説明を聞いた後、制御室に行く。
この日の8時半には、完全に隠蔽が終わっており、引継日誌の内容は全くの嘘である。嘘の説明を聞き、制御室に行っても、中性子束モニタの記録のうち2時過ぎのものを10時には見ることができない。結局、国の検査制度は無力であり、日本初の臨界事故が起きても全くわからなかったのである。その後もわからなかったし、チェックのしようがないのである。

 また、報告義務違反は3年で時効となってしまう問題を質問したが、現状の報告結果を見てからという理由で明確な答弁はなかった。
 制度の根本的な欠陥である。

 全く考慮されていないのは、住民、作業員、人々の命である。
原子力の安全を担保し、チェックする仕組みはなく、隠蔽されているのである。
 原子力の安全そのものが問われているし、
 本日の質問以降も積極的に問うていく。

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