福島みずほのどきどき日記

鎌田慧「原発暴走列島」対談録

 福島みずほ(以下「福島」)
 こんにちは。鎌田さんの「原発暴走列島」、今日の福島は明日どこでも起きる、というこの本です。
 鎌田さんはずっと原発列島に関してずっと現場を歩いて、それぞれのところがどうして原発を立地していくのかなどについて書いていらっしゃいますし、もう40年ですかね、ずっと取り組んでこられた人です。
 また、原発の被曝労働者についても取り組んでこられた方なので、今日はじっくりしっかりお話を聞きたいと思います。
 鎌田さん、今回の福島第一原発事故、どう見ていらっしゃいますか。
 
 鎌田慧さん(以下「鎌田」)
 残念だという気持ちが一番で、そのあとあそこで、津波や地震で亡くなった人たちの遺体を収容できないという問題が発生しましたね、放射能で近寄れないから。
 私たちは原発について反対してきたけど、そういう想像力はなかったんですよね。
 津波で水がなくなって原子炉がメルトダウンすることは考えたけど、それが人間にどういう被害を与えるのかとか、もちろん、放射性物質、放射能が漏れていて広範囲に広がって影響するということは想定できたけど、津波で亡くなった人たちの遺体を今でも回収できない、遺族の人たちはほんとに残念無念だけど近寄れないという、そういう、社会生活が全くできなくなってしまった。
 避難もそうですが、死んだ人すら弔うことのできないようなものだったんだなあという、それがよくわかったですね。

 福島
 地震が起きて救済できないこともそうですが、私は新聞記事でショックを受けたのは、遺体が放射性物質のために搬出できない、ということで、本当にびっくりしました。

 鎌田
 それはほんとうに悲惨なことで、チェルノブイリではなかったことです。あそこは津波で亡くなった人はなかったわけで、福島の場合は、地震でがれきで亡くなった人たちもいたかもしれないけれど、そういう人たちの上に放射能の雨が降ったりして当たっているという凄惨な光景は、これは人間社会にあってはいけないものだとまざまざと示した。
 想像を絶することで、想像力の欠如という、それを言葉で理解してもらえるような運動の仕方が足りなかった。「お前たち、原発の悲惨さを知っていながら、運動をさぼっていたわけで、書いたり、集会をしたりしていたけど、大きな運動を作ることができなかった」と、そういうことを問いかけられているように思います。

 福島
 そうですね。高木仁三郎さんはじめ、あるいは各地で裁判闘争をしたり、ほんとうに地を這うような努力で、また、脱原発や反核燃やもんじゅはおかしいということに旗を降ろさず、がんばっている人や、大阪や東京、地元でなくてもがんばっている人達がたくさんいたわけで、それが政治の意思決定の場に変えることができなかったのは残念ですね。
 わたし、ある子どもにこう言われたんです。「あなたたち大人が原子力政策を転換できなかったから、私たち子どもが未来に向けてツケを払わなくちゃいけない、あなたたち大人のせいだ。」と。その通りですね。

 鎌田
 子どもとか子孫に問いかけられていくと思うんですね。どうして広い運動を形成できなかったかというのは、それを総括するのは大きい問題なんですが、やっぱり裁判の問題もあります。裁判も、日本の最高裁、自民党政府だったわけですけれど、そこに勝てなかったと。
 ですから、政治、財界、官僚、教育、裁判、ジャーナリスト、総ぐるみの国策だったんですよね。それを打ち破ることができなかった。

 福島
 もんじゅは二審は差し止めで勝ったり、志賀原発も一審は勝ったりしていますが、ただ、ほんとに強固な体制ですよね、これは「原子力村」ではなくて原子力体制だ、と鎌田さんはおっしゃっていますけどね。

 鎌田
 村というと矮小化する、もっと原発体制と考えていまして、強固な国策という方針があったわけで、そこからすべての反対派は排除されていたという。この事故によって最初に思ったのは、原爆は広島・長崎と2回あって戦争は終わったわけですが、原発はJCOも柏崎も美浜もあったし、ずっと事故があってここまで来たけど止められなかった。
 だから、原爆は2回目で止まって敗戦になったわけですけれど、原発はずっと事故があったけれど、まだ安全だというところを突破できなかったと。
 反対派はいろんなことで、メルトダウンのことで反対だというわけですけれど、賛成派はそれに対してとにかく安全としか言わないんですよ。安全とは説得だと彼らは言っているんですよ。時間をかけて説得すれば安全だと思うと。その一点で、三十何年間反対してきたところも賛成しちゃうんですよね。

 福島
 安全のほかに、原発を3割使っていると。ほんとは電気はたくさん容量があるから、原発がなくてももっといろいろな組み合わせができるはずなんですが。原発依存教育、原発ってたかだか電気を得る手段にしか過ぎないのに、原発がなければ生きていけないような、そういうある種の洗脳教育を皆にやってきたと思ってるんですよね。

 鎌田
 膨大なパンフレットを各地域の原発の、これは電源開発の青森県大間のもので、子どもの絵を使っている。子どもにどういう被害を与えるのか、今現在与えているのですけど、そういうことを抜きにして、子どもたちや地域の名所を表紙にしたのをどんどん作って、おっしゃるように洗脳教育をやってきている。
 マスコミに対しても膨大なお金を出しているんですが、とにかくお金で洗脳していく、これは僕が全国の地域を回って、全部同じパターンで、お金なんですよね。

 福島
 鎌田さんの素晴らしい点は現場を歩いて、原発列島を歩いてこられたということだと思うんですが、そこで見てこられたものや、感じていらっしゃることをお話頂けますか。

 鎌田
 だいたいチェルノブイリ後は、どこも立地に賛成するところはないわけですよね。原発の発祥は60年代の半ばごろから、立地点に対する工作が始まってきて、その頃はまだ第三の火、クリーンエネルギー、アトム、いいイメージだったんですよ。
 原発が来ると地域が発展するというので、賛成して誘致するところもあったのも事実です、1960年代後半までは。その後、スリーマイルがあってチェルノブイリがあって、どこも賛成するところがなくなったわけですけれど、すると全部お金なんですよね。僕が原子力体制というのは、全ての総ぐるみ、総力戦で押してきたということです。
 たとえば青森県のむつ市に、彼らはリサイクルという言葉を使っていますが、中間貯蔵場です。
 市役所に17億6千万円の援助をしている、東京電力と日本原電が。市庁舎を新しく変えたんですが、それはあるスーパーマーケットが撤退したのを15億円でまるごと買った、そのお金を東京電力と日本原電が出して、つまりまるごと市庁舎を買ってそこにあるという、まるで絵に描いたような風景なんですが、こういうことが全てですよ。
 いろんな地域でとにかくお金をどんどん、そのお金は電気料金で上乗せしてきたわけだし、政府と電力会社が総力をあげて金で説得してきたという、説得がお金でしかなかったということをずっと見てきました。
 それからもう一つ、僕が原発はすごく不道徳なものだと思っているのは、反対だった人が少しづつ賛成になっていくんですよ。ものすごい賛成派が、賛成から始まるのではなくて反対運動から始まっているんですよね。反対運動がだんだん低調になって、それは理解したというよりは、原発の歴史は中曽根さんが札束で学者のほっぺたをたたいたというところから始まって、札束攻勢なんですよ。
 全部お金で解決してきた。
 漁師だったら漁業補償なんですが、青森県むつ市の漁業に出したお金は、はじめは3億円だったのですが、ご承知のように、それが6億円、9億円、18億円になって、それが最終的には23億円で決着がつくとか、金で人の心を支配するということを公然と国がやってきたんですよ。
 もちろん国は電源三法という制度の資金でやってきたんですけれど、電力会社がこれは選挙じゃないからいくらでも金を使えるんですけれど、その金と政府の金を全部各地域に投入して、反対派の口を封じてきたわけですね。
 それともう一つ、事故が発生した時に、そういう原発の資金で依存してしまっているから、今各原発が停止してますけど、それも早くやってくれって、仕事がないから早くやってくれっていう陳情運動が起きてきているし、県の知事たちもやはり原発がなくなると困ると言っている。
 完全に人間の精神を支配してきた。

 福島
 私が、もんじゅを廃炉にと言うと、研究者が困るじゃないかという意見もあるんですが、研究者や働いている人達を含めて雇用をどうするかというのは別の問題で、それは自然エネルギーで地域で雇用するとか。
 私はいろんなところの原発の地元に行くけれど、街はさびれていく、つまり交付金はどんどん下がっていくので、どんどん建ててくれと依存しないとだめで、決して街が活気があるという状態ではないんですよ。

 鎌田
 敦賀で僕は農産物の種屋さんをやっている商店主の自民党の市会議員に会ったことがあるんですが、その人はもちろんはじめ賛成派だったんですが、原発連れて来て発展すると思ったら、スーパーマーケットなどが来るんですね。事業が入るとそれを狙って大型商店とかああいうのが来てしまうから、店がつぶれる。
 それで反対になったんです。でも、反対になってもこのままでは食って行けないというのでまた賛成になって、新しい原発の誘致運動になるという、そういう構造全てお金で人間が動く、それを政府、自民党政府と電力会社が知ってるということですよ。
 人間は金をやれば転ぶんだということを知っていて、それを哲学にして推してくる、それはすごい頽廃だと思います。

 福島
 在日米軍基地と一緒で、札束で人の横面ひっぱたいて押し付ける。
 ただ一方で、今は新潟市になった巻町の住民投票で原発いらないと勝つとか、柏崎刈羽でプルサーマル導入の刈羽村の住民投票のときでしたが、あのときは、住民は原発はある程度受け入れてきたが、プルサーマルはNOだったんですね。
 それから山口県の上関原発、祝島から4キロしか離れていない、そして祝島の漁民の人たちは補償金いらない、ともう30年闘って、今も闘っています。
 あるいは旭化成が日向でウラン濃縮工場を建てるという、あれも裁判になって、事故など問題が起きたから計画そのものが頓挫してやめていく。
 ですから、一つは、電気料金や税金に入っているお金をつぎ込んできた、だから原発はすごいつっかい棒でやってきた異様な産業で、ものすごく国策として税金・電気料金からものすごく補填されて来た。
 その象徴が事故が起きた時の損害補償の仕組みで、こんなのあるかと思うけれど、すごいつっかい棒なんですね、その優遇策をやめようよ、となるだけでも違う。
 もう一つは、札びらで人の横面ひっぱたく構造でやってきたんだけれど、それでもいらないよと言ってきた人たちをたくさん知ってるんですよね。

 鎌田
 二つあって、反対していたんだけれど、結局漁業補償とかお金をもらってしまって、で、これから反対すると漁業補償を返せと言われるんじゃないかと怖がっていて、原発の怖さは知ってきたけど手も足も出ない、反対もできない、という人たち、全く屈服してしまった人たちがいるんですね。
 そうなる前に反対してうまく計画を断念させた人、四国の窪川町がありますけれど、それがどうして成功したのかということをちゃんと点検する必要があると思います。
 さっきおっしゃった巻原発の場合ですと、あれはきわめて市民運動的にやっていました。小さい空き地にポールを立ててロープを張って、それに個人個人がハンカチに「原発いらない」とか「子どもに未来を」とかいろんな思いを書いて、そこに自分でそこに行って結び付けてくる。
 そのロープにハンカチがいっぱいになるとまた新しくポールを作る。これは、昔の運動を知っている人たちは、そんなハンカチぶら下げて何になる、とか言いがちですが、ひとつの思いを表現してそれが結集していくというのが運動なんですよ。

 福島
 そうですね、それによく勉強会もやってましたね。

 鎌田
 そういうのが住民投票に結びついていって、最後はリコール投票になって、町長が変わって、町有地を守って、それで町長がこれも英断ですけれど、反対派の町民に町有地を売ってしまう、すると東北電力は手をつけられないという。
 ですから、今ある運動は、大きい組織がやらないと運動にならない、小さい市民レベルでは運動にならないというような、日本の戦後の運動のつくり方があったわけですが、そうじゃなくて一人一人がどう参加しやすくする、その力が既成の運動と違う新しい運動を作って、そこで決定してしまうともうお金の問題は発生しないんですよね。きれいさっぱりしているんですよ。

 福島
 刈羽村の時も、いろんな集会・勉強会・討論集会があって
 (鎌田:あそこはやっていましたね)
 たんぼの真ん中で話をすると女性たちが聞いてくれましたね、うちには孫が小さいのがおるから、みたいな。

 鎌田
 ですから福島さんは昔の運動などもよくごぞんじなんで。

 福島
 私は二十代のときに六ヶ所村にスタディツアーで行きましたよ。まだ整地して建設中のときでしたけれどね。

 鎌田
 ぼくが柏崎に行ったのは、原発地帯で一番早くて、それは公害問題から行ったんですね。70年代に住民闘争があって、柏崎の現地闘争が盛んになって、今でもがんばっている武本さんがまだ二十代で新潟大学を卒業してほんとにかわいい青年だった頃から知っています。
 あそこは刈羽村の人たちが柏崎が近いから柏崎に通勤しているそういう青年たちがけっこういたんですよ。そういう若者たちが社会党の議員と一緒に運動を作ってずっとがんばってきた。そういう流れがずっとあったんで各地の運動の報告をやってきたんです。
 確かに原発は作られて負けてきたけれど、いろんな地域にがんばって反対している人たちがいて、その人たちの力がこれからどうなっていくのかということだと思うんですね。

 福島
 そうですね。
 私は東京で脱原発の街頭演説がやれるようになって、それだけ被害が広がったんだけれど、でも実はみなの命の問題です。みんな、こんなはずじゃなかった、こんな事故が起きるなんて、あるいは、事故が起きたら自動停止しますというのが電力会社のパンフレットだったんだけれど、自動停止しないこともあるし、浜岡なんか縦揺れが同時に起これば制御棒が入らない可能性もあるわけですし、制御棒が入って自動停止してからもそれからが大変なことが起きる。
 わたし達だって、スリーマイルとチェルノブイリは知っていても、リアルな体験は今回が初めてなので、多くの人が新たにすごく考え始めてくれているとは思っているんですよね。

 鎌田
 事故を想定して避難道路がないから避難道路を作ってくれとかほんとに悲しいんですよね。たとえば下北半島の大間では、前は津軽海峡で全部海に囲まれていて、狭い道が1本、むつ市の方に通っていて、むつ市からは2本くらい両方の海岸にありますが、そういうところで逃げ場がない。原発は逃げ場がないところに作っているわけなんですけど、原発の地域に住んでいる人たちの生活にあまりにも無関心過ぎたんだと思います。
 一つだけ僕は言いたいことがあるんですけれど、あるコメントで都市の住民にも責任がありますね、と言ったんですね。僕はそれは違う、と、頭に来た。都市の住民が無関心であったことはカッコつきだけれどとても犯罪的だったんだけれど、原発を選択はしていないんですよ。
 原発を選択したのは国と電力会社で、都市の住民はそれを押し付けられてきたんですけれど、都市の住民にも責任がありますね、と言ったら総ざんげになっちゃうんです。じゃなくて、今までの原発行政を批判して、しかし翻って考えると、電力会社の宣伝に乗って電力をどんどん使うスタイルの生活をしてきた自分達も生活を変えていかなくちゃいけない、というふうにすれば理解しやすいんだけれど、総ぐるみの総ざんげで、国も電力会社も学者も裁判所も官僚も市民もみな責任あります、という論調になりかねない。
 もう一つは、今度は失敗しない原発できます、という主張が入ってくること。
 どういうふうにその論理を粉砕していくのかということが問われていて、そういうことをいろんな集会に出かけて話すとか、学んでいくとか、そういうことを続けてやっていきたいと思っています。

 福島
 そうですね。安全な原発なんて絶対にない、地震列島の日本で安全な原発なんてあり得ない、なんらかの形で事故が起きなくても(放射能が?)出て行っているし、たくさんの事故も起きていますし、いったん事故が起きれば取りかえしがつかない、電源車がどうのこうのとかそういうレベルの話ではないんですよね。全部ぶっこわれたときにどうしようもないんだから。
 
 鎌田
 だから社民党は命をスローガンに掲げていますから、小さい命を救うという政策で頑張ってほしいですね。

 福島
 これからその二つの、モノと、安全な原発を作ろうというのや、もっと違う言い方に負けないように、多くの人に、自分の命も子ども達の命も皆の命も守ろう、というので頑張っていきたいと思います。
 今日はありがとうございました。

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