福島みずほのどきどき日記

高木久仁子対談録「高木仁三郎を語る」概要 (10月3日収録)

 福島
 今日は高木久仁子さんに来ていただきました。私がずーーーっと尊敬している高木仁三郎さんのパートナーの方です。高木仁三郎さんは残念ながら2000年10月18日にお亡くなりになりました。でも、今日、高木仁三郎さんの話を是非久仁子さんにしていただきたいと思ったのは、多くの人たちに、市民科学者として生きるとしてずっと反原発、脱原発を、もともと科学者ですが、日本の中で市民科学者として牽引して来た、命を削って活動して来た高木仁三郎さんのことを、3.11事故以後考える日々を送っています。ですから今日は、久仁子さんに、高木仁三郎さんに成り代わって、あるいは久仁子さんの視点から脱原発の話もしていただきたいと思っています。今日は本当に有難うございます。
 仁三郎さんと久仁子さんは非常に良い対等なパートナーだったと思います。高木仁三郎さんのことをとてもよく知っていらっしゃる方もいると思いますし、若い人ではあまりご存じない方もいるかもしれません。高木仁三郎さんの活動について話していただけますか。

 高木
 2000年に62歳で亡くなりましたので、もう11年前になりますし、特に若い方はごぞんじない方もたくさんいるかと思います。彼はもともとは、核化学と言って、核の化学ですが、そういう専門の研究をしておりました。30歳になるまでは大学だとか会社だとか研究所で普通の科学者としての活動をしていたんですが、ちょうどそのとき大学闘争の時期なんですね。それで大学とは何かとか、学問とは何かと学生から突きつけられて、自分はもうそのときは学生ではなくて教える側にいたわけですけれど、大学が封鎖になり、封鎖を解除する時に機動隊を入れ、そういうときに自分のやってることは何なのかということを突き詰めて、もうやっぱり大学にいても仕方がないんじゃないかと、そこで大学を辞めたんですね。もともとはだから、一市民としていろんな運動・活動をしていきたいと思っていたわけですけれども、出が核化学とか、原子力の商業発電が起こる前の民間の会社の研究所で研究していましたので、やはり専門家として少ないわけですから、そう動いてほしいという要望が周りから多く、それで原子力資料情報室の立ち上げに参加したわけです。

 福島
 今回の3.11事故以後の原子力資料情報室は、もちろんその前からですが、いろんな活動をしていますが、後藤正志さんやいろんな方たちを呼んで、今回の事故は何だったかという院内集会をたくさんやったり、記者会見をやったりものすごく活動していますからね。

 高木
 亡くなるときに、私に言い残していったのは、原子力資料情報室だけは歯を食いしばってもがんばって続けてくれというのが遺言でした。彼は自分で原子力に携わってきた、自分のやってきたことが間違っていた、こういう道に入ったこと自体を非常に反省していて、専門の立場から、どうしたら核に頼らない世の中を作っていけるかに一生をかけたといっても言い過ぎではないような生き方をして来たんですね。今は想定外とかいろいろ出てくる人が言いますよね。だけれど、原子力の専門家だったらひとたび事故が起こったら大変なことになるというのは計算して簡単にわかるんですね、誰でも。想定外でもなんでもないわけです。なぜみな見過ごして来たかというと、そんなことは起こるはずがないという信仰みたいなものですね。
 私など科学者としてすごくおかしいなと思うんですけども。科学者として何を批判するか、何を言っていくかということに、世間を見て黙るとかそういうことをせずに言ってきたので、場合によっては全然取り上げられなかったり、反原発派として排除されたり、そういう厳しい人生を送ってもきたわけです。

 福島
 広瀬隆さんの「危険な話」やいろんな本が非常に売れたりして、500万署名を集めて日比谷野外音楽堂で反原発集会をやったり、常にリードしてやってこられましたね。あれは何年でしたかね。

 高木
 日比谷公園で1万人集会というのが2万人になったのが1988年でした、チェルノブイリの2年後なんです。

 福島
 私もその集会に行きました。よく覚えています。チェルノブイリの原発事故が起きた時、私も子どもが生まれたばかりだったので、高木仁三郎さんにどうしたらいいか相談したり、1988年も日比谷野外音楽堂にいましたけど、そのときは非常に盛り上がったんですよね。あのときに、あれはロシアの事故だ、としないで、日本の社会に真摯にもっと受け止めることができれば福島の原発事故を防ぐことができたのに、とほんとに残念に思いますね。

 高木
 チェルノブイリの前にはスリーマイルがあったわけですね。だから、そういう事故が起きればどういうふうになるかというのはちゃんと見ていれば知らないはずはなくて、それを結局一つも教訓にできなかったということを今ちゃんと受け止めないとまた繰り返すことになると思うんですね。日本人の民族性というのか、水に流すとか、そういうところがずっとあるでしょう。農耕民族の、畑のものを元に戻すと土に還るというか、そういう精神があるわけですが、放射線とか放射性物質というのは土に還らないのですね(福島:除染しても動くだけなんですよね)。
 消えるわけではなくて、除染して集めればそこの線量はもっと高くなってしまうという、そういうことなので、人間がつきあってきた歴史の中にないものだと思うんですね。今回も見ていて、津波が来ると子どもでも高いところに逃げるとぴんと来ますが、でも、放射能が来たときにではどうするかというときに、経験も何もない、だって感じることもできないし、来ているかどうかもわからない、そういう現状に行き当たってしまっているなとつくづく感じたんですね。
 日本は唯一の被爆国と一般的に言うじゃないですか、広島、長崎、その後第五福竜丸など被曝して大変な騒動になっていて、放射能は怖いという普通の人は意識があるわけですよね。そう思っているのに、こんなに54基の原発がある世の中になっているのに、放射線教育はまるでないんですね。で、安全です、安全です、と言うんだけれど、それもおかしな話で、安全じゃないから安全ですと言っているわけですね。
 そういうほんとに危ないものに相対するのなら、どういうふうに危険なのか、そのときにどう対処すればいいのかという教育がなされていないといけないんだけど、それがまるでなくて、専門家になればなるほどないというのが、テレビや新聞、雑誌をみていてつくづく感じて、これはすごく怖いなと思って、放射線の怖さと同時に、社会の仕組みの怖さを感じましたね。

 福島
 高木仁三郎さんはいろんな裁判の支援を、つまり、核の問題は専門家が少ないし、きちっと反原発・脱原発の立場で裁判を応援する人もとても少なかったので、いろんな裁判をほんとに応援して、証人になっていただいたりしていただいた方なんですよね。それからもう一つ、市民運動も、原子力資料情報室を作り、いろんな署名活動や集会をやり、また、出前教室などやって、だからこそ、嫌がらせを受けたり、いろんなこともたくさんあったと思うんですが、どうですか。

 高木
 ほんとにいろいろありましたね。今はもう時間が経ってしまっているから、ああ、そんなことがあったなと今からだと思いますけれども、でもまあ、いろいろありました。(福島:注文してないものが届くとか)毎日毎日、郵便ポストに入りきらないほど届くんですよね、いろんなものが。それは仁三郎だけじゃなくて、反原発運動にかかわっていた人は多かれ少なかれ、まあ、反原発だけじゃなく、社会運動みたいなことをやっていると、そういう嫌がらせを。

 福島
 私が非常に怒り狂うのは、高木仁三郎さん自身が運動からやめるという怪文書を反原発運動の人たちにずっと流布した、そういうのは広がると、本人じゃないと言えなくなるじゃないですか、それともう一つ、反原発をやってた人たちに、女性たちのポルノの写真やコンドームが送りつけられて、でもそれは弁護士会に人権救済の申立てをしたらぴたっと止まったんですよね。でも、原発を推進するためにどんなに汚い手段をも使うみたいな、そして市民運動に対するそういうあからさまな嫌がらせや暴力じみたことってすごく卑劣じゃないですか。

 高木
 見張ってるよ、という意味だと思うんですが、うちの写真を送ってくるんですね。そういうのは仁三郎のところだけでなくて、もう何人もそういうことがあって、そういうのを証拠にして裁判をするかと段ボールに入れてたんだけれども、もう場所ふさぎでどこかに捨てちゃったのか(笑)。

 福島
 でも人権救済の申立てをして止まりましたね。だからやはり、3.11以降、例えば東電がマニュアルを全部黒塗りにして出すとか、みな変と思うんだけれど、でも、反原発運動をやってきた人たちは、変どころか、ひどい目に合いながらやってきたんですよね。

 高木
 それから、やらせメール。今回は佐賀でも泊でも問題になりましたけれども(福島:当たり前です!)ずっとああいう歴史なんですね。おかしいと言っても全然聴く耳持たないで進められてきたので、反原発の声が届かないというか、言っても言っても、例えば新聞でも取りあげない。こないだの集会だって小さかったですよね。5万人、6万人と集まった割には。外国で5万人集まるとこんな大きい外電になって載るんだけれど。

 福島
 9.19集会のことですね。大きくとり上げた東京新聞や毎日新聞もありましたけれどね。

 高木
 だからそういうふうにバイアスがかかっているから、本当に普通の人が知らなきゃいけない、知ってほしいことがなかなか伝わらないということがずっとあったんですね。私たちも資料室も一生懸命努力をしたけれども、限られた範囲なので、繰り返していいますが、こういう事故がいつあってもおかしくないような状況がずっとあったわけですね。で、裁判やってもみな負けちゃう。

 福島
 勝ったのはもんじゅの二審と志賀原発の一審ですが。

 高木
 でも、そのあとくつがえるんですよね。

 福島
 でも、差し止めを認めたもんじゅの二審の裁判官などは根性あったと思いますよ。逆にそれくらい、他のところでは、国の原発推進策をそのまま追認した・・・

 高木
 普通の人は追認しちゃうような仕組みがあって、よっぽどおかしいと思わないと、逆転というか、国側じゃない判決ができない仕組みに子の国がなっているということは、普通の人が変えないと、もうあとがない。私は思うんですが、国の政治家だとか、財界のボスなどにお任せしていたらろくなことはないよ、と。私たちの未来は私たちで少なくとも決めないと、そんな人たちに左右されたくないなと思うんですね。

 福島
 もちろん、久仁子さん自身の思いや人生もあるし、もう一人高木仁三郎さんが市民科学者として生きると何十年とやってきた、経済的にも大変だったかもしれないし、そのまま原発推進の科学者としていったら栄達があったかもしれないのに、そういうのと全く関係なく脱原発・反原発でがんばって生きてこられて、やっぱりそれはきちっと評価されるべきだし、3.11福島東電原発事故のあった後、彼のような思いを持った人たちを受け継ぎたいと思っているんですね。
 私はホスピスに入っていらした時にお見舞いに行って、それからお葬式に行ったり、高木さんが亡くなって大変だなあと思ったのですが、多くの人が遺志を受け継いでがんばらなくちゃと思ったんです。高木さん自身、もし生きていらしたら、原子力安全委員会の委員長をやるとかおっしゃったんじゃないですか。

 高木
 それは私はよくわかりませんが、一つは、福島の事故で生きていたらどうなさったでしょうねと何回もいろんな方から聞かれるんですけれど、私は絶句してしまうんですよ、答えようがなくて。だけれど、彼が言いたかったことは、私がどれだけ代弁できるかわからないけれども、原子力というのはもともとボタンのかけ違いじゃないけれど、変なふうに変なふうに進んできたということがあるわけです。一つは日本は資源が少ないから、再処理をしてそれで使用済み燃料を何回も夢のリサイクルができるという、それで最初はウランを買うけれどもあとは純国産のエネルギーですよ、というので、みながオイルショックのあともやっているわけですね。
 だけど、よくよく見てみると、もんじゅも、六ヶ所もですが、もんじゅなどは高速増殖炉のそれも原型炉ですね、で、そのあとの実証化には行ってなくてそこで止まっていて、1995年ですか、ナトリウム火災事故を起こして、一方、六ヶ所の再処理工場は着工して何年になりますか、まだできないんですよね。結局あれは永久にできないですよね。そういうことを軸に原子力政策があるんですね。
 今でも、これから核燃料サイクルをどうするかとやるんですね。もう破綻しているのに、恥の上塗りじゃないけれど、何か言っているようなふうに、原子力委員会の人も安全委員会の人も経産省の役人も、思ってないんだと思うけれど、そういうふりをしている。で、誰も王様が裸だと言わないんですよね。それ言っちゃったらパーになっちゃうわけでしょ。今度のプルサーマルだってそうですね。結局プルトニウムが再処理で使えないから、あんなMOX燃料にしてやらなきゃいけないわけでしょ。そういうところをむしろちゃんと見ないといけないと思うんですね。
 ほんとに最初からうまくいってない。それに加えて、廃棄物の問題、これは誰がなんと言ったって、どこだってうまく解決できないですよね。福島原発のあんな事故になれば、もっと普通の処理ができないから、冷えるまで待って、冷えたってどうするんですかという話になっているんだけれど、そういう一番大事なことが吹っ飛んでいっちゃってる。で、それでストレステストとか防潮堤とかそういうところで解決するんではないかというところに話が行っちゃってる、そういうところを彼は一番批判していたと思うんですね。
 福島の事故を起こしたマークIというの、あれは日本でまだ10基あるというじゃないですか。普通だったらマークIでああいう風な事故を起こしたらまずはそれを止めて、となりますよね。それでGEがやったわけでしょ。なぜメーカーの責任が出てこないんですかね(福島:あれは免責してしまっているんですかね)。おかしいですよ。他のものならエレベーターだってパソコンだって(福島:製造物責任ですね)メーカーが出て来て。だからそれ自体が契約としてもおかしな契約を結ばされてるわけだし、そういうことを、言わなきゃいけないことがおざなりになっちゃっていて、そういうことは彼はかなりガンガン言っていると思うんですね。
 彼が生きているときからそうですが、原子力は斜陽残業なんですね。言ってしまえば、どうやって賢く撤収するかということを考えなければいけないのに、まだどう動かすかというような発想の人が中枢にいるということは、この国にとってみれば非常にあせっちゃいますよね。早く変わってほしい、退場してほしい、と心から思います。

 福島
 王様は裸だ、原発は危険だ、もうすぐ停止して撤収すべきだ・・・

 高木
 撤収してもすごくお金がかかるんですよね。それは払い続けなければいけないわけです、今まで使っちゃったから。それなのに、まだ動かしますと言っているわけですね。そんなに動かしたければみな自己責任でやって下さい、税金からビタ一文も出さずに、と言いたいですね。

 福島
 廃炉にするのだって大変。メルトスルーした福島東電の燃料棒はどう取り出すか、専門家でもお手上げだと聞きますからね。高木仁三郎さんが生きていらしたら、今は獅子奮迅、生きていらっしゃる時もそうでしたが、いろんな活躍をされて席の温まる暇がないくらいがんばっていらしたと思います。日本はずっと40年以上、反原発で地域で死に物狂いでがんばってきた人たちもいる、上関だって30年ですからね。裁判もなかなか勝たないんだけれども、きちっと起こしてがんばってきたたくさんの原告、弁護士がいる。裁判の中で論争してきて議事録もちゃんとあるんですよね。いろんな方が証言して論点も出ている。それをきちっときいていれば変わったんだけれど、私は裁判がなければ論点にもならなかったと思っているので、ほんとにみながんばってやってきたと思うんです。
 そしてそれを高木仁三郎さんのような科学者が市民運動を牽引して、みなと一緒に勉強しようという形でやってきて、名誉、栄達、お金を求めず、ひたすらいのちをだいじに、脱原発・反原発でがんばってこられた。ただご本人も原子炉などによく入っていらしたこともあり、それもガンの原因だったかなとちらっと思いますけどね。

 高木
 わからないですけれどね。
 さっきの福島さんのお話で生きていたらどうするかという、私が一番思うのは、被災者の方たちとおろおろしていたと思うんです。それ以上に、専門家だからできるとかいうことは少ないわけですよね。こうやってこれから健康被害やいろんな被害が目に見えているわけですが、そういう被害を少しでも広げないというか、努力しても、マスとしての健康が損なわれるというのは断言できると思うんですね。そういう時代に私たちは生きているので、これからどうやって明日の希望を生み出していくか、それは一人一人では大変なので、みなで力を合わせていくしかないかなと思いますね。

 福島
 そうですね。遺志も引き継いで、でもまたおろおろしながらでもがんばっていきましょう。今日は高木仁三郎さんの話をしてくださって、ほんとうにありがとうございます。その運動の延長線上にもわたしたちはあるんだと私は思っているんですね。ありがとうございました。

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