福島みずほのどきどき日記

3・11以降の国会報告 ~こんな事があったのです~

第1 原発震災直後

1.3月11日

 2O11年3月11日に地震が起きたとき、ちょうど有楽町イトシア前で、ニュージーランドの地震の募金集めをしているときだった。ニュージーランドの地震の被害のために募金をという街頭演説をしている最中に地震が起きて本当に驚いた。街頭演説の車が大きく揺れた。現地はどうかと本当に心配。  
 
 夜6時に各党の党首が官邸に集まり、何かのときのための官邸とのホットラインの電話番号を教えられる。
 緊迫したなかで解散。ラジオのニュースで、全電源が喪失をしたので、電源車が現地へ向かっていると聞く。全部の電源が喪失、ステーションブラックアウトが生ずるという問題点は、様々な裁判で提起をされてきたことである。全電源が喪失をし、冷却ができなくなり、燃料棒が溶融していきメルトダウンが起きることは、一番危険なこととして、指摘をされてきた。
 「どうか電源車が間にあうように」と祈るような思いだった。
 地震と津波による被害の報道がはいってくる。
 家族も夜12時すぎに歩いて帰ってきた。
 
2.3月12日
 
津波と地震の被害が心配で連絡をしたりするがつながらない。
電源車の電源が使われなかったことを新聞で知り、原発の状況が心配で、昨日もらったホットラインに電話をする。ファックスを送ってもらう。これは、緊急災害対策本部が作ったもので、「3月12日(7:00)現在」とあり、「東北地方太平洋地震について(第16報)」となっている。これは官邸のホームページにアップされ続けているもののである。

 これを見て、心底驚いた。
 各省庁の体制のところで、原子力・安全保安院は、11日の22時の時点で、福島第一2号機の今後のプラント状況の評価結果(放出される放射性物質の量は解析中)として次のように書かれていた。

 (実績)14:47 原子炉スクラム(RCIC起動)
 (実績)20:30 RCIC停止(原子炉への注水機能喪失)
 (実績)21:50 水位計復活(L2:燃料上部より約3mの水位)
 (予測)22:50 炉心露出
 (予測)23:50 燃料被覆管破損
 (予測)24:50 燃料熔融
 (予測)27:20 原子炉格納容器設計最高圧(527.6KPa)到達

  つまり、11日の夜10時の時点で、もうすぐ燃料熔融が起きることを予測をしているのである。
 わたしは、心底驚いた。一体、原発はどうなっているのか。
 
 避難については、12日の朝5時44分に、総理指示で、「福島第一原子力発電所から10Km以内の住民は、圏外に避難せよ」となっている。
 しかし、これで十分とは言えないのではないか。

 ホットラインの電話番号に電話をして、原発の状況を聞くと、「ここに電話をして下さい」と言われ、そこに電話をすると保安院だった。

 朝の9時過ぎである。
 保安院は、「圧力容器内の気圧が高くなっているので、ベントをしなくてはならない。しかし、一つの弁はあいたが、もうひとつの弁がどうしても開かなくて、ベントができない。」と大変な状況だった。
 もう一つの弁を開けたいが、放射線量が高くて、近寄れないということであった。電気の遠隔操作でやるか、多くの人を使ってやるしかないと説明を受けた(後で聞くと、中央制御室に機器を持ちこんで、電気の遠隔操作で弁を開けたと聞いた。)
 
 「燃料棒が損傷している可能性がありますね。」と聞くと、「はい、そうです。」と言う答え。
 「燃料棒が損傷しているのであれば、10キロの避難では足りないのではないですか。」と保安院に言ったが、「これで大丈夫と考えている。」という答え。
 もっと避難をさせるべきだと私は主張したが、これについては平行線で終わった。
 大変なことになった。
 原発震災という言葉を思い出す。

 原発震災というのは、尊敬をする地震学者である石橋克彦さんが作られた言葉である。わたしは、随分以前に石橋さんの兵庫県のご自宅で地震についてレクチャーをしていただいたことがある。
 石橋先生は、2005年2月23日に、衆議院の予算委員会で、発言をしていらっしゃる。
 「現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつあるということは、ほとんどの地震学者が共通に考えております。」
 「原発の事故というのは単一要因故障といって、どこか一つが壊れる、その場合は多重防護システムあるいはバックアップシステム、安全装置が働いて大丈夫なようになるというふうにつくられているわけですけれども、地震の場合は複数の要因の故障ていって、いろいろなところが振動でやられるわけですから、それらが複合して、多重防護システムが働かなくなるとか安全装置が働かなくなるとかで、それが最悪の場合には、いわゆるシビアアクシデント、過酷事故という、炉心熔融とか核暴走とかいうことにつながりかねないわけであります。」
 地震と震災のことについて、まさに、福島原発事故の問題点をはっきり2005年に国会で述べているのである。
 石橋先生は、非常に強い放射能があるわけだから、人々の救出などをやりたくてもやれなくなるとも述べている。
 今回、たとえば、ベントをするために、弁を開けようとして、開かないときに、人が近寄れないということがまさに起きたのである。
 災害に対応をしようにも、高い放射線量のために、人々が対応できないということが、原発震災の特色の一つだが、まさにそのことが起きたのである。
 石橋さんの2005年の国会での発言は、福島原発事故の預言のようにも読めるし、また、今読むとこれからのことの警鐘のようにも読める。

 燃料棒が熔融しているのであれば、メルトダウンが起きるのではないか。
 また、ベントをするのであれば、被曝をできるだけ減らすために、人々にそのことを知らせるべきではないか。
 そもそもベントができなければ、格納容器の爆発というとんでもないことが起きてしまうのではないか。
 こんなに大変な状況であれば、10キロ圏内の人たちの避難などでは足りず、20キロ、30キロにわたって避難をさせるべきではないか。
 
 対応が心配になり、官邸に電話をする。
 保安院の中村審議官が、メルトダウンの可能性があると発表したことを知る(その後、中村審議官から西山審議官に交代をしてしまう)。

 12日の3時に、各党の党首が集められる。
 それぞれが意見を言う。 
 わたしは、燃料棒の熔融の可能性、ベントのこと、10キロの避難では足りないことなど、最悪のことを考えて対応をすべきであるということを要望をする。
 しかし、官房長官の対応は、「10キロで十分である。」ということだった。
 
 後で知ったが、この党首会談の最中に、1号機で水素爆発が起きていたのである。
 東電から官邸への連絡も2時間ほど遅れたと、次の日の午後、総理に申し入れをしたときに聞いた。
 
3.3月13日

 わたしは、6月10日に参院の予算委員会で、メルトダウン、メルトスルーについて質問をした。それは、原子力安全・保安院が、6月6日に「1号機から3号機までの炉心の状況を解析をした結果として、いずれも燃料が熔融し、原子炉圧力容器底部が損傷した可能性について公表をしたからである。
 しかし、あまりに、あまりに、あまりに、公表が遅い。
 
 3月12日午前8時39分から49分の間に、放射性物質テルル132が福島第1原発から6キロ離れた福島県浪江町で検出されている。
 
 テルル132の検出は、核燃料が千度以上になったことを示すもので、ペレット、燃料が損傷し、放射性物質が格納容器から外に出ていることを明らかにしている。
 燃料棒が熔融している可能性ではなく、まさに、燃料棒は熔融しているのである。

 「しかし、原災本部事務局は、この3月11日から15日までの間のモニタリング結果のうちの大部分を直ちに公表せず、そのほとんどを6月3日になって初めて公表をした。」(事故調査・検証委員会の中間報告)。
 
 保安院は結果の一部は直ちに公表をした。3月14日に、保安院は地震被害情報として公表をしたなかに、現地からの情報ということで、緊急時環境放射線モニタリングの実施により、テルルの分析結果についても公表をしている。
 しかし、こんな重要なことをなぜもっと国民がわかる形で発表をしなかったのか。また、原災本部はなぜ全部を公表しなかったのか。当時、人々が事実はどうなのか知りたいと切実に思っていたときに、なぜデータを国民にすべて公表をしなかったのか。

 メルトダウンの可能性などではなく、燃料棒は熔融しています、メルトダウンをしていますと言うべきだったのだ。
 そうすれば、人々もっと的確な形で、避難などについて選択できたと思う。

 テルル132については、6月10日の参議院予算委員会の答弁のなかで、官房長官は「私も今、テルルという、これ放射性物質だと思いますけれども、について、今委員が御指摘いただいたような、何というんでしょう、根拠になるようなものだということについては、今の御質問をお聞きして初めて承知をしたものでございます。」と言っている。
 
 テルル132について、つまり燃料棒が熔融しているまさに証拠について、官房長官は説明を受けず、この質問の6月10日まで説明を受けていないのである。
 ましてや国民は、説明を受けていない。

 13日に、官邸に、事故対応について、申し入れに行き、総理と話す。
 「原子力災害対策本部の機能を補完・強化すべく、電力会社、地元自治体、専門家等を含めた国を挙げた体制を立ち上げること。」などについて話す。
 つまり、東電まかせにせず、国が東電をコントロールしてやるべきだと話す。

 これ以降、ほぼ毎日のように申し入れ書を持参し、官邸に行く。

4.3月15日
 
これ以降、情報開示と避難の拡大などについて、申し入れに行く。

 情報開示については、「事故状況はもちろんのこと、広域における放射線量測定値の分布状況、放射物質の被曝がもたらすリスク情報、気象情報(飛散情報)を迅速かつ定時的に開示すること。その際、常に最悪の事態を想定をした現状分析を行うこと。」
 
 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)がすぐ公表されなかったことは本当に問題である。

 3月17日には、3点を申し入れている。

①20km~30kmの屋内退避指示圏内の住民をただちに30km圏外に避難させること。
②γ線だけではなく、α線も対象とした広域放射線量モニタリングの体制を早急に確保すること。       
③東海地震の予想震源域に位置する浜岡原子力発電所の停止を決断すること。
 
 政府に浜岡原発の停止を言ったのは、3月17日のときである。

 屋内避難の住民を30km圏外に避難をさせるべきだという主張は本当になかなか認められなかった。
 

第2 地震か津波か

 東京電力の清水社長は、3月13日夜に、地震発生後に初めて記者会見を開き、福島原発が被災した原因を「地震による揺れではなく、想定外の津波が非常用電源にかかり機能しなくなったため」と説明をした。

 この説明には、2つの問題点がある。
 一つは、「想定外」としていること。
 二つは、「地震による揺れではなく」としていることである。
 福島原発事故の原因は津波だけなのか、それとも地震も原因ではないかというのは、非常に重要な論点である。
 
例えば、浜岡原発について言えば、中部電力は、津波対策として、防潮壁を作ろうとしているが、津波よりも浜岡原発直下付近で地震が起きる可能性が指摘をされており、津波よりも地震のほうがはるかに重要な問題である。
 福井県や石川県などに位置する原発も津波も重要だが、はるかに、地震の心配のほうが大きい。
 今回の福島原発事故の原因を津波だけとすると、地震で起きたことを教訓とできなくなってしまう恐れがある。

 このことについては、田中三彦さんが配管破断の可能性を分析し、書いていらっしゃる。
 わたしも出席をしていたが、12月19日に議員会館で行なわれたNGO主催の「原発の運転再開に反対する政府交渉」で、政府は、「地震直後に面積0.3平方cmのひび割れが入った可能性は否定できないということか」という質問に対して、「否定できない。」と答えている。配管に細かいひび割れが発生をすると、そこからものすごい勢いで、水が外に出てしまう。また、そのことによってもひび割れは拡大をしていく。
 まさに、地震によって、問題が生じ、津波によって、さらに問題が拡大をしたと言える。
 だから、津波のみによって、被害が生じたということはできない。地震と津波の両方なのではないか。だから、津波対策をすればいいということでは全くないのである。

 また、外部電源の喪失は津波が原因でなかったことは明確になっている。
 さらに、3月11日午後3時29分に1号機から約1.5キロ離れたモニタリング・ポストの放射線量を知らせる警報が鳴っている。津波が襲って、非常用発電機が停止する前のことである。東電原子力設備管理部の小林課長は取材に対して「モニタリング・ポストが正常に作動をしていたか、まだ調査をしている。津波が来る前に放射性物質が出ていた可能性も否定できない」と認めている。 
 
 小出裕章さんも社会新報の新年号で、このことについて次のように述べている。
 「地震が事故原因ということになると、停止中の全ての原発の再稼動にストップがかかってしまうため、何としても避けたいというのが国や電力会社の本音だろう。」と。

 津波だけではなく、地震も問題だと強く言っていく必要がある。
 

第3 浜岡原発の停止について

 浜岡原発の静岡地方裁判所の第1審判決の日、2007年10月26日に、わたしは、静岡地裁の法廷にいた。裁判官が、簡単に原告敗訴の判決を述べ終わったとき、隣りにいた近藤正道参議院議員が、「事故が起きたら、どうするんだ!」と叫んだ。近藤さんは、柏崎刈羽原発の裁判を担当をした弁護士で、社民党の参議院議員だった。わたしも一緒に、「事故が起きたらどうするんだ。裁判所は責任をとれるのか。」と叫んでいた。

 あまりに悔しい一日だった。
 原告のみなさん、長野さん、白鳥さん、佐野さんや多くのみなさんが、抗議をする発言をされていた。
 その判決の後、地震学者の石橋克彦さんも、地裁前の道路上で報道機関にコメントを述べた。
 「この判決が間違っていることは自然が証明をするだろうが、そのとき私たちは大変な目に遭っている恐れが強い」というものだった。
 石橋克彦さんの原発震災についての発言もそうだが、石橋さんの発言は、預言者のような重みを持っていたと今も改めて思う。
 今回の福島原発事故の後、福島原発事故はまさにこのときの石橋さんの発言を現実化してしまったものだと痛感をする。
 
 3月17日には、社民党は、総理宛て緊急要請書の3項目として、「東海地震の予想震源域に位置する浜岡原子力発電所の停止を決断をすること」をあげ、官邸に対し、交渉をしている。
 
 4月1日に浜岡原子力発電所に行き、社民党として、所長さんたちに浜岡原発の停止を申し入れ、交渉をした。
 そのときに、中部電力側からから資料をもらったが、その資料に図入りで、次のように書かれていた。
 「南海トラフ沿いでは百年から百五十年程度の間隔でマグニチュード8クラスのプレート間地震が発生をしており、地震の発生状況がよく知られています。浜岡原子力発電所は、東海・東南海・南海地震の3連動が起きることになっている」と。
 これは、反原発の運動のちらしでも何でもなく、中部電力側、浜岡原発の側のパンフレットなのである。
 ここまで言うのであれば、危険な場所にある原発ということを中部電力側がしっかり認めていることになるのではないか。
 このことなどをもとに、4月18日に予算委員会で質問をした。

 「総理、総理が今総理をやっている意味は、やっぱりここで福島原発から学んでしっかり政策を変えることです。総理、浜岡原発止めてください。」
 これに対して、総理は、まず、こう答えている。
 「浜岡原発について多くの議論があることは私も承知をしております。」と続く。
 しかし、ここでは止めるという発言はなかった。

 浜岡原発を止めるべきだという集会やデモが開かれ、わたし自身も参加をした。中部電力が浜岡を止めても、電力の供給に問題がないことは数字から明らかであった。また、2年前の夏は、駿河湾の地震による自動停止と定期検診による停止により、浜岡原発はすべて停止をしていたが、現にそのときも何も問題は生じていなかったのである。
 
 その後も要請や質問をしたが、転機が訪れたと感じたのは、5月2日である。

 予算委員会で、浜岡原発が位置する東海地域で30年以内に地震が起きる可能性について質問をした。
 答えは、「30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%というふうになってございます」というのが答弁だった。
 そして、「海江田大臣、停止命令、出すべきじゃないですか。」という質問に対して、海江田大臣は、「私も現地に行ってしっかりと見てきたいと思っております。」と答えている。
 大臣が行くということを明言したということは、今までとは違う変化が発生をするのではないかと思った。
 また、このとき、総理の答弁も変化する。「今御指摘の問題も含めて、必ずしも福島の問題の結論が出るまで待つことなく、しっかりと検討をしてまいりたいと、こう思っております。」と。
 それまでの総理の答弁は、福島の問題の結論が出たら考えるというものであったから、「福島の問題の結論が出るまで待つことなく」というのは、明らかに答弁が変わったのである。
 
 2人の答弁が変わったので、わたしは、8割くらいの可能性で、浜岡は止まるのではないかと思った。
 
 「浜岡原発、考慮して止めてください。事故が起きたら政府の責任ですよ。日本が破滅するのを誰も見たくないんですよ。」と質問を続けた。

 その日、だめ押しをするために、総理に電話をして、話をし続けた。
 5月6日、総理は、浜岡原発のすべての原発の停止を要請し、12日に、中部電力は、運転中の4、5号機の停止を発表をした。
 何人もの人たちにも総理に話をしてくれるように頼んだりした。集会やデモやブログやツィッターをやっても政治の何が変わるのだという声を聞くことがある。しかし、いろんなみんなの声や力が、現に政策を動かしていることを痛感をしている。多くのみんなの声や行動がなければ、総理も決断をできなかったのではないか。その意味ではみんなの声と行動が政治を動かしているのである。


 第4 再稼動について

1.再稼動にひた走った経済産業省
 福島原発事故があったにもかかわらず、経済産業省は、原発再稼動にひた走った。
 海江田経済産業大臣は、6月18日に記者会見を行ない、「原子力発電所の再起動について」という大臣談話を18日中に、原発の立地自治体に対し、送付をしている。
談話はホームページで公表されている。
 まず、初めから「1、原子力は、化石エネルギー、再生エネルギー、省エネルギーと並んで我が国の未来のエネルギーを担う重要な4本の柱であり、国が安全性も含めて責任を持って取り組んでいく。」としている。脱原発依存の考え方は示されていない。
 
 そして、次のように続く。
「3.これまで経済産業省は、各電気事業者に対し、津波による全交流電源喪失を想定した緊急安全対策の実施を3月30日に指示し、この着実な実施により、炉心損傷等の発生防止に必要な安全性を確保していることは確認をした。これにより、原子力発電所の運転継続及び再稼動は安全上支障がないと考えている。」
 津波のことしか言っていない。結局、これでOKだと言っているのである。

 そして、最後の結論となる。
「8.したがって、我が国経済の今後の発展のためにも、原子力発電所の再起動を是非お願いしたい。必要があれば、私自身が立地地域に伺って、直接御説明とお願いを申し上げたい。」と。

 この記者会見がなされたのは、6月18日のことである。
 この時点で、経済産業省は、「我が国経済の今後の発展のためにも、原子力発電所の再起動を是非お願いしたい。」と言っているのである。

 そもそも事故は収束をしていないし、検証も済んでいない。指針なども無効になり、根本からやりなおさなければならなくなっているのだ。
 経済産業省、保安院、資源エネルギー庁などは、この時点で、安全性は確認できたとしており、3月11日前と頭も心もちっとも変わっていないと言える。
 福島原発事故により、原発の安全神話も原発の安全性も壊れてしまったのである。今まで政府がやってきた原発の許可やチェックが役に立たず、完全に挫折をしたのである。
 このような場合、根本的な見直しが必要であるはずなのに、なぜそのことが起きないのか。
 なぜ安全と言えるのか。
 なぜ再稼動をいそぐのか。
 原発安全神話に則って、原発推進でやっているのが、経済産業省ではないのか。
 今は少し変わってきているのだろうか。

 わたしは、この6月の時点で、経済産業省も資源エネルギーも保安院も原発再稼動にやる気まんまんなのであり、原発推進にやる気まんまんだと思った。
  
 変わらない役所と意識は変わった多くの人たち。
 原発を推進してきた体制を変えていくには、とにかく多くの人たちの力と知恵しかない。


 2.電力は足りている
 
 社民党は、政府自身が発表したデータから、電力は足りていると試算をして、発表をしてきた。いくつかのNGOも電力は足りていると試算をし,発表をしている。
 2011年の夏も冬も2012年も大丈夫なのである。
 そして、政府のエネルギー・環境会議も、条件付きではあるが、2011年の冬も2012年の夏も電力は足りるという試算をしているのである。
 「電気が足りなくなるので、大変」というのは、3月11日前にずっと長い間、原発を推進をするために使われてきたものである。
 
 3.検証の必要性
 
 事故の検証もされていない。
 先日、政府の事故調査・検証委員会が中間報告を出したばかりである。
 国会に設置をされた事故調査の委員会は、これからようやく動き始め,活動を開始をする。
 まだまだ、何が起きたのかわからないことも多いし、検証しなければならないことはたくさんある。3月11日以降のことも問題だが、3月11日前の原発推進政策こそ徹底的に検証をすべきである。何を見落とし、何を考慮せず、やってきたのかしっかり議論をしていきたい。
 事実究明がもっともっと必要だが、原発がどういう状況なのか、燃料棒はどうなっているのかさえわかっていないのである。
 
 国会の事故調査委員会が結論を出す前に、なぜ原発の再稼動がてだきるのか、わからない。
 調査も済んでいないに、なぜ原発を動かすことができるのか。

 4.今までの指針や基準は無効になった
 
 前述したが、今までの指針などは無効になったと考える。福島原発事故を防ぐことができなかったのであるから、根本的な問題があるのである。
 小出裕章さんは、社会新報の新年号でこう述べている。
 「諸指針に抵触するような事態は山ほど起きており、指針全体が意味をなくしているような状況。06年改定の現行耐震指針に基づいてバックフィット(バックチェック)をやり、安全だと言っていた原発が壊れた。意味をなくした指針に照らして認可された原発が今動いている。」
 これはその通りである。ストレステストをすれば十分だということでは、全くないのである。
  
 5.地元の同意
 
 今、原子力安全委員会で、EPZの見直しをしている。
 また、電力会社と自治体の間で結ぶ防災協定についても拡大をすべきである。その動きが広がっている。
 当然である。交付金はおりてこないのに、放射性物質は降ってくることなどを自治体としては防ぎたいと思うことは当然のことだと思う。
 原発事故が起きれば、多くの人たちが故郷を失い、莫大な人たちが被曝の危険にさらされるのである。住民のいのちと健康を守るという観点から、地元自治体の範囲をうんと拡大し、その同意がなければ、原発の再稼動をすべきではないのである。  

 
 第5 事故について

 1.事故やトラブル隠し 
 
 石川県志賀原発は、1999年6月18日に、制御棒3本が脱落し、臨界事故を起こした。しかし、北陸電力は、運転日誌を改ざんした。2007年3月、この臨界事故隠しが発覚した。この直後、志賀原発に行った。
 2004年8月9日、福井県美浜原発3号機で、配管が破裂し、熱湯が噴出して、作業をしていた5人が死亡、6人が重火傷を負うという惨事があった。わたしは、その現場検証の最中に、社民党の視察団として、現場にはいった。
 2007年7月16日、新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発が、ガタガタになり、地面に1mもの段差が生じているとき、17日に、これまた社民党視察団として、原発にはいった。放射性物質が出てはいけないところに放射性物質は出でいた。
 1999年9月30日に起きたJCO事故のまさに事故現場に行ったことがある。
 原発を安全だと思ったことはない。
 
 東京電力の福島第一、第二、柏崎刈羽の原発13基で、1980年代後半から90年代半ばにかけて自主点検記録に虚偽記載がなされていたことが2002年8月29日、原子力安全・保安院の発表によって明らかになった。これは13基の原発の検査にあたったGE技術者から通産省に内部告発があって判明をしたものである。疑惑は拡大をした。
 
 社民党としても当時、東京電力に対し、公開質問状を出し、勝俣社長が社民党に来て、議論をしたことがある。
 佐藤栄佐久福島県知事は、通産省が内部告発を受けながら2年間公表をしないで、プルサーマル計画を推進をしたことについて、「国と東電は同じ穴のムジナだと考えてきたが、国こそが本当のムジナだった。東電だけでなく、原子力全体の問題として体質改善をしないと同じ問題が起こる」と強く批判をした。
 トラブル隠し、隠蔽、国が電力会社をかばうことなど、様々な事件で明らかになってきたことなのである。

 トラブル隠しや情報を公開しないことは、3月11日以降に痛感をすることであるが、その問題点、体質は、3月11日以前にすでに存在をして、問題とされてきたのである。

 2.「原発は安全だ」という神話
 
 「原発は安全だ」という神話を広めてきた人たちは、安全ではないという事象を見ないできたのではないか。

 事故調査・検証委員会の中間報告は、P503で、次のようにまとめている。
 ①津波によるシビアアクシデント対策が欠如していたこと
 ②原子力事故が複合災害として発生するという視点が欠如していたこと
 ③原子力災害を全体的に見る視点が欠如していたこと
の三つが大きく影響していると考える。

 保安院のシビアアクシデントのときの対策を見ると、机上の空論、机の上だけで考えていたのだということを改めて痛感をする。
 1基の電源が喪失をしても、原発は並んで立っているのだから、隣りの2基から電源を調達をするということなどが書かれている。今回の事故からすると全く非現実的、全く牧歌的な世界である。

 地震と津波で、全部の電源が喪失をするなんていうことは念頭に置いていなかったのである。
 中間報告は、津波によるシビアアクシデント対策が欠如と書いてあるが、地震によるシビアアクシデント対策も明確に欠如していたのである。
 
 でも、これらは全くおかしい。
 様々な裁判で、そして、様々な機会に、複合災害が起きること、原発震災、そのときの対策が非常に重要な論点として、論じられてきたからである。
 すべての電源が喪失をするということは、地震のときなどに起きる。まさに、原発震災。
 そして、中越沖地震で、柏崎刈羽原発が、どんな状態になったのかということも既に経験をしているのである。
 
 指摘を全く考慮せず、無視してきたのである。
 「想定外」とはそういうことだ。
 原発を推進するために、様々な指摘は聞かず、すべて「想定外」にしてきたのである。
 
 東京電力の清水社長は、3月13日夜に、地震発生後に初めて記者会見を開き、福島原発が被災した原因を「地震による揺れではなく、想定外の津波が非常用電源にかかり機能しなくなったため」と説明をした。
 地震による揺れではなくとしていることも問題だが、「想定外」にしていることも問題である。
 原発を推進してきた人たちにとって、「想定外」だったのである。
  2010年4月から原子力安全委員長をしている斑目春樹さんは、2007年2月に浜岡原発訴訟で、中部電力側の証人として、出廷し、証言をしている。

 原告側(住民側)の代理人から質問をされている。
 
 問い 「非常用ディーゼル発電機2台が同時に動かないという事態は想定しないんですね」
 答え 「想定しておりません。それは一つの割り切りであると」
 問い 「割り切りというのはどういうことでしようか」
 答え 「非常用ディーゼルが二台動かなくても通常運転中だったら何も起きません。ですから非常用ディーゼルが二台同時に壊れていろいろな問題が起こるためにはそのほかにも、あれも起こる、これも起こると仮定の上に何個も重ねて初めて大事故に至るわけです。だからそういうときに非常用ディーゼル二個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると設計ができなくなっちゃうんですよ。つまり、何でもかんでも、これも可能性ちょっとである、これはちょっと可能性かある、そういうものを全部組み合わせていったら物なんて絶対作れません。だからどこかで割り切るんです」

 非常用ディーゼルが二個とも動かなくなることはないと割り切らなければ、物は作れないと浜岡裁判で証言をしている人が、原子力安全委員長なのである。
 
 このことについては、参院予算委員会で質問をした。事故後、初めて委員長は公の場で発言をしている。

 福島 「そのような事態は想定しない、そのような想定をしたのでは原発は造れない、だから割り切らなければ設計なんてできませんねと言っていますね。割り切った結果が今回の事故ではないんですか。」
 斑目委員長 「確かに割り切らなければ設計ができないというのは事実でございます。その割り切った割り切り方が正しくなかったということも、我々十分反省してございます。」

 3月11後の不手際はたくさんある。しかし、その不手際の原因は、3月11前に存在をしている。原発を推進をするために、わざと無視をしてきたのではないか。だから、その原発推進策こそ問われなければならない。もしも、日本でもう一度原発事故が起きれば日本は破滅してしまうと心底思う。

 <以下、続きます>

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