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福島みずほのどきどき日記

「ユーミンの罪」(酒井順子著)を読んで

「ユーミンの罪」(酒井順子著、講談社現代新書)を読みました。表紙に「ユーミンの歌とは女の業の肯定である。ユーミンと共に駆け抜けた1973年~バブル崩壊」というコピーが付いています。ユーミンは1954年生まれ。私は20代をほぼユーミンの歌と共に過ごしました。テープやCDで聴いたり、家の中で、ユーミンの歌を流しっぱなしにして、勉強したり、読書をしたり、仕事をしたり、家事をしたりしてきました。ユーミンの歌を聴くと、ポジティブに肯定的に元気になる。人生なんとか前向きに生きていける、とてつもなく人生前向きに生きていける気になる歌でした。ユーミンの歌が大好きだったんですが、酒井順子さんの本を読んで、ユーミンの凄さ、そしてそれをとてつもなくうまく料理して分析をする酒井順子さんの腕前にうなりました。2人に感謝と言う感じです。
 私の友人に中島みゆきさんのファンがいました。中島みゆき派と荒井由美派に二分されていたのかもしれません。中島みゆきさんのテープやCDも聴きました。今聴いても「時代」という曲など素晴らしい曲です。中島さんの歌からも励まされたけれども、ユーミンの歌によって肯定的に、軽く、前向きにやってやるぞという雰囲気で若い時を過ごすことができたことはとても良かったです。
 宮崎駿監督はユーミンの曲をたくさん使っています。その理由はとてもわかります。宮崎駿監督が描く少女たちはとても前向きで、そして健気です。ものすごく屈折をしたり傷んでいたりしていません。トトロの2人の女の子にしても、ナウシカの深さや孤独はもちろんあるけれども、「耳をすませば」にしても「魔女の宅急便」にしても、ある種の女の子の成長物語です。女の子が生き生きと前向きに、そして人生をつかもうとして健気に、考え考え生きていく。そんなことを宮崎駿監督が描いています。おそらく宮崎駿監督がそんな女の子達が大好きだったんでしょう。私たち女の子が「赤毛のアン」や「あしながおじさん」といった、女の子のある種の成長物語によって成長してきた、応援をしてきてもらってきたように、「女の子の成長物語」で、励まされて成長していく。女の子が前向きに生きていく、それこそがユーミンの歌だったという気がしています。ユーミンの曲で例えば「小さい時は神様がいていつでも夢を叶えてくれた」という歌詞があります。また「誰かやさしく肩を抱いてくれたら、どこまでも遠く歩いて行けそうよ」という歌詞もある。どこまでも、どこまでも、どこまでも遠く歩いていける、そして子ども時代は恵まれていて、幸せだった、そう言い切れる女の子たちの話です。アダルトチルドレンや辛かったっていう話ではもちろんないんですね。ですから、ここがユーミンが受けたということではないか、こんなに女の子をカラリと肯定してくれた歌はないんじゃないかと思っています。
 しかしユーミンの歌は単に肯定的、前向き、明るいというだけではありません。「真珠のピアス」では嫉妬を扱っているし、それから元彼に会うときの話、それからふられたという話などもたくさん出てきています。楽しみや苦みや辛さや嫉妬やそういうものも描きながら、でも、逆にそういう歌に多くの女性たちは励まされてきたと思います。酒井順子さんの分析は本当に素晴らしくて、ユーミンの二面性つまりかっこよくてスタイルが良くて、素晴らしくて、外の革新性、それから中の保守性というものを分析しています。一瞬一瞬刹那的にあるいは一瞬一瞬を全力で生きながら、もう一方で永遠を探せ、永遠に生きていく、「リーインカーネーション」などでもそうだけれども、永遠の中で生きていくんだという宇宙サイズで物事を考えるという面も出てきています。ですから、その両義性が非常にある。
 酒井さんは20項目立てています。「開けられたパンドラの箱」「ダサイから泣かない」「女性の自立と助手席と」「恋愛と自己愛の間」「除湿機能とポップ」「“連れてって文化”隆盛へ」「ブスと嫉妬の調理法」「時を超越したい」「恋愛格差と上から目線」「欲しいものは奪い取れ」というものなどです。「結婚という最終目的」っていうものもあります。私が今回うなったのは、酒井順子さんの分析です。「女性の自立と助手席と」って言うところも素晴らしくて、確かに「中央フリーウェイ」にしても助手席の女と分析をされています。確かに、男性がいて、そこの助手席に座っている、つまり誰かに属している。誰かがいて、自分がいる。女性の自立を歌いながら決して何者にも属さないという女の人生ではないのですね。スキー場に行っても、スキーをしている彼を見ている。「ノーサイド」の曲も、ラグビーをしている彼を見ている。つまり、自分がやるのではなく、彼を見ているっていう歌。これを助手席の女というように酒井順子さんは分析をしています。なるほどです。助手席の女ではなくて自分がやるのだというように、 10代から思っていた私はそこは少し合わなかったところかもしれないんですが、でも揺れる女の子たち、女性の自立と助手席と両方欲しいという感じも上手く描いています。それから「“連れてって文化”隆盛」という章も面白いです。「私をスキーに連れてって」という大ヒットした映画とこの助手席の女とシンクロするところです。ひとりで勝手に女の子がゲレンデに行くのではなく、私をスキーに連れてってくれる彼がいるっていうことなわけで、この辺も自分もやるんだけれども、でも女性の自立とそれから連れてってと両方うまくできてるなという気がしています。私はカラオケで「赤いスイートピー」をよく歌うのですが、「あなたについて行きたい」、女の子がちゃんと私を口説いてよーって気弱な男の子に思っているんだけれども、でも、私はあなた連れて行きたいと歌う。それは演歌的な「ついて行きます」ではなくって、羽の生えたブーツで飛んで行くっていうわけだから、そこはポップで、軽くて、また力強いところもある。そういう二面性を酒井順子さんはとても上手く描いています。
 それから、分析で面白いと思ったのは、ユーミンの曲に元彼というのがたくさん登場するということなんです。確かにそうです。元彼と会うあるいはばったり元彼と会ってしまってたというシュチエーションはとっても多いです。これを酒井順子さんは、ちょうどこの時期、女性たちは処女で結婚しなければならないということが、女子学生が急速に増えていく中で、大学の進学率が急増する中で、壊れていったということと結びつけて分析しています。結婚するまで処女でなければならない、処女を捧げた相手と結婚しなければならないっていうのが急速に変わっていった時代と位置づけています。これはほんとにそうです。大学時代、仲の良い女友達とこの処女性と結婚ということについて話し合ったことが何回かあります。結婚するまでは処女でなくっちゃっていうのは違うのではというのが、割とその時の共通見解でした。処女膜があるのは、人間の女性とモグラだけなのだから、そんなことを問題にするのはおかしいと言う人もいたぐらいです。その中である友達がこう言いました。「喧嘩になると父親が母親に向かって、結婚したときに処女でなかったということを言う。夫婦喧嘩が始まるとそのことを必ず言う。そういうのは嫌だった。」と。まだまだ男の子たちの中にそういう気持ちもあるのかなあとか、そういう古い男の人もいるんだよね、という話をしたことがあります。
 当時は「女の体」あるいは中山千夏さんの「恋あいうえお」とか女性の体の本が出ていました。私も読んで、自分の体は自分のものとかそれから結婚ってなんだろうっていうことを考えたりしていました。でもユーミンの曲は確かに酒井順子さんが分析するとおり、元彼というのが出てくるということは、もう処女性は問題ではないのです。例えば「チャイニーズスープ」という有名な曲があります。「豆は別れた男たち」っていうフレーズがあります。この、男たちっていうくらいだから、1人でなく何人か元彼がいて、恋愛をしてきたということがわかります。それは、決して、なんか嫌な感じとか蓮っ葉な感じとか、何か汚れたイメージではなく、また元彼に対して、いつも思いを何か持ちながらも、演歌的なドロドロして別れた男に未練たっぷりという歌では決してない。ユーミンが描いた歌でやっぱり女の子たちの意識も変わっていたんじゃないか。それから下町の男の子と山手の女の子の恋愛を描いている曲がある。これ酒井さんは「恋愛格差と上から目線」ということで書いています。これもなるほどです。
 それから、「女に好かれる女」という章があります。私はユーミンは女に好かれる女っていうことだと思います。いま女子会が本当に流行ってるけれども、昔から女の人が彼氏ができたら女友達の中では、あけすけにいろんなことを語りながら戦略を立てたり、悩み相談をしたり、アドバイスをしたり、失恋をしたらとてつもなく慰めてもらうという形でやってきたという気がしています。そんな女の友情も描いているというのが面白いというか、わかるわかると言う感じです。男性たちの友情は仕事があろうが、恋愛をしようが強固な形で続いていく。それに対して、女性の友情は、一旦彼氏ができたら、女の友情はひとまず少しお休みとして、失恋をしたり、別のステージに行くと、それはまた女性の友情が復活する。つまり、融通無碍で、ネットワークが生きたり、また続いたりする。女の楽屋裏的にそれが続くという分析も何かその通りだ、と思っています。友情は続いていく、拘束する友情というよりも付かず離れず友情があってそして、男性との関係は表舞台で、女性との関係は楽屋裏で女の楽屋裏でいろんな情報交換しながら、楽屋裏で言いたい放題言いながらストレス解消していく。そんな女性たちの友情などもユーミン描いていることを酒井順子さんはうまく分析をしています。それと酒井さんは、今と随分違うのは、欲しいものは奪い取れとユーミンは言っている。これは進軍ラッパで、愛は奪い取れ、前に進めと言っている。松田聖子さんが人気を博して一世を風靡しました。 それは彼女のグリップ力、彼女の掴み取る力、彼女もとにかく欲しいものは手にする。それをお洒落に軽くしているのがユーミンの世界だと思います。ユーミンと松田聖子さんの世界は違うものだけれども、共通部分がある。欲しいものは奪い取れ、欲しいものは手にする、私は欲しいものはあきらめない、そして欲しいものを手にすることに何の躊躇がいるものか。欲しいものを欲しいと言って何が問題ということが共通項です。2人は違う形で、松田聖子さんはアグレッシブに、そしてユーミンのほうはとてつもなくお洒落に表現をしているのではないでしょうか。「ユーミンが私たちに残した甘い傷痕とは?キラキラと輝いたあの時代、世の中に与えた影響を検証する」と本の表紙にあります。ユーミンの歌は単に明るいだけではなく傷痕も悲しいことも痛みもなくした恋の痛みもそして、いろんなことが一瞬一瞬で消えていくことも、描いています。「ダサイから泣かない」というのも本当にそうだと思います。ドルフィンで思いっきり泣けたら2人はまた一緒にいることができたのにというフレーズがある。つまり男から別れ話を出された時に泣いてしまえば関係は続いたかもしれない。しかし、なぜ泣かなかったかと言えば、それはダサイからと言う酒井順子さんの分析はほんとに当たっていると思っています。泣いて男を引き止めて関係を維持し結婚にこぎつける、そんな女性たちもいたかもしれません。私はそれはそれでいいって思います。そうしたいんだからそうすればいいと。しかし、ダサイから泣かないという分析は面白い。実は、私もあまり泣かない人です。いつも泣いたって仕方ないというか、泣いて問題が好転すれば泣くのだけれども、泣いてる場合じゃないし、泣いても仕方がないと思うから泣きません。しかし、このダサイから泣かないっていうのは、あのユーミンの美意識、それから女性たちのある種の美意識っていうものをとても表しています。でも、この本の分析で、繰り返しますが、外は革新、中は保守、助手席の女とは、自分で自立してやろうとしているがどこかに所属している女の人を表しているっていうのはそれはその通りではないかと思っています。でも新しい恋愛のあり方、彼と遊びに行くことの楽しさ、でも自分で生きることの楽しさ、失恋をすれば自分なりにそれを癒していくこと、そして過去を恨むのではなくいいこともあったと思いながら前に進んでいく、それも軽く生きて行くっていうのが私たちに力も与えてくれた。ドロドロしたことや重いことから解放してくれたんじゃないか。私は30歳で子供を産みました。子どもが生まれたら子どもを育てることと仕事で必死で、もうユーミンの曲をあまり聴くことがなくなりました。時々聴いたりコンサートのレーザーディスクを見て元気になるっていう感じでしょうか。でも宮崎駿監督がテーマソングに取り入れたり、そして、やはり今でも聴くとどこまでも遠く歩いて行けそうよという気がしています。誰かが肩を抱いてくれたらどこまでも遠く歩いて行けそうよと。20代の私はこの誰かっていうのは多分彼氏という感じだったのかもしれないが、今はどこまでも遠く歩いていけるのは、これはパートナーであったり、子どもであったり、家族であったり、友人であったり見知らぬ人であったり。多くの人たちに励まされて生きているという実感を持っています。ですから助手席の女ではなく私は私でまっすぐに歩いていく。でも一人ぼっちで何か荒野を歩いて行くっていうのではなく、いろんな人々、見知らぬ人、様々な人に励まされて歩いているという感じがしています。ぜひ酒井順子さんの本を読んでみてください。あの時代は一体何だったのか。そして根本的なところで実は女の子たちが変革を遂げたのではないか。もちろん荒井由美から松任谷由実に名前を変えたと、当時名前なんか変えたくない、結婚したくない、私は私で生きていく、なぜ女性ばかり名前を変えなければならないのかと思った私とはもちろんその時点でも違いがありました。松任谷って名前がかっこいいから改姓したんだって言われていますが。それもまたユーミンらしい。それはユーミンを聴きながら、当然ユーミンとは違う選択、違う感覚でした。でもユーミンがソフトなフェミニズムと言うと変だけれど、女の子をいろんな形で励ましてきたんじゃないか。現在様々な女性の表現者がいます。作家は本当に多い。いろんな女性たちが、いろんな女性たちを応援したり、感覚を歌う、これからもそんな歌がたくさん出てくればいいなと思っています。そして女王たるユーミンがまたこれからどんな歌を作ってくれるのかほんとに期待しています。ユーミンに感謝。そして、等身大で本当に絶妙にうまく分析し、さえわたる酒井順子さんに感謝。酒井さんは、ユーミンの学校の後輩で、雰囲気が良くわかっている。ユーミンは、女子校のリーダーで、女たちのカリスマ、女王で、やはり、似た環境で女性の書き手の酒井さんだからこそ見事に分析できたという気がします。

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