福島みずほのどきどき日記

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憲法記念日にあたって

5月3日は憲法記念日です。

今年の憲法記念日を、まさに正念場として迎えています。
私は、日本国憲法が大好きです。
日本国憲法は女の子も男の子も元気で良いのだと励ましてくれました。
法の下の平等や憲法13条が定める個人の尊重にどれだけ励まされてきたでしょうか。
日本国憲法ができて、日本の法制度は大きく変わりました。
まさに女性は、選挙権も被選挙権もなかったのが、選挙権も被選挙権も持てるようになりました。わたしが、いま国会で、活動できるのも、日本国憲法のおかげです。
日本国憲法が成立しなければこんなことがなかったのです。また、憲法24条は、家族の中の男女平等と個人の尊厳を規定しています。個人の尊厳を規定しているのは、憲法24条しかありません。
憲法24条ができて、戸籍法や民法の親族編総則編が大幅に変わりました。とりわけ民法の親族編総則編の大改正は、当時も大議論になったところです。当時のことを、調べたことがあります。明治民法は、家制度と男女不平等を2つの柱にしていました。妻は無能力者であり、相続は長男が原則として行うものであり、結婚は家と家との結婚で、妻は婚姻によって夫の家に入ると規定をされていました。
それが憲法24条ができて、結婚が個人と個人の結びつきに変わりました。家族の中の男女平等の規定ができて大きく変わりました。
憲法が変わることによって、法制度がこのように変わるのだということを本当に認識をしました。憲法の最高法規性が、まさに機能していると言えるでしょう。

日本の社会のなかには、たくさん問題があります。労働基本権が、憲法に規定されていても、ワーキングプアや、貧困や女性の貧困の問題はなかなか解決をしていません。憲法25条は、生存権を規定していますが、生存権が保障されない人もたくさんいます。日本国憲法前文は、平和的生存権を述べています。しかし、沖縄をはじめとして平和的生存権すら侵害されている人々がたくさんいます。
憲法14条は、法の下の平等を規定しています。しかし、たくさんの差別があり、それをなくすために、多くの人が努力をしています。男女平等や、障害者差別の問題、子供たちの差別の問題、とりわけ婚外子に対する差別の撤廃は憲法14条の下で許されないとわたし自身闘ってきました。まさに憲法の価値を実現するために、様々な場面で様々な局面で、様々なテーマで、実に様々な人々が闘い、努力をしてきました。
私にとって、憲法は、六法全書の中に閉じ込められているものではなく、まさに社会をもっと良くするために使うべき大事な理念であり、大事な根拠です。

そして、私は、日本の戦後は誇るべきものがあると心から思っています。それは、世界で戦争をしないということ、そして、武器を海外に売らないということなどです。
これは日本がほんとに誇るべきことではないでしょうか。
しかし、このことが大きく今破壊されようとしています。
日本を守らなければという言葉は全く嘘です。個別的自衛権は認められており、外国から攻められれば、それに応戦することは可能です。
集団的自衛権の行使の問題は、日本が攻められていないにもかかわらず、つまり、喧嘩が売られていないにもかかわらず喧嘩を買って、世界で戦争をするということです。

集団的自衛権の行使を認めるために、安保法制懇は、4つの類型等を議論していると言われています。
しかし、これは集団的自衛権の行使を認めるためにやっている、ファンタジーにしか過ぎません。個別的自衛権で足りる問題もあります。
また、私自身は、極めて危険なファンタジーだと思います。総理は、参議院の予算委員会で、朝鮮有事のときにアメリカの艦船が攻撃をされていて、北朝鮮に武器を運ぶ船を日本止めることができなければおかしいではないかという旨発言をしました。
しかし、北朝鮮に武器を運ぶのに、船で運ぶでしょうか。ありえないことだと思います。
また、日本がその船に対して、武力行使をすれば、日本は、朝鮮有事の時に、朝鮮戦争の当事国になるということです。簡単に話をするけれど、一旦日本が武力攻撃をすることが、どれだけの泥沼の戦争に日本が当事国として参加をしていくということになるのでしょうか。
だから、私は、危険なファンタジーと言いたいのです。軽く言うけれども、それは凄まじい戦争の始まりになるかもしれません。

政府は、私の質問主意書に対して、日本政府は、戦後、14の集団的自衛権の行使の例があると認識していると答弁書を出しました。
それは、ソビエトのチェコ侵攻、ハンガリー侵攻、アフガン侵攻やアメリカのベトナム戦争、ニカラグア侵攻などです。

大国が小国に対して、侵略をしたケースがほとんどです。
しかも、ニカラグア侵攻やチェコ侵攻など、他国防衛を理由としながら、ニカラグアもチョコもそれを拒否していました。他国防衛を理由に、その他国が拒否をしているにもかかわらず集団的自衛権の行使をしたのです。とんでもないと言わざるをいません。
しかも、ベトナム戦争やアフガニスタン侵攻など泥沼の長期化した戦争となりました。侵攻された国も進行した国も多くの命が奪われました。
集団的自衛権の行使とは、こういう問題です。
安保法制懇や総理が、例として出すものは、集団的自衛権の行使を認めるためのファンタジーでしかありません。この程度は認めてくれと言いながら、それは、一旦武力行使をすれば、日本が長期化した凄まじい戦争の当事国になる、まさしく戦争する国になるということです。

国を守ると言いながら、なぜ日本の若者は、第二次世界大戦中異国で餓死や戦闘行為によってたくさんの命を奪われなければならなかったのでしょうか。
沖縄で、なぜ住民は4分の1も亡くならざるを得なかったのでしょうか。

なぜ、ベトナム戦争で、イラク戦争で、多くのアメリカの若者が異国で、命を失ったのでしょうか。また爆撃によって、戦闘行為によってどれだけのベトナムやイラクの人々の命が奪われたのでしょうか。

集団的自衛権の行使とは、自分の国が責められていないにもかかわらず、自国の若者が、他国で戦争するということです。
4月30日に、「大切なあの人が戦場に行くことに?―集団的自衛権―」という集会を参議院議員会館の講堂で持ちました。

青井美帆さん、谷口真由美さん、北原みのりさん、三浦まりさん、池田恵理子さん、雨宮処凜さん、内田聖子さん、坂本洋子さん、小林五十鈴さん、黒澤いつきさん、田村智子さん、そして私の12名の女性が話をしました。

そこに、ジャーナリストで、和光大学教員である竹信三恵子さんが、メッセージをくれました。
「究極の人権侵害である戦争に、身近な人々を追いやっていいのでしょうか」というメッセージです。
「人を殺すことが悪い、という常識からたくさん殺したらら偉い、という常識へ。暴力が称えられ、人間がとんでもない恐ろしいことをしでかすよう仕向けられていく状況が戦争です。食べ物がないとか、病気をなんとかしてほしいとか、そんな基本的な生存権が、「戦争なんだから」と二の次にされていく本末転倒な場が戦争です。身近な人たちが、そのような場に追いやられていきかねない事態が、刻々と整えられようとしています。大学で学生たちの顔を見ながら、「こんな平和な顔した子たちが人殺しにさせられ、生涯、そのトラウマを背負って生きることになるのだろうか」と思う日々です。究極の人権侵害である戦争に人々を追いやらないよう、ここで何とかストップをかけなくては。私がかつて、母に聞いたように、「なんでこんなことになってしまったの?」「その時一体あなたは何をしていたの?」と子や孫たちに聞かれなくてすむように。今が正念場です。」

その通りだと思います。

集団的自衛権の行使は、非合法の日本国憲法の殺人であり、明文改憲は、合法的な日本国憲法殺人です。

日本国憲法9条からは、集団的自衛権の行使は、どんなにひっくり返っても、どんなに逆さまになっても、どんなに解釈をしても、認めることはできません。それは憲法9条が許容していないことで憲法の枠外すだからです。
戦後の政治もその立場でやってきました。参議院では何度も海外で戦争しないという不戦の誓いの決議があげられています。

集団的自衛権の行使を、解釈改憲で認めることは、リーガルクーデターです。
できないことを、無理矢理やる。
これはいくら多数をとった政権でも、やってはならないことです。「憲法守れ、安倍総理」と国会で、安倍総理に言いました。
憲法99条は、憲法尊重擁護義務を規定し、国務大臣は、まず、憲法を守らなければなりません。最高権力者である総理大臣は、誰よりも、まず、憲法を守らなければなりません。憲法は、国家権力を縛るものです。
いくら、政権を取った政権党であっても、日本国憲法のもとで、海外で戦争することは、できません。憲法9条は、海外での武力行使を禁止しています。

安倍内閣はそれをふりほどき、全くフリーハンドで、憲法を無視して何でもやろうとしています。
立憲主義の破壊です。憲法の破壊です。

明文改憲をせずして、憲法9条を削除するということを、主権者である国民は許してはならないと思います。
憲法が憲法でなくなる。
権力者たちが、総理大臣が、大臣が、国会議員たちが、憲法に従わなくても良いとなれば、何に基づいて政治が行われるのでしょうか。

衆議院の憲法審査会で、国民投票法改正法案が議論になっています。
憲法改正のための国民投票法案は、かつて衆議院で強行採決をされ、参議院では18もの付帯決議がつきました。
様々なことを議論すべきであり、また詰められていないことがたくさんあります。
にもかかわらず、今国会で、憲法改正の国民投票改正法案を提出し、明文改憲に備えようとしているのではないでしょうか。

安倍総理は、まず、解釈改憲をすると言う、全くずるいやり方で、憲法を実質的に変えてしまう。そして、秋の臨時国会で、自衛隊法、周辺事態安全確保法、船舶検査活動法、テロ対策特措法、武力攻撃事態対処法等を改正するのではないでしょうか。
実質的に武力行使をするように書きかえてしまう。

そして、最後に憲法の明文改憲をしようとしているのではないでしょうか。

安倍総理がやりたいことは、アベノミクスでも何でもないと思います。経済が良くなるという幻想を振りまき、もう一つのファンタジーを作り、本当にやりたい宿題である戦後レジュームからの脱却、憲法改正をやりたいと考えていると思います。

日本の社会のあり方がこんな形で破壊をされていいのか。
まさに主権者である国民がそれぞれに声を出すべきときです。
日本国憲法前文はこう規定をしています。「政府の行為によって再び戦争の参加が起きることのないようにすることを決意し、試験が国民に損することを宣言し、この憲法を確定する。」
政府がまた愚かにもひどい戦争をしないように、主権者である国民はしっかりしなさいよと日本国憲法は言っているわけです。

まず、ゴールデンウィーク明けに安保法制懇が報告書を出すと言われています。
たかだか総理の諮問機関である安保法制懇。しかも、この安保法制懇談のメンバーで、集団的自衛権の行使は日本国憲法下で認められないと言っている人は1人もいません。安倍総理のお友達、安倍総理の言う通りの人たちが集まって安倍総理の望むような報告書を出し、安倍総理のお友達内閣によってこのことを閣議決定をしていく。
権力の凄まじい私物化を許してはなりません。

国の主人公は、国民です。さまざまに声を上げて、まず安保法制懇が報告書を出さないように、そして解釈改憲の閣議決定がされないように力を合わせていきましょう。
戦争をしない国から戦争をする国にしてはなりません。
誰がその代償を払わされのか。国民です。政治は、責任を取りません。また、凄まじい戦争の責任を、誰も実は取ることはできません。

戦争する国にしてばなりません。
それが、憲法記念日で一番言いたいことです。

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