福島みずほのどきどき日記

2本のデイズニー映画について

「アナと雪の女王」と「マレフィセント」について

いずれもディズニーの映画。ディズニーの映画がここまできたかと言う2つの映画である。共通点と違いがある。
そのことを書きたい。

共通点は何か。
シスターフードの映画であり、女が女に力を与えるのである。女を救うのは、男ではなく、女である。白馬の王子様は、やってこない。やってきても無力である。王子様のキスがすべてを変えるのではない。実力と想いが事態を変えるのである。
異性愛がすべてを救う、男が女を助けるという構図にはもう立っていない。うーんと言う感じである。
映画も小説も、多くが、これでもか、これでもかと男が女を助ける、男が女を救うという構図で描かれてきた。それはもう使い古されてきたので違う地平に来たのだ。

「アナと雪の女王」の主題歌を歌う五歳くらいの女の子に出会ったりする。たくさんの女の子たちが、女性たちが勇気をもらった。伸び伸びと生きていけると思ったのだ。ありのままに、全ての力を出し切って生きてもいいのだというのは、なんと力をもらうことだろう。存分に生きていい、あなたは存分に生きていいのだと女の子は言ってもらえなかったのではないか。すぐ、わがままとか言われてしまう。

エルサにしてもアナにしてもこれはある意味女の子の成長物語だ。
わたしは、10代の頃は、とりわけ女の子の成長物語が好きだった。
「若草物語」「赤毛のアン」「足長おじさん」などどれも女の子の成長物語だ。自分を投影させて読んでいく。

女の子の成長物語の王道を歩んできたのが、ジブリのアニメ、宮崎駿監督のアニメだ。女の子の成長物語に当てはまらないかもしれないけれども、「風の谷のナウシカ」は、ナウシカが主人公で活躍するアニメである。「耳をすませば」や「千と千尋の神隠し」だって女の子がやっぱり元気に成長していく話である。
「天空の空ラピュタ」は、パズーを少し頼りにしていた女の子シータが最後は力を振り絞る。「アルプスの少女ハイジ」は、女の子の成長物語とは言えないかもしれないけれども、ハイジの天真爛漫さやのびのびしているところは、まさに救いである。
宮崎駿監督は、のびのび成長をしていくやっぱりけなげな女の子が大好きなのだ、きっと。わたしも。

考えてみたら、朝の連続ドラマも女の子の成長物語だし、ジャニーズは、男の子の成長物語だし、AKBは、まさに女の子の成長物語だ。ひいきにしている女の子がのしていくように、応援をする。初めから上手いことも、完璧であることも期待しない。上手くなっていけばいいのだ、応援するよというファンの心理を上手くついている。ファンもアイドルと一緒に成長をしていきたいのだ。初めから完成品など求めていない。

こう書いてくると、「アナと雪の女王」は、日本にぴったんこだ。
カワイイ文化が、大好きだもの。
アナもエルサも表情も髪型もスタイルも本当に可愛い。やってることも言ってることもとりわけアナはかわいい。

これに対して、「マレフィセント」は、少し苦い。
「アナと雪の女王」がミルクチョコレートであれば、「マレフィセント」は、ビターチョコレートだ。
「マレフィセント」は、女の子の成長物語ではない。もちろんオーロラ姫を考えれば、オーロラは、成長し、優しくも強さを持った女性となる。最後は、果敢に行動をする。
いかし、やはり「マレフィセント」の主人公は、マレフィセントである。
「えっ、こんなことがあるの!」と言う男性の裏切り、失意、疎外感、淋しさ、怒り、復讐、そして、茶目っ気や遊び心、プライド、リーダーシップなどすべての感情を包摂して、やはり優しい。
はっきり言って、単純ではない。一筋縄ではいかない。

日本の女も何十年か生きれば、仕事をするしないに関係なく、様々な感情を経験するだろう。
アンジョリナ・ジョリーは、1975年6月生まれ。ということは、今、39歳。
かわい子ちゃんとしてではなく、大人の女として、一筋縄ではいかない感情と人物像を演じる。
マレフィセントは、裏切りにも会い、復讐をしようとし、単純ではないが、そんな彼女も人との関わりで変わっていくのだ。
あるいは、彼女本来のよさが出るというべきか。
そういう意味では、成長物語である。しかし、女の子の成長物語ではもはやない。

人間は、らせん状に変わっていく。
女の子の成長物語ではなく、大人の女の心意気を描いたと言えないか。
人はいくつになってももちろん成長をする。成長できる。
しかし、女の子の成長物語が、通用するのは、20代、30代までではないだろうか。
「わたしが、どう生き、どう成長するか」は、大事だけれど、いつまでも「わたし」ではなく、持てる力や愛情を人や社会のためにも使うことが、必要だし、使うことが素敵だ。

男性の平均寿命は、80.21歳、女性は、86.61歳だもんね。
カワイイのが好きな日本文化のなかで、「マレフィセント」がもっとヒットし、議論されたらいいな。
「マレフィセント」の映画を見て、私はやっぱり凄い、面白いと本当に思った。
なぜなら、今までの映画のヒロインに比べて、突出しているからである。
かわいいとかきれいという話では無い。
もちろん大変美しい。
しかし、マレフィセントには力がある。
何が突出しているのか。
マレフィセントには力があり、自分を裏切った、男に対して真っ正面から復讐をしようとするのである。
男性から見て、こんなヒロインは、怖くないのか。
マレフィセントは、人間の国の国王と対決をして、ムーア国を守り抜く。また、自分の野心のためだけに新しく王になった男に、魔法使って復讐をしようとする。

野心のために、女を裏切った男はどうなるのか。いつ彼女がやってくるのか、不安で、不安でたまらなくて、精神を病んでいく。
そして、マレフィセントも変わっていく。自分の身の危険をかえりみず、人を救うために、お城に向かう。

力のある、ある意味怖い、複雑なヒロインの誕生である。
だから、とっっても面白い。
女を舐めたら怖いよ。

かわいい、女の子の成長物語でない、ヒロインの誕生。
愛していたけれども、裏切った男に対しては、容赦しない。どんな対決も辞さない。

こんなヒロインは、男社会の許容限度を超えていたかもしれないが、ディズニーは、こんなヒロインをみんなにプレゼントしたのだ。

どんなにお転婆でも、どんなにお茶目でも、どんなにとっぱずれていても、男性社会は、おそらく許容する。しかし、このヒロインは、裏切った男にしっかり復讐をする。許容限度を超えたというべきか、いや、許容限度が変わってしまったのだ。
あるいは、とっくの昔に許容限度は世界では変わってしまっているのかもしれない。

そして、このマレフィセントは、実は、女の復讐物語ではない。復讐をしようとしたが、愛情によって、変わっていくところがミソである。
見続ける、見守る、愛情を注ぐというむしろいわば女性原理によって変わっていく。

復讐が、この映画のテーマではない。
男がどうのこうのという映画でもない。
男に未練がなくなったから、マレフィセントが、強くなったのでもない。
そんなケチな話ではないよ。
マレフィセントは、ムーア国の守護神として、大きく翼を広げ、妖精たちを励まし、人間の国王とたたかい勝つ。
この時点で、美しく、力強い。

マレフィセントの魅力は、力強さに優しい育む愛情が、プラスをしたことである。
そうでなければ、危険をおかして、なぜお城に行くものか。

シスターフード、女性原理、真の愛情が、この映画のテーマである。
だから、面白い。
辛酸を舐め、しかし、変わるのだ。

「アナと雪の女王」「マレフィセント」のことを考えながら、わたしは、「風と共に去りぬ」のことを考えていた。
わたしは、高校時代、元気になりたいときは、よく「風と共に去りぬ」を読んでいた。
戦争「未亡人」になり、喪服を着ているのに、周りの思惑を気にせずダンスを踊るスカーレットは、痛快だった。「だってそうしたいのだもの」。
強くて、他人の思惑を気にせず、突進していくスカーレットは、くよくよするなよ、進めとわたしに言ってくれているようだった。
現金なもので、大学生になったら、もう読まなくなった。いや、読む必要がなくなった。
高校生のある時期、何かを突破するのに必要だったのだ、きっと。
というわけで、思い出深い1冊なのだが、「風と共に去りぬ」になくて、「アナと雪の女王」「マレフィセント」にあるのは、シスターフードである。
スカーレットは、おかあさんのことは愛しているけれど、妹の恋人を取ったり、全くひどい。まあ、善人ではないから、面白いとも言えるのだが。

最近の映画は、今まであまり取り上げられなかったシスターフードを描く。
今まであったのに、あまり目にはいらなかったのだ。
また、女性が、力を持ち、女性を助ける、支え合うことができるようになったのだ。
こんな映画の変化は、女性たちが、脚本を書き、映画を撮るようになったことが大きいと思う。

これから、映画の表現がどうなっていくのか、楽しみである。

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