福島みずほのどきどき日記

映画「GODZILLA」を観ました

映画「GODZILLA」を観ました

ゴジラが、金切声をあげる。ゴジラが、低い唸り声を上げる。ゴジラが、咆哮する。ゴジラが、雄叫びをあげる。
ゴジラは、叫んでいるようだ。
「人間よ、自然をコントロールできると思うなよ。」
「人間よ、自然を畏れよ」と。

ヒロシマ、ナガサキを経験し、3・11を経験した私たちには、核をコントロールなんてできると思うなよと叫んでいるように思える。

夜寝るとき目をつむると、かわいいゴジラが、「人間よ、ばかやろう」と必死で、叫んでいるように感ずる。

かわいいゴジラ。その通り。
ゴジラが、背ビラを立てて、海に入っていく後ろ姿は、横綱が、相手を倒して、どやと言いたげに、土俵から引き上げる時ののっしのっしと歩く後ろ姿に似ている。

ゴジラは、人間くさく、表情があって、雄叫びさえもどこか憎めない。
一緒に、原発なんかやめろ、核兵器なんかやめろと雄叫びを上げたくなる。ガオオオー!
福島原発事故を引き起こし、多くの人の人生を根こそぎ変え、今も被害は続いている。
これだけ警告は発せられているのに、変わらないのか!ガオオオー!

ゴジラは、水爆実験で覚醒した太古の巨獣。
ゴジラは、ムートーと闘うのだ。
ムートーとはなんぞや。
先史時代の地球は、放射性物質の濃度が高く、それを食糧源とする生物たちがいた。それがムートーである。放射性物質が高くなった現在、動き出した。

フィリピンのウランが出てくる現場から、高レベル廃棄物の処分場まで.
放射性物質があるところ怪獣たちが訪れる。
どうして、人類はこんなところまで、手を染めたのだろうか!

人間には、解決すべき方法がないのだ。
映画の初めの段階で、富士山のふもとの原発が、崩れ落ちる。
場所からいってこれは浜岡原発か。
2度と原発事故を起こしてはならない。原発事故に対応できないのである。

渡辺謙演ずるセリザワ博士が、時計を示す場面がある。
8時15分で止まっている。1945年8月6日の8時15分である。
セリザワ博士の父親の遺品。父親は、被曝をしているのである。

ギャレス・エドワーズ監督は、広島の原爆資料館を訪れている。
ゴジラのこの映画は、ゴジラの映画が、日本からまさに始まったこともあり、日本の原発から、スタートしている。
ゴジラの映画は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ環礁の実験、福島原発事故を大きな下敷きにして、進んでいく。
津波の場面など、わたしは、東日本大震災のときの津波を思い出して、辛かった。
怪獣映画だが、私たちに、いろんなことを語りかける。

ただし、気になる点を何点か。
日本とアメリカの関係。

主人公は、ゴジラともう一人は、フォード・ブロディ。米軍の爆発物処理班の大尉である。
この映画は、日本のおそらく浜岡原発と思われる原発が崩壊する事件が起きているにも拘らず、日本の役割が全く見えない。
全面に出てくるのは、米軍である。

私の知り合いが、「日本はアメリカの個別的自衛権の行使の範囲だだ」と私に言った。

確かに、オスプレイの飛来をはじめ日本全国思うがままに使用している。
日本政府が一切出てこないこの映画を見て、アメリカと日本の関係を思ったよ。

また、ムートーの描かれ方は、どうだろう。
放射性物質を食っていくムートー。
原発事故の放射性物質を食い、ウラン採掘の放射性物質を食い、核兵器の放射性物質を食う。
人間たちは、なすすべがない。

アメリカの空を飛び、建物を破壊するムートーを見ていると、9・11を想起する。
ムートーは、サタンに見える。

しかし、丁度このときオバマ大統領は、イラクへの空爆を発表。イラクへの空爆が一体何を生んできたのか。テロとの戦いで始まったアフガニスタン侵攻やイラク戦争が一体何を生んできたのか。
悪と正義の戦いは、本当にそうか。

映画では、ムートーは、完全に悪として、描かれている。
とんでもないのだから、その通りだが、悪と正義の2元対立のように、現実は、単純ではない。
ムートーとの戦いは、テロとの戦いを想起させる。

それと映画を見ていて気になったこと。
主人公のフォード・ブロディが、家族を守る、国を守るという立場で貫かれている。ハリウッドが大好きな物語。
男ががんばり、家族と国を守る。この定番に当てはまってるなぁということをやはり感じた。

女が男によって救われるなんて、「アナと雪の女王」や「マレフィセント」では、昔話になっているのになあ。

とまあ、いろいろ言いたくなるが、人間よ、自然を畏れよ、人間よ、核をコントロールできると思うなと吠えるゴジラを見習って、私も咆哮しよう。

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