福島みずほのどきどき日記

盗聴法、道徳の教科化で決算委質問

5月18日(月)の参議院決算委員会で盗聴法、道徳の教科化について質問しました。

○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 まず初めに、盗聴法、捜査のための通信傍受法の改正法案についてお聞きをいたします。
 今回、詐欺罪、窃盗罪なども対象犯罪に拡大をしております。また、元々の法律にありました立会人も廃止をされます。今日お聞きしたいのはメールや電話についてのことです。
 一旦全通信を記録した後、暗号化して、そして事後的にスポット再生を行うことになります。しかし、電話や、それからメールや、いろんなものに関して、全部取った後に事後的にそれを再生をするというのは、それは可能なんでしょうか。どういう形で、例えばAという人の長い会話の中のどこに犯罪が入っているのか、例えば窃盗でもいいですよ、どうやって見極めるんですか。

○国務大臣(上川陽子君) 一時的な保存方式ということでの御質問であるというふうに思っておりますけれども、一時的に保存される通信につきましては、通信事業者等によりまして暗号化をされて、そして保存をされるということでございます。したがいまして、復号をしない限りは内容を知ることは物理的に不可能であるということでございます。
 そこで、復号した通信ということでありますが、現行通信傍受法の下での傍受をする場合と同一の内容、範囲でしか再生、すなわち聴取することができないということになっておりまして、現行通信傍受法の規定による傍受の場合とこの通信の秘密に対する制約の程度に実質的な差異は生じないということでございますので、現行通信傍受法の規定による傍受と同様に許容されるということでございます。
 また、令状主義におきましても、それに反しないということでございます。

○福島みずほ君 いや、全く変わるんですよ。
 今まで、一九九九年のときの法務委員会にずっとおりましたので、よく覚えています。例えば覚醒剤について話しているが、途中で普通の会話になる、それは取らない、覚醒剤になったら取る、またというふうなことの説明を受け、例えば何でも関係ない天気の話になったら、もうそのときは通信傍受、盗聴を遮断するとか言われました。
 しかし、今度は、この改正法案によれば、全部記録するわけですよね。全部、メールも電話も、一旦記録された全通信が暗号化されるとはいえ保存されると。記録された全通信が適法、適切に処理する担保はどうやってやるんですか。

○国務大臣(上川陽子君) ただいま立会人の御指摘もございましたけれども、先ほどのお話で、スポット傍受というシステムの中でシステムは動いているということでございます。一旦記録に残したとしても、復号をすることによりまして同様の趣旨の適正化が図られるというシステムの組立てをしているところでございます。
 また、傍受の実施におきまして、立会人ということで、今回、その立会人のところにつきましては、特定の電子計算機を用いての通信傍受の実施の手続をしっかりとしていくということでございまして、この立会人に要求されている内容につきましては、電子的な手法にのっとって適正にその手続が、立会人と同じ手続がなされるという機能が果たされるというふうに考えております。

○福島みずほ君 質問に答えていないですよ。
 つまり、全記録を全部取るわけですよね、電話であれメールであれ、全部。後からどの部分に犯罪があると事後的にスポットで当てられるんですか。神業でもない限りそんなことできないですよ。全部聞かないと分からない、あるいは、ある程度聞かないと分からない、ある程度見ないと分からない。どうですか。

○国務大臣(上川陽子君) 先ほどシステムの方式につきまして少し説明をさせていただきましたけれども、まず、通信の暗号化によりまして一時的に保存をするということでございます。したがいまして、事後的にその内容を聴取する方法による通信傍受を行う場合でございますが、通信事業者により暗号化されたものをベースにその復号をした通信ということでございまして、現行の通信傍受法の下の傍受と同一の内容、範囲でしか再生することができないという、そういう仕組みになっているところでございます。
 再生されない通信につきましては、捜査機関がその内容を知ることなく全て消去されるということでございまして、そういう意味では通信秘密の制約の程度に実質的な差異はない、そうした技術的な対応をしていこうというものでございます。

○福島みずほ君 いや、これ極めて問題です。つまり、今までと違って、全てのメールも全ての通信も、一旦全部記録し全部保存するんですよ。事後的にスポット的にやると言うけれども、神業でもない限り、どの部分に犯罪があるかなんてそんなの確認できないですよ。結局全部読むことになる、メールを読むことになるというふうに思っています。
 では、お聞きしますが、LINEやスカイプ、フェイスブックも捜査の対象になりますね。

○国務大臣(上川陽子君) 今回の部分のみならず、これまでの現状のシステムにおきましては、通信ということでございますので、その意味ではLINEあるいはスカイプなどにつきましても通信傍受の対象となるということで、可能であるということでございます。

○福島みずほ君 フェイスブックの場合、五千人友達がいる、あるいはメッセージのところに書く、この部分に犯罪があるかもしれない場合、どうやってその犯罪の部分を特定するんですか。全部読まないと分からないですよね。

○国務大臣(上川陽子君) 個々の通信手段についての通信傍受について技術的な可否がございます。具体的な捜査手法に関わることでございまして、お答えにつきましては差し控えさせていただきたいと存じます。

○福島みずほ君 納得ができません。結局、全ての通信、スカイプもLINEもフェイスブックもメールも電話も、全部一旦記録して全部保存するんです。後からどこかに犯罪があるかと事後的にスポット的にやると言うけれど、そんなことできないですよ。フェイスブックであれLINEであれ、結局全部読まないと分からない。Aという人とBという人の間で起こったことでも、ほかの人のメールの中でも読むかもしれない、あるいは同一人物が違うメールアドレスでやっているかもしれない。結局、相当読むことになるんじゃないですか。

○国務大臣(上川陽子君) LINE等の電話以外の通信手段につきましての先ほどお尋ねがございまして、これについての通信傍受を行うに際しましても、電話に対する場合と同様にこの傍受を適正に確保する手続を取ることが必要であるということでございまして、こうした手続によりまして傍受の適正が確保されるというふうに考えているところでございます。

○福島みずほ君 質問に答えていないですよ。
 Aという人がBという人にメールを送った。でも、Aという人のアカウントやメールアドレスは様々かもしれない。どうやってこのAとB以外のものを見ないということができるんですか。

○国務大臣(上川陽子君) 通信を一時的に保存する方法によりましての通信傍受を行う場合でありましても、捜査機関がその内容を知り得る通信の範囲でございますけれども、現行の通信傍受法の規定による傍受の場合と異なることはございませんので、通信の秘密に対する制約の程度には実質的な差異は生じないというふうに考えております。
 全ての通信を一時的に保存をしていく、事後的にその内容を聴取することにつきまして、現行通信傍受法の規定による傍受と同様に許容され、令状主義に反するものではないというふうに考えているところでございます。

○福島みずほ君 全く駄目ですよ。今と全く違うんですよ。大改悪です。今までは犯罪に関係ないことがあれば通信を切ると答えていたんですよ。一九九九年の答弁を読んでくださいよ。
 ところが、今度は全ての通信、電話もメールも、あらゆるものも一旦全部保管するんです。それを見ていない、違うところを見ていないということの担保はできないんですよ。それは俺を信じてくれということだけの話であって、どういうことが起きるかも分からない。第三者委員会もないんですよ。証拠開示もされないんですよ。だとすれば、これは大悪法で、今までの法律も大反対ですが、これは大改悪で、全部取る、全部一旦取って保存することには、これはもう大改悪で駄目だということを申し上げます。
 次に、道徳教育についてお聞きをいたします。
 学習指導要領がありますが、今度道徳が教科になって、そして、検定教科書を使い、かつ評価をすると。五段階評価ではないけれども、文言によって、言葉によって評価するということなんですが、小学校学習指導要領をお手元にお配りいたしました。
 私は、例えば家族愛、家庭生活の充実のところで、「父母、祖父母を敬愛し、家族みんなで協力し合って楽しい家庭をつくること。」と書いてあります。でも、お父さんがお母さんを殴っているかもしれない、おじいちゃんから性暴力を受けているかもしれない、家庭の中に虐待があるかもしれない。問題がある家庭だってあるじゃないですか。なのに、楽しい家庭をつくることとあるけれども、楽しい家庭をつくることは親や社会の責任ですよ。子供はいろんな家庭に育っている。私は家族はいいものだと思いますが、子供たちの周りにある大人たち、人は全員善人であるわけではありません。また、お父さんはこういうところはいいけどこういうところは問題だよね、お母さんはこういうところはすてきだけどこういうところはちょっと大人だけど改めてほしいな、子供はそう思って成長するわけです。このこと、極めて問題だと。
 問題を抱えている子供も、というか、問題のある、あるいはどんな家族も何らかの問題を抱えているかもしれない。そのときに、敬愛し、敬愛できないかもしれないじゃないですか。DVがある家庭で子供は悩んでいるかもしれない。明るい家庭を、楽しい家庭をつくること、これはありもしない家族を、というか、私、子供にとってはとても残酷なことになりませんか。

○国務大臣(下村博文君) 学習指導要領に規定されております父母、祖父母を敬愛することは、これは基本的には普遍的な、道徳的な価値であるというふうに思います。学校において、例えば日頃の父母や祖父母の様子を知ることから敬愛の念を育て、家の手伝いなどを通じまして家族の一員として役に立つ喜びを実感できるように指導することなどは、これは当然のことではないでしょうか。
 一方で、子供たち一人一人の状況を踏まえた配慮が、御指摘のようなことはありましたが、それは言うまでもなく、学習指導要領解説においても、多様な家族構成や家庭状況があることを踏まえ十分な配慮を欠かさないようにすることや、人権や個人情報に係る問題、人間関係に係る問題等への配慮が必要であるということもこれは明記をしております。また、子供たちをDV等の被害から守るため、家庭に問題を抱える子供については学校や地域の人々が連携して必要な支援をしていくことが重要であると考えます。
 このような配慮が行われるように今後とも指導することとしておりますが、多様な家族構成や家庭状況があることから、父母、祖父母を敬愛することを道徳科の内容項目とすることが問題の隠蔽につながるとの御指摘は、これは当たらないものと考えます。

○福島みずほ君 「私たちの道徳」、小学校一・二年、三・四年、五・六年、中学生、四冊の本を読みました。
 例えば、中学校のときに、家族との出来事や語らいで印象に残ったことを書き留めておこう。それはそれでいいのかもしれませんが、例えば家族に問題があったり家族に悩みがあったり、やっぱり全てとてもいい家族ばかりではないわけですよね。こういうのを記述として書かせるときに、本当に子供が、お父さんがお母さんを殴っている、DVがあるなんて書けるんでしょうか。

○国務大臣(下村博文君) どういう記述かどうかというのはそれぞれの子供たちのそのときの心情だと思いますから、一概に書ける書けないというのはちょっと申し上げることはできないと思います。

○福島みずほ君 子供は、親を尊敬したり、好きだったら尊敬しますよ。おじいちゃん、おばあちゃんだって本当に大好きで、敬愛するときは敬愛するんです。でも、子供を取り巻く環境は様々なので、学習指導要領で祖父母、父母を敬愛し、明るい、楽しい家庭をつくることと言われても、できない子供がいるということです。例えば、DVやそれから子供への性暴力は大変大きな問題です。子供たちには、嫌なものは嫌、あるいは逃げよう、大人たちがこれは秘密だよと言っても、話してもいいんだよということがあるわけじゃないですか。
 しかし、この道徳の学習指導要領も、それから私自身も「私たちの道徳」を読みましたが、うそをついてはいけない、明るい素直な心で生きようとか、だから、子供を取り巻く環境が決して全て健全ではない、いい大人ばかりではないときに、人権や、それをどう乗り越えるか、どういう問題があるかということを教えるべきであって、感謝の気持ちで大人を尊敬しようというだけでは問題は解決しない。大人に対して嫌なものは嫌と言える力だって子供には必要だと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(下村博文君) しかし、基本的に祖父母や父母に対して敬愛の念を持つということは、これは否定すべきことではないというふうに思います。また、感謝の思いを持つということも子供たちに教えることは必要なことだと思います。
 ただ、「私たちの道徳」を読んでいただいたということで、ありがとうございます。今までの道徳とこれから特に特別の教科化を目指す道徳というのは、今までは、教師がその物語を読んで、一方的にこれはこういうふうに読み取るべきだというふうな価値観を教えるということだけに終始した道徳でしたが、これからの道徳というのは、例えば正義も立場によっていろいろの考え方があります。子供たちに議論を、道徳の場等でアクティブラーニング等をする中で、何が道徳なのかというのは人によって違う部分があると。しかし、反社会的とか非社会的は別ですけれども、一つの価値観の中でも見方が違うねということの中で多様性をお互いに認め合う、そういうことで、一方的な価値観を教師が教えるというような教科書にするということは全く考えておりません。

○福島みずほ君 多様性という言葉がありましたが、この「私たちの道徳」では、お父さんとお母さんがいて、例えば弟がいるとか。でも、御存じ、今離婚の家庭も増えておりますし、一人親家庭もあります。両親が離婚して祖父母に育てられている子供だって私たちの周りにもたくさんおります。子供を取り巻く環境は様々です。
 この教科書、この考えは、一つのやっぱり家庭像を押し付けることになるのではないかと思います。例えば、一人親、障害のある人、性的マイノリティー、貧困などの状況にある子供の設定や配慮というものは一切ありません。子供を取り巻く貧困の問題も、そういうものも一切ありません。少数者への視点に欠けているのではないか。
 この中に、中学校に「異性を理解し尊重して」という項目があります。一見いいとは思いますが、私、スウェーデンの社会科の教科書を読んだときに、セクシュアルマイノリティーのこともちゃんと書いてありました。様々な子供に対するそういう配慮は本当に必要だと思います。ほかに、勤労や奉仕を通して社会に貢献する。しかし、何のために働くかといえば、まず第一に食べるため、生きるためです。勤労や奉仕を通して社会に貢献すると。
 この教科書や、教科書というか、「私たちの道徳」もそうですが、国、社会、職場、学校、家族に問題があるという立場に立っておりません。例えば、学校のところでも、この学校のいいところはどこだろうということだけなんですね。でも、学校のこういう問題はもっと解決、例えば学校のところで、小学校五・六年のところ、自分の学校について考えてみましょう。この学校の自慢、この学校の好きなところ、こんな学校にしたいとあるんですが、やっぱり、この学校のこういうところは問題ではないか、こういうところはこうしたいとか。まず自慢と良いところというところから始まるわけです。
 国も、愛国心を持とうというのはありますが、国、社会、職場、学校、家族に問題があるときに、それをどう解決していくのかという視点が極めて弱いと思いますが、いかがでしょうか。

○国務大臣(下村博文君) たまたま五月にフランスに行ったときに、日本人学校でその五、六年生の道徳の教材を使って、私たちの学校について、良いところ、それからもっと良くしたいところということを、道徳の時間、視察に行きました。私たちの学校に対していいところというのを子供たちに議論させて、それぞれがみんな書く、また今後のもっと改善、もっと良くすべきところも書くということについては、これは子供たちも素直に、いいところもあれば、もちろん自分たちの学校の課題もあるということで、多面的な見方で、なおかつそれは、みんなそれぞれ、子供たちがそれぞれ書いていて、それに対して教師も、その考え方は正しいとか、その考え方は正しくないと言っているわけではなくて、それぞれの主体性の中でその教材を使ってやっているわけでありまして、そういう視点から、改めて自分たちの学校は自分たち自身もつくっていくんだということでは、私はすばらしい授業をしているなというふうに思いました。使い方の問題だと思います。

○福島みずほ君 規則や決まりを守りましょう、それはそれで正しいんですが、規則やそういうものが本当に正しいのか。かつて、丸刈り訴訟というのもあったり、女の子の制服が下から何センチというのが問題になったこともあります。
 規則や決まりが本当に正しいのか。つまり、何が教育にとって必要かといえば、自分の頭で考えて、自分の言葉を持ち、自分で行動し、そして現実を変えられる力を持つことではないかと思うのですが、これは、うそをついてはいけません、そして素直な明るい心で生きましょう、感謝の気持ちを持ちましょうと言って、だから、変えていくという視点、権利という視点がやっぱり弱いというふうに思っています。
 家族について、私は、大人はもし敬愛してほしければ、そうしていれば子供は敬愛してくれるというふうに思います。子供に感謝や敬愛せよと言うよりも、そういう社会を大人こそつくるべきであると。
 この学習指導要領は様々な点で問題がありますし、子供が、お父さんのこういうところは嫌だ、お母さんのこういうところは嫌だという自由記述が書けるんでしょうか、本当のことを書けるんでしょうか。子供は良い子を演ずるようになっちゃうんじゃないかということを非常に懸念しております。
 以上をもって私の質問を終わります。

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