福島みずほのどきどき日記

映画「怒り」を観て

有斐閣で「ビデオで女性学」という本を井上輝子さん、木村栄さんなどと作った(1999年)。母と娘の関係、暴力はどう描かれているかなどを担当し、ワイワイ議論し、作ることは、楽しかった。
映画をいろんな角度から、楽しんで見ている。

LGBTの描かれ方も興味深い。
刑務所映画や死刑の問題、裁判の描かれ方も興味深い。接見のあり方だって、国によって、時代によって全く違う。
そのことがメインテーマでなくても興味深い。
そこで、今回は、「アイヒマンを追え」に続いて、「怒り」のなかでの同性愛の描かれ方を書きたい。


映画「怒り」を観て

「怒り」は、ある殺人事件が起き、容疑者がなかなか捕まらない中、3つの話が展開をする。
東京、沖縄、千葉。
大好きな渡辺謙さん、宮崎あおいさんなどの演技もとてもいい。

それぞれの3つの話のなかで登場するそれぞれ3人の男たち。
その3人の中に真犯人がいるのか、いないのか、3人のなかで誰が一体殺人を犯しているのか。
見ていてドキドキするし、実はわからない。
正直、みんな何かあやしい。寡黙で、あまり今までのことを語らない男たち。

この映画は、人が人を信じられるかということを扱っていると思う。信じたい、しかし、信じられない何かがあるような気がする。
関わることで、自分はとんでもないことに巻き込まれるのではないか。

東京の話。
妻夫木聡さん演ずる会社員。
ワイワイと会社仲間たちと終業後、楽しくやっている。
そして、彼は、ゲイなのである。
カミングアウトはしていない。
彼ができ、一緒に暮らし始める。ホスピスにいる母親のお見舞いに彼も連れていくが、恋人であるとは言えない。
しかし、お母さんはわかっているという感じである。

知り合った彼は、寡黙で、過去のことを語らない。
偶然、報道で、殺人事件のことを知り、疑惑を持つ、
警察から、電話が入る。思わず「(そういう人は)知りません」と答えてしまう。

妻夫木聡が、街のなかで、人目もはばからず、泣きながら歩くのが印象的だ。
なぜ知らないというのか。

キリストが捕まった後、使徒が、キリストのことを聞かれて、「(そんな人は)知らない」と答えるのを思い出した。
自己保身か。
しかし、妻夫木聡演ずる主人公が、答えられない、関わりを持ちたくないという行動をとった理由の一つに、同性愛であるということがあると思う。
カミングアウトしていないのに、カミングアウトをせざるをえなくなるのである。説明が必要になる。
あるいは、関係を聞かれて、嘘をつくしかなくなってしまうのである。

自分を常に守りながら、本当の自分を隠しながら、どこか身構えて生きていかなければならない孤独や心労を思う。
そして、それは少なくない人たちが、とりわけマイノリティの人たちが抱えざるを得ないことでもある。
主人公の一人が、ゲイであるという映画。

人は人を信じることができるか。
人の孤独を描いている。

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