映画評:「ゲト戦記」
2007 / 09 / 30 ( Sun ) 日本で作られたアニメではなく、実写で作られた映画の方。
アニメでは、ゲドもティナもおじさんとおばさんに描かれていたけれど、初々しい青年と若い女性のゲドとティナである。 魔法使いの修行中のゲドは、ゲべスを呼びだしてしまい、ゲべスという化け物に追いかけられ、殺されてしまうという恐怖と現実に追われるようになってしまった。骸骨のような化け物である。 ゲドの恩師は、ゲドに言う。 「ひたすら逃げまわっていたら、疲れ果ててしまうぞ。 いつ追っ手に襲われるかわからなくて、逃げることで、疲れ果ててしまう。向き合って、自分のものとするのだ。」 ゲべスの本当の名がわかれば、倒すことができる。 これは、ゲドのある意味成長物語であり、また、壊れた腕輪を完成させることで、世界の平和が実現するというファンタジーでもある。 ゲドは、ゲべスと対決をすることになる。 ゲドをとことん挑発し、殺そうとするゲべス。 「お前を苦しめただれだれが憎いだろう。」「理解の無かった父親を恨んでいるだろう。」などなど。 怒りや憎しみをあおることで、ゲべスは、パワーを持とうとするのである。 「憎んでいない。なぜならば・・・・」「恨んでいない。」と淡々と語るゲド。 ゲドは、そのとき悟る。 ゲべスは、自分の影の部分なのだと。 自分の醜い部分や悪い部分が、ゲべスであり,自分の影なのだと。 ゲべスの本名がわかる。「ハイタカ」という自分の本当の名だ。 ゲべスにくい殺されるのではなく、ゲべスを自分のなかに取りこむゲド。自分から、逃げないで、自分の駄目な、愚かな、悪い部分も自分だとして、ゲべスを飲み込み、取りこむゲド。 この部分が圧巻である。 2人の真剣勝負である。 影の自分を取りこむことで、強くなるゲド。 魔法の力も強くなる。 そして、世界に平和は、訪れるか。 最新作の「スパイダ−マン」もこのいい自分と悪い自分の対決である。 そして、多分対決ではなく、ゲドのように、自分のゲべスも自分の影だと認識して、統合し、アウフへ−ベンをしていくことが必要なのだ。 ゲべスそのものになっている政治家もいるような気がするけれど、自分のゲべスと向き合うことのできず、転んでしまう政治家もいるのではないか。 自分の弱い部分や駄目な部分に眼をふさいで、逆に弱くなってしまって、「仮想」の自分を演じ、破綻するまで、突っ走っていくといったような。 自分の影を自分のものとすることで、自分は強くなるということをわたしもかみしめたい。 わたしももっと強くなりたい。 |
|
| ホーム |
|
