排除型社会
2008 / 01 / 06 ( Sun ) 1月6日(日)
NHKの日曜討論の番組に出る。毎年、恒例の新春インタビューである。 今、「排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異」(ジャック・ヤング著、洛北出版刊)を読んでいる。 この社会は、多くのものを排除している。 多くの人たちは、なかなかまともな職につけないし、労働条件もどんどん悪くなっている。正社員も辞めれば、次の条件は悪く、また、いったん非正規雇用になるとなかなか正社員にはなれなくなる。 労働者派遣法を次々に、改悪し、つまりどんどん規制緩和し、非正規雇用の人たちを増やしてきた。格差と貧困の拡大の大きな要因のひとつは、労働法制の規制緩和である。別の言い方でいうと、自民党は、自分たちのスポンサーである財界のいいなりに、使い捨てできる安価な労働力を法律を作って大量に生み出してきたのである。 2003年から、毎年、毎年2200億円ずつ社会保障費はカットされ、去年の骨太方針で、これから5年間も社会保障費は毎年2200億円ずつカットをされる。今出ている来年度の予算案もしっかり2200億円カットしている。 イージス艦は、一隻が1300億円から1500億円。今、5績目を作っている。 在日米軍への思いやり予算は、約2100億円。 在日米軍への思いやり予算と社会保障費のカットの予算がほほ同じである。 2003年に健康保険の改悪、2004年に年金の改悪、2005年に介護保険の改悪と障害者自立支援法、2006年に医療制度の改悪、2007年に生活保護の切り捨てと続いてきた。このことが、どれだけ多くの人たちに悲鳴をあげさせることになったか。 今の社会は、多くの人たちをどんどん排除している。高齢者を、障害者を、リハビリの必要な人を、シングル・マザーを・・・・・。 後期高齢者医療制度が開始をする。高齢者の人たちは、「高齢者は死ねということか」と怒っている。 「国家」のために「有用」でないものはいらないといわんばかりだ。 なんと多くの人たちが、社会から排除され、切り捨てられているだろうか。 だからこそ政策、法律、政治を変え、この社会を作り直さなければならないと思う。 排除をされる人たちは、日本国憲法が保障する生きる自由・生存権を奪われている。 ところで、この「排除型社会」の本の帯には、「かつての包摂型の社会を懐かしんでも気休めにもならない。取り組まなければならない課題は、新たな形態のコミュニティ、市場の気まぐれに左右されない雇用、八百長のない報酬配分―これらをどう実現するかである。」と書かれている。 また、次のようにも書かれている。 「排除は3つの次元で進行をした。 1労働市場からの排除 2人々のあいだの排除 3犯罪予防における排除活動 この社会にあわせて生きていくしかない・・・・・と諦めてはいけない。」 確かに、日本においてもこのような排除がなされてきた。そして、社会を作りかえるとしてもめざすべきはかつての利権ばらまき型の自民党政治などではない。 「公平」ということも重要な要素である。 この本にこうある。 「この目標を達成するには、なにより『配分の正義』か必要となる。ヤングが明確に述べているように、正義の領域において『公平』が存在しなければ、共同体の領域における『寛容』も成り立たない。」 確かにその通りだ。人は不公平な社会で、不条理に排除される不安や恐怖心や怒りを持っていれば、他者に対して「寛容」ではありえない。 それが日本でも起きていることではないか。 政・官・業の癒着ひとつとっても、税金の使い途にしても、「公平」な社会とはとてもいえない。年収200万円以下の人が4分の1を占めるようになり、みんなが必死で働かないといけなくなって、他人に対して配慮したり、思いやったり、手を差し伸べたりできにくくなっている。もちろん厳しい状況だからこそ、雨宮処凛さんやユニオンの人たちが言う「連帯」も必然的に生まれ、人々は「自由と生存」のために手をつなごうとしているのだけれど。 社民党は、2年前に社民党宣言を発表をした。 少数者を排除してゆく社会ではなく、みんながこの社会に生きられる社会こそ全力で作るべきである。 「ひとごと」と思っていると、次に排除されるのは自分かもしれないのである。 また、人は必ず年をとる。排除される社会は、一部の大金持ちの高齢者を除いてほとんどの高齢者を排除する社会である。そのような社会に住みたいと多くの人が思うだろうか。 いのちを切り捨てる社会ではなく、いのちを守る社会へ。 社会を作りかえないと多くの人たちが切り捨てられていってしまう。 社会を作りかえることを多くの人たちと一緒にやっていきたい。 |
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