青森へ
2008 / 05 / 25 ( Sun ) 5月24日(土)
青森県へ。 講演会。 その後、憲法行脚の会に出席。 佐高信さんの前に話をする。 その後、松丘保養園へ。 ここは、ハンセン氏病の人たちの保養園である。 園内を見学し、献花をし、また、対話集会を持ってくださった。 ある男性が言う。 「ここへ来て、70年が経ちました(ということは、少年か青年のときに、ここに来られたのだろう)。ここへは、社会党、社民党の委員長、党首が来られました。鈴木茂三郎さん、浅沼稲次郎さん、成田知巳さん、飛鳥田一雄さん、土井たか子さんなど、7名の人が来てくれました。今日、社民党の委員長が来てくれてありがとうございます。」 鈴木茂三郎さんや浅沼稲次郎さんが、委員長をされていたときは、まだまだハンセン氏病への偏見があったときである。 別の男性が言う。 「県庁に陳情をしようということになったが、当時、県庁の職員は、県庁のなかに入れてくれない。 そのとき、社会党の佐藤県会議員が,『県庁に来る人は、みんなお客さんじゃないか。』と言ってくれて入れてようにしてくれたのです。感謝しています。」と。 わたしは、感激して、涙が出そうになった。 ここの保養園には、4年前まで、社民党の支部があり、園の外の人たちと、お酒を飲んだりしながら、活動もしていたそうである。 高齢化のため、支部がなくなったのは、実に残念だ。 ここいらっしゃる人たちは、かつて社会党が、支援し、支えたことをいつまでも覚え、感謝してくれている。 わたしは、社会党の先達たちにも感謝したい気持ちになった。 そういえば、アイヌの問題に取り組む結城さんのおとうさんは、社会党のばりばりの活動家だったそうだ。 アイヌの解放のために、全国活動をしていた。 結城さんに、おとうさんの遺稿集の本をもらった。 オルグなどの活動のしすぎで、44歳で亡くなっている。ちょうど、横路孝弘さんの道知事選のさなか心不全で亡くなっている。 結城さんは、子どものときは、父親のことが嫌いだったそうである。 そりゃそうだろう。家族のことより、活動だったはずだ。 しかし、4人の子持ちになり、父親のやってきたこと、やりたかったことを本当に考えるようになったそうである。 わたしも彼の父親の遺稿集を読んだいる。 アイヌやハンセン氏病にしても、そして、そのほかの様々な差別と偏見を無くそうと、地べたをはいずりまわって、必死の思いで、活動をしていた社会党、社民党の先輩たちの活動を最近は、逆にとても聞くようになった。 ハンセン氏病で、「最後のひとりになってもここで住めるのか?不安がいっぱいだ。」という意見も聞いた。 先輩たちの活動や思いに感謝し、わたしも引き継いで、活動をしていく。 それにしても、かつての活動をこんなに忘れないで、感謝してくれるなんて。 とても嬉しかった。 ほたて漁船の海難事故のお見舞いで、漁業組合のみなさんと話をし、献花をする。 6月には、青森で、エネルギーサミットがある。 再処理工場の本格稼働をストップし、自然エネルギーの促進のためにがんばりたい。 そもそも活断層があり、危険きわまりない。 しかも新指針での検討が終わっていないときに、なぜ、旧指針で大丈夫だからと本格稼働ができるのか、全くわからない。 |
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