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福島みずほのどきどき日記

死刑の執行について

6月17日(火)
 今日、死刑の執行があり、ショックである。
 鳩山大臣は、既に、13人の死刑を執行をしている。

 わたしは、司法修習生のときは、死刑については、疑問はあるけれど、明確に廃止とまで言い切れるかという立場だったように思う。

 死刑について、はっきり反対の立場になったのは、どうしてだろう。
 免田栄さんをはじめ死刑台から生還した人たちに会い、具体的に何度も話を聞くことがあった。
 狭山事件、袴田事件など、再審開始を求めており、物証も含めて極めて疑問、えん罪と思っている事件もある。
 鹿児島の志布志事件をはじめ無罪になったケースもたくさんあり、当事者からこれまた何度も話を聞いている。

 ヨーロッパ評議会で、アメリカ人の男性で、死刑が確定をしたが、その後の科学的捜査で、DNA鑑定の結果、無罪となり、まさに、死刑台から生還をした人に話を聞いたこともある。
 DNA鑑定がなされなかったら、彼は死刑になっていたはずである。

 このようにえん罪の可能性があり、死刑になったらもう取り返しがつかない。

 しかし、そのことだけではないように思う。

 犯罪を減らしていくことは大きな課題である。
 今、日本の殺人の認知件数は、一番多かった昭和29年の3分の1である。
 どうやって犯罪を減らし、どうやって被害にあう人をなくしていくかが極めて大事なことである。

 戦争と死刑は、どちらも政府の行為によって、法にのっとって行われる。
 いずれも「殺人」だが、ある人がひどく激情にかられて、人を殺してしまうというのではない。
 いちおう理性的に、手続きにのっとって行われる。
 だとしたら、戦争も死刑も、人間が英知を結集し、決心すれば、なくすことの可能なものである。

 国家による殺人は、あるとき、とんでもない方法で行われるかもしれないという恐怖心が、わたしにはある。
 そんなことをこれまた強く思うようになったのは、「白ばらの祈り」という映画を見てからである。
 ナチス・ドイツの政権のもと、「戦争反対」というチラシをこっそり配布をしたために、同じく活動をしたおにいさんなどとともに国家反逆罪で、あっという間に、死刑で殺されたゾフィーの映画である。
 かつて本でも読んだ。
 この話は、実話であり、こんな形で、人が殺されたのは、つい60数年前のことである。

 EUに加盟をするためには、死刑を廃止をしなければならない。だから、トルコも死刑をやめた。ロシアもやめている。死刑がある先進国は、日本とアメリカくらいである。
 死刑が抑止力になっているというデータはないと言われている。
 犯罪を犯した人間は、死ぬまで、とことん罪と向き合うべきである。国家が命を奪うのではなく、とことんむきあわさせるべきではないか。
 
 確か親鸞聖人の教えに、「罪を憎んで、人を憎まず」という言葉がある。
 わたしは、親鸞聖人の領域には達せず、人を憎むことがあるけれど、死刑を考えるときに、この親鸞の言葉の意味は考えられてもいいのではないか。
 ただ、わたしは、仏教の勉強をきちんとしたことがないので、今度ちゃんと勉強をしたい。
 
 ぜひこんな考え方があることも知って欲しい。

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