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福島みずほのどきどき日記

裁判員制度について

9月7日(日)
 裁判員制度についての社民党の考え方を発表をすると、大きな反響があった。
 今でもいろんな考え方が多く寄せられている。
 ありがとうございます。
 弁護士会や法務省、最高裁判所とも新たに意見交換を行った。
 また、共同通信の竹田記者に部会に話に来てもらったりした。「裁判が日本を変える!」(生田暉雄著、日本評論社刊)を読む。興味深い。

 司法の民主化ということは必要であり、陪審制であれ、裁判員制度であれ、必要なことである。
 しかし、今のままでいいのかということである。
 冤罪を生まないという構造にはなっていない。「それでもぼくはやっていない」の映画ではないけれど、捜査の可視化も代用監獄の廃止もされないなかでは、冤罪を生む構造は、残っており、一般の人が、知らずに誤判をしていくという可能性は十分にある。
 前提条件、必要条件をクリアしていない。
  
 また、裁判員制度についての法律は、法律の性質上、あっさりしていて、法律成立後に明らかになったこともたくさんある。
つまり、具体的な運用の場面で問題があると考える。

 衆議院議員の保坂展人さんに聞いたのだが、衆議院の法務委員会で、裁判員制度の模擬裁判を傍聴をしたそうである。
 そのとき、職業上の裁判官が、「この被告人は、捜査の段階で、ころころ供述を変えていて、信用できないんですよ。」と言ったそうである。それで、傍聴をしていた国会議員が耳を疑ったのである。
 これでは、全く予断を持って裁判に臨むことになる。
 
 このことが、社民党の法務部会で、問題になった。
 最高裁判所の答えは、「起訴状一本主義であるから、裁判官は、書証を読んでいないはずだ。」と言う。
 しかし、読んでいないはずの裁判官がなぜそのように言うのか。
 起訴状一本主義の考え方から、書証はよんでいなくても、公判前手続きをしているから、なかみがわかっているのではないかとも答える。
 ますます問題ではないか。
 
 結局、公判前手続きをしていた職業上の裁判官が、実質的には、その事件のことを一応熟知し、かつ証拠のこともわかっているので、裁判になって選ばれた一般の裁判員は、事実の見方で、裁判官に太刀打ちができないのである。裁判員は、裁判が連日開廷をされるので、証拠をきちんと読むということすらできないだろう。

 予断を排除するために、裁判官は、第一回公判まで、起訴状しか見ることができないという起訴状一本主義を貫くのであれば、公判前手続きをする裁判官と実際公判廷を担当をする裁判官を分けるぺきではないだろうか。

 また、裁判員を選ぶときの、モデル案として、「あなたは警察官を信用をしますか」「あなたは死刑に反対ですか」というのがはいっている。

 最高裁は、各裁判所がそれぞれどういう質問をするかを決めるというが、一応の案としても変ではないか。撤回をすべきである。
 「死刑に反対ですか」と聞かれて、「いいえ」と答えて、判決の評議のときに、「死刑判決には問題あり。」と言えば、虚偽の答えをしたとして、処罰の対象になりかねないのである。
 モデル案は、撤回をすべきではないか。

 また、模擬裁判の結果、3日間で終わるのが、7割と最高裁は言っている。
 逆に言うと、3割は、3日間では終わらないのである。
 20日くらいかかるケースがあったことを最高裁は認めた。
 20日間かかれば、どんどん裁判員が変わり、補充され、全く裁判員が入れ替わっていて、はじめから、証言を聞いていた裁判員はいないということもあるだろう。一般の人で、20日間もつきあえる人はなかなかいないだろう。

 結局、みんなのスケジュールの都合で、裁判が進行することにならないか。
 そもそも3日間で終わる争いがないケースは、問題は比較的ないだろう。
 激しく争われたり、認定が難しいケースは、時間がかかってもきちんと審議すべきであり、みんなのスケジュールで、変に急ぐべきではない。

 また、裁判員にとっては、死体の写真などは、残酷なので、イラストにするという案も出ている。
 こんなのは、全くおかしい。
 確かに、死体の写真は、正視に耐えないと思うことはある。
 しかし、これが、事実なのである。
 裁判は、事実とは何かを争い、認定をするところである。
 イラストは、イラストの書かれ方によって、事実とは全く印象が違うものにもなりうる。事実とき何か判断するときに、イラストにするというのでは、バーチャルなもので、認定をするということで、全くおかしい。
 やらせタウンミーティングみたいな予定調和のもので裁判があってむいいわけがない。刑事裁判は、被告人の命を奪う決定をすることもできるし、また、一件でも冤罪があってはいけないのである。

 ちなみに、隣りの中国では、死刑の執行の後に、真犯人が出てきて、大問題となり、法律により、最高法院が、すべての死刑事件の再審を行うことになった。
 また、韓国は、この10年間、死刑を執行をせず、アムネスティは、事実上の死刑停止国と認定をしている。
  
 また、アメリカの陪審員制度のもとでは、被告人の「無罪の推定」について、繰り返し、繰り返し説明がある。無辜のものを処罰しないためである。
 しかし、今の日本の裁判員制度のもとでは、模擬裁判においては、候補者選定のときしか、説明をしていない。
 きちんと節目、節目に説明をすべきである。

 このように、裁判員制度については、「ここは問題ではないか。」「ここは改善すべきではないか」ということが数多く存在をするのである。
 裁判は重い。
 正すべきところは、正していくべきである。

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